一人で居酒屋に入るには開店早々の時間がいい。
五時だ

店の空気はきれいだし、好きな席を選べるし、魚も全部そろっている。
何よりも本日最初の客として「いらっしゃい!」にも気合が入り「さあ仕事だ」という快い緊張感がある。古い店は「口開け」といって最初の客は縁起のよいものとするそうだ。

 その期待にこたえたい。

今日の口開けの客はいいぞと思われたい。

それにはまず身なりをととのえよう。
仕事ではないからリラックスした格好ながら、小ざっぱりしよう。
歳がいったらヘタに自己流におしゃれしようと思わずオーソドックスで上等なものを着ることだ。
リラックスといってもみすぼらしくてはいけない。店からすれば服装で人を判断する。

 持ち物は何か。
カバンやバッグは大げさだ。財布とメガネケースと新聞くらいでよい。

 そして、どこへ座るか。
初めての店はカウンターは避けテーブル席につこう

それも四人掛を一人で占領せず、もしあれば対面二人掛けのあまり上席でないところがよい。
カウンターへどうぞ」と言われても「いや、ここで」と遠慮して腰をおろす。

 「ビールひとつ」と注文し、おしぼりで手を拭い、メガネを出して新聞をひろげる。

 これは、店の主人に「ヘンな客」と思われぬようにしているのである。
小さな店ならばはじめての客はすぐ分かり、新規客と喜びつつも妙な客ではないだろうなと緊張する。

 一、小ざっぱりとした上等な身なり  (金は持ってるな)

 一、少ない持ち物  (通りがかりでない近所の人だ。大事にしないと)
 
 一、隅の目立たぬ席に座った  (オレに用事があって来たんじゃない。
                          へんに常連くさくしないのは奥床しい)
 一、注文して新聞をひらいた  (放っておいてほしいんだな。これは気が楽だ)



と、印象をあたえ、手のかからない客だと安心させるのである。

 実はこちらも安心したいのだ。
一人客はカウンターに座るもの、カウンターは一人客の場所だけど、そこはまた客と主人の出会いと対決と社交の場でもある。一人客は話し相手ほしさに座る要素もあり、主人もそれは覚悟している。

 しかし、いきなり他人と話をするのもお互い気を使う。
営業であれば他人との出会いは仕事のはじまりだけど、居酒屋へ仕事に来たのではなく人間関係をひろげに来たのでもない。といっていつまでも黙っているのはお互いに気づまりだ。
ある居酒屋主人から、はじめて入ってきてカウンターに座り二十分も三十分もおし黙っていられると、不気味で気になるものですよと言われたことがある。

ある時私は、渋谷の奥まった非常に分かりにくい居酒屋を待ち合わせに指定され、散々さがして入り、相手の来るのをカウンターで一人待っている十五分ほどの間、店の主人はずーっと、ソノ筋か、それに対抗する筋の人間かと思い緊張していたそうだ。
 「△さんと待ち合わせなら、最初からそう言って下さいよ。怖いですよー」
 相手が来て主人はほっとして苦笑いしたがこの御面相では仕方がないか。
 と、はじめての客は警戒されるのだ。

それを解く。

 居酒屋はカウンターごしに主人と軽口叩きあうもの、というイメージがあるけれどそれで気疲れすることもない。放っておかれ、一意、酒に専念できるのも居酒屋のよいところだ。

まずは隅に座り、お互いに(主人も自分も)ほっと落ちついて一杯やろう。

ビールが届いたら新聞を閉じ、まずは一杯

 クイー……
 
どんな居酒屋でも最初の一杯はうまい。
お通しは白瓜の漬物だ。

 そうして品書をゆっくり見ていこう。
お通しがあるのであわてて注文することはない。これが居酒屋で最も楽しい時間だ。

最後までじっくり見て二つのことを考える。

一、この店の実力をあらわす季節の一品を見抜く

一、それを中心に全体の流れを組み立てる

その結果、枝豆、蛸ぶつ、鯵酢、自家製塩辛、カレイ煮魚。
最後に様子をみて雑炊とお新香にしよう。

 一、枝豆は簡単そうに見えて豆の良否、ゆで方に気配りを要する。
   こういうものに手を抜かない店は他の品も良い。

 一、蛸ぶつは切って出すだけなので料理というほどでもないが、
   こういうものに手を抜かない店は他の品も良い。

 一、鯵酢は、酢〆の技と魚の良否をみる。
   センスが問われるところだ。

 一、自家製塩辛は言わずもがな。

 一、カレイ煮魚。煮魚はめんどうなのであまり居酒屋は作りたがらないけれど、
   こうして書いてあるのは料理好きなもかもしれない。
   煮ざましだったら不合格。その場でさっと煮て出すかが判断の分かれ目。
   何をつけ合わせるかにもセンスが出る。
 
