一般事情 |
1.面積 |
50.6万km2(日本の約1.3倍) |
2.人口 |
約4,272万人(2003年12月) |
3.首都 |
マドリード(マドリード市人口約310万人)(2003年12月) |
4.言語 |
スペイン(カスティージャ)語(バスク語、カタルニア語、ガリシア語が地方によっては使用されている。) |
5.宗教 |
憲法上の信仰の自由が保障されている(但しカトリック教徒が圧倒的多数) |
6.国祭日 |
10月12日(イスパニアの日) |
7.略史 |
1492年 |
グラナダ陥落。キリスト教徒によるスペイン支配確立。コロンブスアメリカ大陸到達。 |
1588年 |
無敵艦隊英海軍に敗北、以後スペイン帝国衰退へ。 |
1936~39年 |
スペイン内戦。 |
1939年~ |
フランコ政権。 |
1975年 |
フランコ死去、ホァン・カルロス一世即位。 |
1977年 |
総選挙の実施(41年振り) |
1978年 |
新憲法制定 |
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政治体制・内政 |
1.政体 |
議会君主制 |
2.元首 |
ホァン・カルロス一世(Juan Carlos I)国王
(1975年11月22日即位) |
3.議会 |
二院制(上院257、下院350議席)(任期4年、解散制度あり) |
4.政府 |
サパテロ社会労働党(PSOE)政権(2004年4月~)、議院内閣制
(1)首相名 ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ
(Jose Luis Rodriguez Zapatero)
(2)外相名 ミゲル・アンヘル・モラティノス・クジャウベ
(Miguel Angel Moratinos Cuyaube) |
5.内政 |
(1) |
アスナール民衆党政権(96~04年)からサパテロ社労党政権へ
(イ) |
82年から続いた社会労働党政権(中道左派)に代わり、96年5月より民衆党アスナール首相が政権を担当(中道右派)。2000年3月総選挙では好景気を背景に、民衆党が大勝し上下両院において単独過半数を獲得。 |
(ロ) |
2004年3月14日、任期満了に伴う総選挙が行われた。3月11日にマドリードで発生した列車爆破事件(下記(2)(イ)参照)の前までの世論調査等からは、与党民衆党が第一党となると見られていたが、結果は野党社労党が下院(350議席)における議席数を124から164へと大きく伸ばして勝利するという予想外の結果となった(民衆党は183議席から148議席に減少)。総選挙後、4月にサパテロ社労党書記長を首相とする新内閣が発足した。 |
(ハ) |
04年6月13日に行われた欧州議会選挙では、社労党がスペインから選出される欧州議員54議席中25議席を獲得して第一党となった。 |
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(2) |
内政上の課題:テロ、不法移民、州レベルの自治権拡大
(イ) |
テロ:サパテロ政権にとり、テロ対策は最優先課題。
(i) 「バスク祖国と自由」グループ(いわゆるETA)は1959年の設立当初は政治的団体の色彩が強かったが、70年代初頭から急進化し、テロ活動を繰り返している(1968年から現在まで817人の犠牲者)。2001年9月11日の米国同時多発テロ事件以来、国際的なテロ取り締まりの強化を追い風としたスペイン政府のETA撲滅作戦により、ETAの組織は弱体化し、だが一方でETAは武装闘争を継続するとのコミュニケを発表した。
(ii) 2004年3月11日、マドリードで列車爆破事件が発生し、約190名が死亡、1,700名以上が負傷するというスペイン史上最大の犠牲者を出す惨事となった。 |
(ロ) |
不法移民:スペインはかつての移民送り出し国から移民の受入国へ
現在、合法滞在外国人は約185.4万人であるが、80万~100万人に達すると見られる不法移民が滞在する。2001年外国人法改正により、合法移民の受け入れの明確化及び不法移民の取り締まりを強化。また、エクアドル、コロンビア、モロッコ等の移民送出諸国と移民協定を締結し、国内の労働需要に基づき合法移民の国別受入枠を設定(04年は長期雇用10,908人、短期雇用20,070人)。 |
(ハ) |
州レベルの自治権拡大:バスク州では前政権時から州政府が憲法の枠を超えた自治権の拡大要求(「スペインとの自由な連合国家」構想)を行っていたが、05年2月に下院で否決された。カタルーニャ州においても2003年に発足した急進左派を含む三党連合政権が今後自治憲章改正案を提示するとしているが、政府は憲法の枠内で政治的社会的コンセンサスを得ることを条件として改正を検討するとしている一方、民衆党は自治権拡大は国家の統一性への脅威であるとして反対しており、国内的な議論の的になると見られる。 |
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外交・国防 |
1.外交基本方針 |
(1) |
