
(那須烏山駅前)
宇都宮から鬼怒川の低地と塩那丘陵を越えた先にあるのが那須烏山という町。烏山城のある八高山の東麓が市街地。横軸となる三万石通りには辛うじて極少数の店があるが縦軸となる山あげ通りは完全なるシャッター通りとなっている。南にある烏山駅に行っても全く栄えていない。正に県中央部から隔絶された寒村である。
だが元々はここが那須エリアの中心地であった。那須国造がいたのは那珂川河畔の湯津上、那須与一が生まれたのはその南の神田城、神田城の次の本拠が置かれたのは那珂川を遡った先の大輪、そして下那須氏と統一那須氏の本拠となったのがここ烏山である。箒川河畔の福原に上那須氏の城が置かれたりもしたが基本は那珂川流域が那須の中心であった。那須町・那須塩原市は名前から那須の中心かと勘違いしやすいが那須疎水が引かれる以前は黒田原・黒磯という那須野が原の一原野であり他に芦野・伊王野という町があったに過ぎない。
那須氏は戦国末期の那須資晴の時まで五月女坂・薄葉が原といった数々の合戦に打ち勝ち与一の子孫に相応しい武勲を上げ続けた。しかしその家中の実権は次第に大田原氏・大関氏に握られていった。この両家が主家を越える力を付けるに至った要因は武将としての実力はもとより鎌倉街道の宿場町である大田原と黒羽を押さえたことが大きいであろう。烏山が大田原の後塵を拝するようになる原因はその頃に遡る。ただ江戸時代の奥州街道は黒羽を通らなかったので黒羽は大田原ほど発展せず次第に現在の大田原一強という形なっていった。
こうして那須を概観してきて気付くことがある。それは黒地名が多いことである。黒田原・黒磯(とその由来となった黒館)・黒羽etc…。結論から言うとこの黒というのは古代豪族阿倍氏に関わる地名ではないかと私は推測している。那須国造が阿倍氏であることがそう考えるに至った原因だが他の黒地名も阿倍氏関連と思えるものが多い。
・会津若松城の旧名は黒川城で会津は大彦命ゆかりの場所。
・渡良瀬渓谷を支配した黒川衆の松島氏は宮城県松島の阿倍氏が祖。
・北信地域にある黒姫山は高梨氏にまつわる山だが源姓井上系高梨氏は阿倍氏の仮冒とも言われる。丹波の黒井城を支配した赤井氏も井上系。
・黒田氏は宇多源氏佐々木氏の庶流だが佐々木氏は阿倍氏の佐々貴山君が仮冒したもの。
・筑後の黒木と筑紫国造の阿倍氏。
岩手の黒石寺と奥州安倍氏、山形の羽黒山、富山の黒部川と石黒荘、岐阜の黒野、熊本の大田黒、東久留米の黒目川とかも考察してみたがよくわからなかったのでこの論は保留としておこう。
