前回は吉見町の東側低地に造られた横堤を見てきたが今回は西側の吉見丘陵へ街歩きしに行ってきた。


(吉見観音参道)

吉見丘陵で見所と言えば東側の御所に源範頼館跡である息障院光明寺と吉見観音安楽寺、南西側の北吉見に吉見百穴と松山城がある。通常の観光客はそれらのスポットを巡るだろうし私もこのエリアを訪れた当初はそこらへんを観光した。が、今回行くのはそこではない。行くのは北西側の長谷(ながやつ)である。長谷はあるものと言ったら住宅地と長谷工業団地だけという史跡の無いエリアなので普通の人なら興味を持たないと思われる。だが私はここが無性に気になるのである。気になる理由がコチラ。


(左が殿山町で右が松の平)

埼玉なのに横浜か長崎みたいな街並みが広がっているのです! いくら吉見・東松山が丘陵に立地していると言ってもここまで住宅が山を埋め尽くしている場所はそうそう無い。これは港町の景観が好きな私としては行かずにはいられない。ということで街歩きの予定を立てることにした。

予定を立て始めて気付いたことがある。左側の殿山町と右側の松の平を繋いでいる道が無いのだ。それどころか松の平の車道はどこにも繋がっていない。滑川へ出る砂利道があるだけだ。一度下に降りてその後もう一方の町へと登るのは疲れるし心が折れるのでしたくない。ということでどちらか一方に絞ることにした。左側の殿山町は沢口町のマミープラスに行ったついでに車で近くを通ることもある。片や松の平は全くの未踏の地。なので今回は松の平に向かうことにした。

ここに何故このような住宅地が生まれたかと言うことを語らねばなるまい。歴史は昭和30年代半ばに遡る。別荘ブームにはまだ早い時期ではあったが投機目的で吉見丘陵に団地群が造成された。その名は比企ネオポリス。その範囲は吉見丘陵全体に及ぶほどのものでそこに造成された団地の数はひばりが丘・さくら台など10箇所以上に及ぶ。投機目的という事からくる管理者の不在や地形的要因による不便さなど種々の問題を抱えていたという。ちなみに比企ネオポリスがあるのは吉見町。東松山市側の団地(殿山町・沢口町)は東松山マイタウンと言って昭和50年代に開発されたもので経緯が全く異なっている。東松山マイタウンは比較的なだらかな傾斜地に立地しており道も広い。

(越中公園)

ということで街歩きを始める。長谷工業団地にある越中公園駐車場からスタート。公園がある場所は丘陵地帯の尾根近い場所。まずは南の交差点まで少し登る。


(長谷工業団地南の交差点)


尾根にある交差点を東に行けばひばりが丘、西に行けばたつみ平。松の平はたつみ平を進んだ先にある。


(西吉見山)

たつみ平と松の平の間にあるのが標高78mの西吉見山。山と言ってもただの尾根道なので実感は無い。


(松の平)

そこからほんの僅かで松の平の看板がある場所に出る。北から2条目の道を下っていく。


(松の平の坂道)

ここから見える景色は佐久か志賀高原に来たのではないかと勘違いするほどの大パノラマである。比企丘陵の緑の先に見える秩父山塊、分けても笠山は目を引く。鳩山の笛吹峠下でも笠山が印象的だったがここでもやはり笠山に心を惹かれる。


(松の平西端)

下っていくとどんどん勾配がキツくなっていく。写真の場所が急坂を下り終えた先、松の平の西端にして一番低い場所。既に川と同じ高さの低地である。どこにも抜けられないどん詰まりなので廃屋が多く見られる。


(松の平西端)

来た道を振り返る。写真ではっきり坂道だとわかるほどの急坂。決して登りたくはない。


(滑川に至る道)

草叢の道を歩いて行けばすぐに滑川に出る。未舗装だが雑草に埋もれていないので通る人は多いのかも知れない。


(八幡橋)

再び振り返る。マチュピチュみがあると感じるのは私だけだろうか。

(岩鼻運動公園)

滑川に架かる八幡橋を渡ると岩鼻運動公園となる。この公園は滑川と市野川に沿った低地とそれ挟まれた台地上の両方に跨って存在している。国道で分断された東西エリアを歩道橋が繋ぐ。雑草が処理されていないのが残念なところ。東松山は東松山駅前と高坂のニュータウンを除いてあちこちが雑草だらけ。もっと手入れしてほしいところ。