アスナール前政権は、西欧主要国としての地位の確立(2002年前半はEU議長国。2003~04年は国連安保理非常任理事国)を目指し、中南米・中近東・地中海沿岸諸国など、従来の伝統的外交領域に加え米国、アジア・太平洋地域にも外交の力を拡大した。 イラク問題については、米国の立場を全面的に支持し、2003年10月にはイラク復興支援国会合を主催した他、復興段階における治安維持活動のため、イラク中南部に兵力を派遣した。
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(2) |
サパテロ政権
(イ) |
スペイン軍のイラクからの撤退
サパテロ社労党党首は選挙公約で、「6月末の時点で国連がイラクにおける政治面・軍事面での主導権を掌握しなければスペイン軍を撤退させる」旨表明していた。組閣直後の4月18日、現状では国連による主導権掌握の見込みがないとの判断に基づき、軍の撤退を決定した旨発表し、5月21日には、イラク国内からの撤退を完了した。 |
(ロ) |
外交の重点地域を欧州へ
サパテロ政権は、対米重視であったアスナール前政権に比べ、重点地域は欧州、ラテンアメリカ、地中海であると説明している。欧州憲法草案の早期合意に関しても積極的な姿勢を示した。しかしながら、政権成立後一年を過ぎ、最近ではアジアとの関係にも着目している。 |
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2.国防 |
(ミリタリーバランス03/04)
(1)国防省予算 約85億ドル(2003年)
(2)兵 役 2001年末を以て徴兵制を終了し、職業軍人制度に移行した。
(3)兵 力 陸軍95,600人、海軍22,900人、空軍22,750人
なお、米西防衛協定(88年12月調印)により、海軍1,760人、空軍270人の米軍が駐留。 |
3.スペインによる対外援助実施状況
(単位 百万ドル) |
ODA供与額(2003年暫定値。支出純額、各目ベース)
計2,030(対GNI比0.25%)
(2003年DAC加盟22ヶ国中第11位、シェア3.0%)
(1991年12月、OECD開発援助委員会(DAC)に加盟) |
経済(単位 米ドル) |
1.主要産業 |
食品加工、化学品、自動車、観光産業 |
2.GDP |
9,917億ドル(2004年)(出典:OECD) |
3.一人当たり国民所得(ドル) |
20,500ドル(2003年)(出典:同上) |
4.経済成長率 |
2000年 |
2001年 |
2002年 |
2003年 |
4.2% |
2.8% |
2.0% |
2.4% |
(出典:欧州委員会、2004年4月) |
5.物価上昇率
インフレ率 |
2000年 |
2001年 |
2002年 |
2003年 |
3.5% |
2.8% |
3.6% |
3.1% |
(出典:同上) |
6.失業率 |
2002年 |
2003年 |
2004年 |
11.3% |
11.3% |
10.8% |
(出典:OECD) |
7.総貿易額 |
(1)輸出 |
1,510.25億ドル(2003年) |
(2)輸入 |
2,012.62億ドル(2003年) |
(出典:IMF) |
8.主要貿易品目 |
(1)輸出 自動車、エンジン類、電気機器、プラスチック製品
(2)輸入 自動車、エンジン類、鉱物性燃料・鉱物油、電気製品 |
9.主要貿易相手国(2003年) |
(1)輸出 仏、独、伊、英、ポルトガル、米、蘭、ベルギー、ラ米諸国(対EUが約70%)
(2)輸入 仏、独、伊、英、蘭、ベルギー、ポルトガル、米、ラ米諸国(対EUが約66%)
(出典:IMF) |
10.通貨 |
ユーロ |
11.為替レート |
1ユーロ=約135円(2005年1月) |
12.経済概要 |
(1) アスナール前政権は、財政赤字の削減、雇用対策、国営企業民営化等の構造改革政策を実施した。
(2) サパテロ政権は、経済面では均衡財政の維持や雇用創出促進政策に加え、社会政策の充実を掲げている。堅調なマクロ経済状況を反映し、経済政策の大きな変更はない見込み。
(3)経済状況
2004年のGDP(9,917億ドル)はOECD諸国中第7位にあり、国連分担金も第8位に位置する(分担率2.520%)。しかし、1人当たりGDPは22,406ドル(2002年)とEU諸国中第13位にとどまっている。
1997年以降4%以上の高い経済成長率を維持し、この間失業率の急低下などの成果を挙げ、EU全体の景気低迷の中、2003年の成長率も2.5%と底固い動きを示している。
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1999年 |
2000年 |
2001年 |
2002年 |
2003年 |
2004年 |
実質GDP |
4.2 |
4.2 |
2.8 |
2.0 |
2.4 |
2.7 |
消費者物価 |
2.9 |
4.0 |
2.7 |
4.0 |
2.6 |
3.2 |
失 業 率 |
12.8 |
11.3 |
10.6 |
11.4 |
11.3 |
10.8 |
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二国間関係 |
1.政治関係 |
450年以上にわたる交流の歴史があり、伝統的に友好関係。 |
2.経済関係 |
- (1)貿易
- (イ)貿易収支
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2001年 |