 一、雑炊も、一人前つくって六百円は店としては効率悪いが料理の基礎的実力を問われる。
   卵、鶏、モズク、とあるが主人のおすすめはモズクだろう
   お新香が自家製手漬けならばよいけどな。

こちらの魂胆もものかは。さとられぬようそしらぬ顔で、とぼけて注文した。
                          


さて―――
















                          
 まず届いた枝豆は湯気をあげている

茹でたてだ

これが食べられるから居酒屋は口開けに来るべきだ。 という事は開店に合わせて茹でている。
一さやしごくと豆がうまい。
この甘味と大豆の脂性のコクはもしかすると山形の名品だだちゃ豆かもしれない。
塩加減がちょうどよく、はたしてさやの両端に鋏が入っている。
プロは中の豆に塩を通すため一つずつ両端を落とすのだ。

よし、枝豆合格

少なくともここに来ればうまい茹でたて枝豆でビールが飲める。

 続いて蛸ぶつ。
おっとこれも温い。 ということはこれも茹でたてだ。

蛸の茹でたてほどうまいものはない。

これなら切らず脚一本丸ごとでもらいたかった。
大葉と本ワサビがつき、醤油の皿と別に、塩が一盛り豆皿で出された。

よろしければ塩でどうぞだな。

さっそく、塩ワサビちょっとつけて一口。
芯のところだけ半透明の三部茹で、固くないのは相当大根で叩いてあるのだろう。
蛸の甘味と香りがさっぱりと塩ワサビでひきたつ。
これはうまい。後半は醤油で楽しもう。

ヨーシ、酒だ。燗酒だ

 燗の徳利と盃を運んできたのはなんと七十代と思われる婆さんだ。
こんな人がいたのか。多分主人か主人の嫁さんのお母さんだろう。
白髪まじりに白い前掛けをキリリとしめ、きちんとお盆で酒を運んでくる。
徳利と盃を卓に置き、空の盆を持った手を前に合わせ一礼した。

いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり。

これは有難いことだ。年寄りの挨拶には重みがある。
思わず「や、どうも」と声が出た。

酌などせずにスッと引っこむのがよい。
この店は家族でやっているのだろう。年寄りのいる店ならまっ当な商売をしているに違いない。
主人を見るとそしらぬ顔で何か支度をしている。




































 ここはいい店かもしれない
 
 改めて見まわすと、六席ほどの鉤の手カウンターに、四人掛卓席二つ、私の座る玄関脇の二人席はここまで四人卓をおくと出入りにせまくなるのだろう。満員で十六人。

 カウンターに立つのは五十がらみの主人と若いの一人。
 婆さんは奥で配膳やお燗番をしているようだ。

 徳利から一杯注いだ。

ウーム、これはみごとな人肌燗だ

熱からず、ぬるからず。今日の天気に合わせ、キモチぬる燗にしているのかもしれない。
派手なところのない、渋く落ちついた酒だ。
品書には「酒 四五〇円」としかないがどこの酒だろうか。

 最後の蛸ぶつ一切れを口にし、大葉を丸めて塩で食べ、口をさっぱりさせたところに鯵酢が届いた。
作ってあるものを皿に盛るだけだから、蛸ぶつの終わるのを見届けて運んできたのかもしれない。
はたして交代に空いた皿を下げ、卓の景色がいつもきれいだ


 むっちりと肉厚の小鯵を開いたのが二枚、腹を上にして斜めにそぎ切りをしている。
醤油をチョイとつけて口へ。

 これは上品な酢〆だ

酸っぱくも甘くもなく、といって酢洗いだけでもない。
酢で生臭味を殺しながらも鯵の旨さを最大限にひき出している。
相当いい鯵を使いながらタタキよりもさらに鯵をおいしく食べさせる。
ややぬるめの燗にまさにピタリだ。
鯵酢をつまみ、いつの間にか無念無想、頭の中がカラになってゆく


いらっしゃい!

 後ろの玄関が開き客が入ってきた。ジャンパーに集金バッグらしい格好は自営業か。
黙ってカウンターに座り「ビール」と一言、ややあっておしぼりを使いながら「枝豆」とつけ加えた。
ここの枝豆の味を知っている常連だろうか
 
酒を追加すると塩辛と一緒に届いた。
鯵酢はもう一口あるけれど酢〆もので味が単調になりはじめたからいいタイミングだ。
婆さんに小声で尋ねた。

この酒は何ですか?