(市野川)

公園エリアを過ぎて市野川を渡ると市街地らしくなってくる。川沿いの低地は狭くすぐに傾斜地となる。今回の街歩きはここまでなのだが前回歩いた分を記事にしていないのでそれを利用して文を繋げる。


(上沼)


緩い坂道を登るとそこにあるのが上沼公園。台地の先端部分に立地している。台地の崖下にある沼はよく見かけるが上にあるのは珍しい、と思ったら元は農業用貯水池だった。沼のすぐ近くには松山総鎮守の松山神社が鎮座している。


(日光脇往還)

上沼から南に向かう。材木町商店街と記されたプレートが掛かっているが店はない。付近に日光脇往還が通っていたので商家らしい古建築を時折見かける。

(下沼)


しばし歩くと下沼公園に出る。下沼も上沼と同じく元は台地上に築かれた農業用貯水池である。

(東松山駅前)

ここで向きを変えて西に進む。通っている道は駅前大通りであり街並みはよく整っている。駅前は再開発されているのでどこもかしこも至って綺麗。殊に煉瓦造の駅舎とそこから伸びるペデストリアンデッキが格別である。雰囲気は深谷駅に近い。

(ビバモール東松山)

再開発されたエリアを南に進んで行くと巨大なビバホームに辿り着く。ここはピオニウォークと並ぶ東松山の商業施設の双璧。このような駅からさほど遠くない立地と無料大型駐車場を組み合わせた施設というのは鉄道・マイカー利用者の双方にとって便利なので今後増えていくと思う。

(七鬼神社)


その脇の若松町一丁目交差点にあるのが首切り地蔵と七鬼神社。何とも物騒な名前だがそれもそのはず、この場所は前橋藩の処刑場だった場所なのだから。なぜ前橋藩なのかと言うと前橋藩と川越藩は江戸中期に合併して以降川越藩を名乗っていたが幕末には逆に前橋藩となった。その前橋藩の陣屋が東松山に置かれたのでここに前橋藩の処刑場があるのだ。


(首切り地蔵前)

首切り地蔵はそのものズバリの名称。一方で七鬼とは何であろうか。それは却温黄神咒に出てくる七柱の女鬼(夢多難鬼・阿佉尼鬼・尼佉戸鬼・阿佉那鬼・波羅尼鬼・阿毘羅鬼・波提犂鬼)のことである。この経は疫病を運ぶとされた七鬼を払うために唱えられた。処刑場なので地獄の獄卒が鎮座しているのかと勘違いしそうになるが実際は死体に関わる疫病除けで祀られているのである。この日の街歩きはここまでなので再び別の日のものを引用して文を続ける。


(若松町一丁目6の階段)

若松町一丁目交差点の北東側の一角は建物の建っていない原野となっている。原野は北東へ暫く続くがやがて台地を切り裂く谷となる。谷の周りは私有地で入れないので迂回して若松町一丁目6地点にある階段から下に降りていく。


(神明町二丁目13の名も無き沼)

階段を降った先には調べても名前の出てこない名も無き沼がある。崖下にあるので農業用貯水池ではなく治水用調整池であろう。公園化されていない荒れ放題の沼なので全く綺麗ではない。

(五領湧水)

そこから台地の境界に沿って東に向かう。その境界には排水路らしきものが伸びている。驚くべきことにさっきの沼とは大違いの澄んだ清流である。鯉の姿さえ見える。そこの崖からは五領湧水という湧水が染み出している。崖上にあるのがただの住宅街であることを考えるとなんとも複雑な気分である。

(五領沼)

さらに東へ進むと五領沼に出る。この沼は台地の下に造られた調整池。五領という名称は御霊からきた名に違いない。刑場に降った雨は台地を伝ってここに流れ落ちるので霊が集う場所と考えられたのであろうか。


(上野本)

五領沼から南は緩やかな登りとなる。登ること僅か5分ほどで台地上に出る。台地は岬のように細くすぐに傾斜地となる。その先は都幾川河畔の低地。東松山台地の終焉である。