●●です。

メール、ありがとう。
そんなに意地悪で冷たかったかな~??
そんなつもりは全然なかったんやけど。。。


先週の木曜日に、出張で大阪(御堂筋の本町あたり)に行ってきました。
朝6時40分の新幹線に乗って、10時アポイントでとある会社に行き、
その会社で1時間ほどミーティング、そのあと心斎橋まで一駅歩いて
昼飯を食べ、とんぼ返りで東京に帰ってきました。
ゆっくりする時間が全くなかったので、
「懐かしさ」を噛み締める余裕もなかったけど・・・。

そうそう、その会社でヒルマン監督に会いました。
(と言ったら、どこの会社に言ったか分かってしまうかも知れないけど。)


・・・・・・・・・・


懐かしいキモチ。



前のメールにも書いたけど、
このあいだ、●●と●●が泊まりに来ました。
(●●は、随分久しぶりやったかな~。)

昔のトモダチ、特に大学時代のトモダチに会うと、
いつもダラダラと生活していた当時を思い出します。

大森は、大学時代を思い出すとき、どんな気持ちになる??

俺は、いろいろ後悔することもあるけど、
やっぱりいい時間だったと思うな~。

毎日、自分の好きなことができたし、
一日中、一年中、全ての時間が、自分のものだった・・・気がする。
(勉強、と名のつくものは、一切しなかったけど(笑)。)
「ちゃらんぽらん」だったけど、「人生」についていろいろ考えた。



でも、最近こう思うこともある。

ひとはよく、


「そんな時代があったから今がある。」


なんて言うけど、ホントにそうなんだろうか??


確かにある部分はそうかもしれない。
でも、逆に社会に出て失ってしまったものの方が多いんじゃないか・・・。


みんな、変わってないように見えるけど、
毎日の生活に流されて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、


「昔と違う人間」


になってるんじゃないか???



ホントは、そうなりたくないんやけど、そうなってるんじゃないか???


・・・・・だからこそ、人は、


もう戻れない「旧きよき日々」を思い出し、懐かしむんじゃないか


・・・・・・なぁ、と。



どう思う??


もう戻って来ない日々を思い出す、そのこと自体に意味はないと思う。
ほんのちょっとかっこよく言うと「郷愁が胸をよぎる」だけ。



懐かしい、ただそれだけ・・・・・。


う~ん、考えているうちに、変な結論になってきた(笑)


でもまあ、俺自身、そういう「懐かしさ」や、「昔のこと」を
否定してるわけじゃないし、実はその逆で、
懐かしさを感じているその瞬間が、結構心地よかったりもする。


「思い出」は、誰にも侵されることがない、自分だけのものやから、
その中に、誰にも邪魔されずに「どっぷり」浸かるのって、俺は好きやな~。


ふとした時に、「あのころあんなことしたな~。」とか、
「あいつ、今どうしてるかな~。」などと思い出したりしてる。


「●●、元気にしてんのかな~?」とか。

BIGINの『防波堤で見た景色』っていう昔を懐かしむ曲、
(知らないと思うけど)が好きだったりするし。


歌詞はこちらのblog ↓
http://blog.kansai.com/taiki/49


結局、思い出なんて、懐かしむキモチなんて、たいして意味はない、
と分かってても、ついついそれに浸ってしまうよな~。
疲れてる時にそういうことを考えてると、なんかちょっと元気になれる気がする。


・・・と、くだらない話で、長々と書いてしまってスマン(笑)
時間が空いたときに、こんなことを考えていたので、
ちょっと文章にしてみたくなりました。


仕事の話は、また次回。
ちなみに、今は銀行で働いてないんやで、実は。。。
(というより、銀行を出て、かれこれ3年半になります。)


では、また。


●●でした。

大学時代の同期に、久しぶりに会った。

 
いつもダラダラと生活していたあの時が懐かしい。
いろいろ後悔することもあるが、やっぱりいい時間だった。

 

毎日好きなことができた。
全ての時間が、自分のものだった。


 
「そんな時代があったから今がある。」
確かにそれはそうだが、社会に出て失ってしまったものも多い。
だからこそ、人は「旧きよき日々」を思い出し、懐かしむのだろう。


 
もう戻って来ない日々を思い出す、そのこと自体に意味はない。
ただ、郷愁が胸をよぎるだけだ。

でも、その瞬間が結構心地よかったりもする。
思い出だけは、誰にも侵されることのない自分だけの宝物だから。

このブログのタイトルとなっている詩を紹介します。


  


