雪を楽しんでいいですか!? | 覚技ワーク~注意の行き届いた自然体★新海正彦

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覚技(かくぎ)とは、さまざまな心理療法に、武術や音楽やシャーマン的テクニックを取り入れた、こころとからだに目覚めをもたらすトレーニング・メソッドです。

雪です。海が眼前に広がり冬でも都内よりは2~3度あたたかいわが家周辺でも、今朝は雨混じりの雪が降っています。

雪といえば先月、1月下旬にもちらりと降りましたが、その日、とあるJRの駅のホームで目にしたある親子の会話が思い出されます。


その日、突然、サァーっと通り雨のように降ってきた雪に、小学校の低学年くらいの男の子がとても嬉しそうな声を上げました。
「うわぁ、雪だあ、ほら」
男の子はもう本当に雪が嬉しくてしょうがないようで、空を見上げながら手をあげてくるくる喜んでいます。

ところが、そんな男の子にお母さんが冷たい事務的な口調で短くこう聞いたのです。
「雪、好きなの?」
それはまるで雪を楽しんでいることを咎めているように(僕には)聞こえました。

でも男の子は、
「うん、好きぃ!」
即答です。雪のほうに気をとられている様子。

それを見てお母さんは、あきれたような口調でさらにこう続けました。
「子どもってほんとに雪が好きね・・・」


お母さん的には雪は寒さを示すものだし、雨と同じで濡れるから嫌だったのかもしれません。

とはいえ僕は、その光景を見て、とても心が痛くなりました。
だってそう言われたらまるで男の子が雪を楽しんではいけないみたいじゃないですか。
「こんな冷たく寒いのに雪を見て喜んでるなんてバカみたい」と暗に指摘されているようなものではありませんか。

幸い男の子は悲しそうな表情をするでもなく相変わらず雪を楽しんでいましたが、
その言葉かけはきっとこの降る雪のように男の子の心に降り積もって沈んでいくのではないか、そして目の前のちょっとした変化を楽しむという気持ちを少しずつ失っていくのではないか、そう思って僕は心が痛くなってしまったのです。



感情というのは実はお互いにリンクしていて、例えば怒りの感情を押さえると喜びの感情まで抑えられてしまうということが起ります。
この例のように小さな感情抑圧の経験を繰り返すと、感情全体の表出が次第次第に抑え込まれ、結果的にみずみずしさや溌剌感の乏しい人間になってしまう可能性があります。

さらにまたこんな危険性もあります。
例えばその男の子が「雪を楽しむことは変だ」という親の価値観をそのまま受け入れ、親に合わせるということを繰り返していったら、男の子は親の感じ方が自分の感じ方と思うようになり、自分の中からわき起こる素直な気持ちを無意識のうちに押さえ込んでしまうようになります。
こうなると成長して大事なことを決めたりする場面でも親の価値観で物事を判断してしまうため、内なる自分の本当の気持ちと選択した結果が生んだ状況とが乖離してしまって、常に「なんか違う」「なぜかつまらない」といった不全感や非充実感を抱えて、輝きをなくした日々を送ったりするようになります。
それが高じるとどんな問題が起きてくるかは、説明の必要はないでしょう。


だからこそ僕は、どうかその子が雪を楽しむという素直な感性を大切にしたまま育ってほしい、と願うばかりです。


ところでその出来事から約1週間後、今度は別のJR駅近くでまったく逆の心温まるケースを目にしました。
それはまた次回に紹介しますね。


話は変わりますが、
僕は関東在住なので雪をこうやって楽しんでいますが、新潟に住んでいる僕の知人は、災害級の大雪にとても大変な思いをしていると言っていました。
もしかしたらあの子のお母さんも豪雪地帯で苦労された方なのかもしれません。
そうだとすると、手放しで雪を楽しんでいるのは、申し訳ない気持ちも抱いてしまうのですが・・・
でも、ここは神奈川です。
素直な喜びの表現はそのまま受け止めてあげてやってくださいね。

                            覚技研究会 新海正彦