2002年 |
2003年 |
2004年 |
日本→スペイン |
3,179 |
3,308 |
4,138 |
5,239 |
スペイン→日本 |
1,538 |
1,408 |
1,572 |
1,858 |
(単位:億円/出典:財務省通関統計) |
- (ロ)主な貿易品目(2004年)
日本→スペイン: |
乗用車(26%)、テレビ・デジタルカメラ等部品(8%)、ビデオカメラ・デジタルカメラ(8%)、自動車部品(4%) |
スペイン→日本: |
乗用車(9%)、バッグ類(7%)、有機化学品(6%)、医薬品(6%) |
- (2)投資
- 2004年末、我が国の対スペイン直接投資残高は1,193億円、スペインの対日直接投資残高は193億円。我が国からスペインへの進出企業数は約160社、スペインから我が国への進出企業数は約17社。
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3.文化関係 |
(1)文化協定に基づき、2~3年毎に日西文化混合委員会開催。
(2)1994年~95年、初の大型日本美術展「桃山:日本美術の黄金時代1573-1615」を開催(於:マドリード)。2002年国立西洋美術館にて「プラド美術館展」を開催。
(3)1999年3月、サラマンカ大学内に「日西センター」開設。
(4)姉妹都市交流
奈良市―トレド市、山口市―パンプローナ市、呉市―マルベージャ市
丸亀市―サン・セバスティアン市、神戸市―バルセロナ市
大船渡市―パロス・デ・ラ・フロンテーラ市
三重県―バレンシア州、清洲町―ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ市
磯部町―スエカ市、豊岡市―アリカンテ市、山口県―ナバラ州、和歌山県―ガリシア州、熊野古道―サンティアゴ巡礼路(姉妹道) |
4.知的交流 |
1997年(於:マドリード)、98年(於:東京)、99年(於:オリーテ)、2000年(於:岐阜)、2001年(於:サラマンカ)、2002年(於:東京)、2004年(於:バルセロナ)、2005年(於:和歌山)の8回、「日本・スペイン・シンポジウム」を開催。 |
5.在留邦人数 |
6,019人(2004年10月) |
6.在日当該国人数 |
1,543人(2005年7月) |
7.要人往来 |
(1)往(1973年以降) |
73年10月 |
皇太子同妃両殿下 |
76年8月 |
浩宮殿下 |
84年6月 |
安倍外務大臣 |
85年2月 |
皇太子・同妃両殿下 |
87年6月 |
中曽根総理 |
89年8月 |
紀宮清子内親王殿下 |
91年5月 |
高円宮同妃両殿下 |
92年7月 |
皇太子殿下 |
93年1月 |
渡辺副総理兼外務大臣 |
93年4月 |
秋篠宮同妃両殿下 |
93年8月 |
紀宮清子内親王殿下 |
94年10月 |
天皇皇后両陛下 |
97年10月 |
高円宮同妃両殿下(クリスティーナ王女御結婚式) |
2002年1月 |
田中外務大臣 |
2002年5月 |
武部農林水産大臣 |
2002年9月 |
片山総務大臣 |
2003年4月 |
小泉総理大臣 |
2003年8月 |
綿貫衆議院議長 |
2003年10月 |
川口外務大臣(イラク復興国際会議) |
2004年5月 |
皇太子殿下 |
(2)来(1972年以降) |
72年1月 |
ホァン・カルロス一世国王同妃両陛下(当時皇太子、公賓) |
80年10月 |
ホァン・カルロス一世国王同妃両陛下(国賓) |
85年9月 |
ゴンサレス首相(公賓、オルドニェス外相同行) |
86年10月 |
エレナ王女殿下(非公式) |
88年7月 |
オルドニェス外相(外賓) |
89年2月 |
ホァン・カルロス一世国王同妃両陛下(大喪の礼) |
90年11月 |
フェリペ皇太子殿下(即位の礼) |
91年6月 |
ゴンサレス首相(公式実務訪問) |
92年2月 |
クリスティーナ王女殿下(非公式) |
94年1月 |
ソラーナ外相(外賓) |
97年10月 |
アスナール首相(公式実務訪問) |
98年2月 |
ホァン・カルロス一世国王同妃両陛下(非公式) |
98年3月 |
フェリペ皇太子殿下(公賓) |
2000年6月 |
アギーレ上院議長(小渕前総理葬儀参列) |
2001年1月 |
ラト第2副首相兼経済相 |
2002年11月 |
クリスティーナ王女殿下(斂葬の儀) |
2003年12月 |
パラシオ外相(外賓) |
2004年1月 |
ルーカス上院議長 |
2005年5月 |
モラティノス外務・経済協力相(ASEM 7) |
2005年6月 |
フェリペ皇太子同妃両殿下 |
2005年7月 |
モラティノス外務経済協力相(博覧会賓客) |
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8.二国間条約・取極 |
特別通商条約(1900)、修好交通条約(1911)、司法共助条約(1924)、請求権問題解決に関する取極(1957)、査証及び査証料免除取極(1965)、租税条約(1974)、航空協定(1980)、文化協定(1982) |
9.外交使節 |
(1)スペイン駐箚日本国大使 島内憲特命全権大使
(2)本邦駐箚スペイン大使 フランシスコ・ハビエル・コンデ特命全権大使 |