はい、鶴の友です

 おお、これがあの「越乃寒梅」と並び称される新潟の「鶴の友」か。
これが手に入るとは、主人は新潟の人かもしれない。
その通中の通の酒を銘柄も書かず、ただ「酒」としている奥床しさ。
あるいは、その価値に気づかずただおいているだけかもしれないが。

 イカ塩辛は、塩は強くないのにどっしりと重く、ワタの濃厚なコクにむせかえるようだ
平明な「鶴の友」が、このコクと四つに組んで酒の底力を発揮しはじめたのは、まるで若乃花と栃錦、柏戸と大鵬の横綱相撲のようだ。
鯵酢のような微妙な味にはサラリと水の如く、塩辛のコクには力感を出す、この酒はなんと奥が深いのだろう。


 佳境に入り、ちょっと口がわりをしたくなって、最前のお通し「白瓜浅漬」を頼むと、こんどは別の浅鉢に酢漬けのひねショーガを一本添えて出された。藍染浅鉢に緑と白の瓜、わずかにピンクに染まるひねショーガが清々しい眺めをつくる。
塩辛の生臭味をショーガの一かじりがさっと消してくれる。



煮魚、いいですか?


 主人がはじめて声をかけた
黙っているようでこちらのペースを見ているのだろう。小さい店、主人の目の届く範囲の店はこれがいい。しかも満員だとそうもいかないが、開店早々のいまならゆっくり目が届く。

カウンターの一人客は枝豆とビールで競馬新聞だ。常連のようだが別段話しかけるでもない。
 気がつくと店内はテレビがなく、音楽もなくシンとしている

シンとしているが少しも気詰りがないのは、客も店の人もそれぞれ自分のするべき事に専念しているからだ。皆が黙って自分のことに取り組んでいる充実した時間がここには流れている
時折、風鈴が涼し気にきこえるのは、どこかに下がっているのだろうか。


 平皿に湯気をあげるカレイ煮付はみごとだった

浅く煮汁に浸る板昆布に胴にスパッと〆の字に包丁が入った肉厚のいかにも上等なカレイが横たわり、木の芽山椒がのる。
つけ合わせは煮汁で煮た豆腐二口とえのき茸と青い分葱だ。

 甘すぎず醤油本来の下地、ほぐした身は白く、煮すぎていないのがいい
一尾丸ごとの煮魚から出るダシを吸った豆腐とえのき茸と分葱がまた格別においしい。
あまりのうまさにダシ昆布も全部食べ、この時ばかりは夢中で酒もお留守になった。

 小骨を皿の隅にあつめ、ふうと一息つくと主人がちらりとこちらを見た。
隅々まできれいに食べ尽くした皿を確認したらしい。
私としてもここまで食べたことを見てもらいたいような気持ちだ。

 さっきの婆さんがおしぼりを持って来て、私の皿を下げながら「きれいにお召しあがりで」ともらした。

たいへんおいしかったです

 私ははじめて個人的な感想を言った。魚をきれいに食べる習慣をつけておいてよかった。



 ……さて、ヤマを越し、どうしようか。
ビール一本、酒二本。適量といえよう
計画ではモズク雑炊だけど、一口も残さず食べているので腹もいい具合だ。

 しかし、もうしばらくここに座っていたい
酒も腹も満足したけど、この店の静かで落ちついた空間にいましばらく身をおいていたい。

よし、もう一本飲んで帰ろう。




私は改めて品書を見た。量が少くてすぐ届くものはないか。

 タラコ焼、たたみいわし、焼しいたけ、くさや(これいいな、今度これにしよう)、浅蜊酒蒸し、茄子丸漬……



これだこれがいい

 焼魚をおくような上等な長角皿に中ぶりの茄子がひとつ、たいへん貴重なもののように置かれて出てきた。紫紺に濡れた肌はつやつやと美しく一筋も包丁は入っていない。金気を嫌うのだろう。
皿の端にぺたりと和辛子が盛り付けられている。

 ヘタを手で持ち、辛子をちょっとつけ、豆皿の醤油にチョンとやって頭からかぶりついた。

 ――そのうまさよ

この味、この茄子ぬか漬の味は、何十年も前に田舎の婆ちゃんが毎朝ぬか床から出してきたものと同じだ。暑く食欲のない夏休みの午後も、冷や飯にお茶漬サラサラで、この茄子さえあれば食べられた。
 
 私は酒と交互に惜しみ惜しみ、茄子をかじった。
さっきの婆さんの手漬けに違いない。これで二百円とは申し訳ないような値段である。



お、あいてるあいてる
 サラリーマン四人組がどやどやとやって来たのをしおに私は席を立った。




大満足だ!!

五千円で釣りがきた。

どうぞまた、よろしゅう
婆さんの丁寧な挨拶に答えてからカウンターに顔をむけた。

ごちそうさん、また来るよ

私は主人にはじめて声をかけた。この言葉に偽りはない。
まいど!

主人のにっこりとした顔と目が合った。



――どうです、いいでしょう

これが居酒屋ですぞ!

さあ、勇気を出して独りで居酒屋に入ってみましょう