小景異情

 


その一

 

白魚はさびしや
そのくろき瞳《め》はなんといふ
なんといふしをらしさぞよ
そとにひる餉《げ》をしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやな雀《すずめ》しば啼《な》けり


 

 
その二

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土《いど》の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ泪《なみだ》ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


  
その三

 

ありもせぬ時計おもへば
こころかなしや
ちよろちよろ川の橋の上
橋にもたれて思ひぞ耽《ふ》ける


 

 
その四

 

わがこころにも
緑もゆる季節となり
なにごとしなけれど
沈める思ひ せきあぐる


 
その五

 

なににこがれて書くうたぞ
一時《いちじ》にひらくうめすもも
すももの蒼《あを》さ身にあびて
田舎暮らしのやすらかさ
けふも母ぢやに叱られて
すもものもとに身をよせぬ
 
 

その六

 

あんずよ
花着け
地ぞ早《は》やに輝やけ
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
 

 

 

室生犀星 「抒情小曲集」

もう昔のことだ。

付き合ったり別れたりを、何度も繰り返していた女(ひと)がいた。
やはり、そういう関係はうまくいかなかった。
最後は後味の悪い別れ方をした。

・・・・・

こっちに来てから、その女(ひと)宛に手紙を書いた。
当時、別れてからすでに2年が経っていた。
もう俺のことも忘れていたかも知れない。
でも、俺の中ではもやもやがあった。

 


 
     「謝りたい」


 

 
ただそれだけだったが、その思いは2年間、ずっと消えなかった。
もちろん、別れたときから、「好き」とかいう気持ちはない。
ただ、謝りたかった。
自分の中で、そうしないと終わらない気がしていた。

 

2年の間、いろんな方法で謝ろうと考えていた。
だが、ただの一つも実現しなかったが。

 

その時、手紙を出せたのは、自分自身の境遇の変化、ただその一言に尽きる。
結婚する前に、そのもやもやした思いを消しておきたかった。

 

自分勝手な都合。
自己中心的な考え。
相手の気持ちをまったく考えていない、と言われても仕方のない行動。

 
それは十二分に分かっていた。
だから今まで謝ることができなかったのだから。
 

きっと、手紙を読めばいやな思いをするだろう。
いや、読む前に捨てられているのかもしれない。
あんな結末だったのだから。

 
それはそれでいい。
自分の思いは届かなくてもいい。
自分の中で、その思い出が浄化されれば。

 



ただ、時折物思いに耽ることがある。

「あのひとは今、どんな暮らしをしているのだろう」

幸せに暮らしているのだろうか。

東京に来て、早3年が経った。
その間に結婚もしたし、異動も経験した。

全くちがう業界に来て、必死で駆け抜けたあっという間の3年だった。

 

東京に来る前は、関西に住んでいた。

生まれてからずっと、関西で過ごしてきた。

高校も、大学も、新社会人としての第一歩も、

ずっと住み慣れた街で過ごした。

 

特別、関西に求める「何か」があったわけではない。

ただ、なんとなく「居た」だけだった。

それでも、いつの間にか切っては切り離せない場所になっていた。

 

今でも、ときどき帰りたくなる時がある。

 

ただ、いつの間にか守るものも出来、

自分の都合だけではどうにもならない立場になった。

どんなにつらいことがあっても、どうしても守らなければならないものが出来た。

  

そういうときには、自分で自分を励ます。
「がんばれ、がんばれ」と。

 


・・・・・それでもたまには寂しくなる。帰りたくなる。

 


やっぱり、生まれ育ったあの場所が、自分の中の原風景だから。


 


どうしても寂しくなる、そんな日には・・・・・


 
やっぱり、「がんばれ、がんばれ」と自分に言い聞かせている。


「人は一人では生きることはできない。」
そう言う人もいる。
たしかにそれはそうだ。
でも、きっとそれは物理的側面を指す言葉、

そして寂しさを紛らす言葉でしかない。
私は思う。
人は一人で生きていけるのだと。
そして、一人で生きなければならないのだと。

「誰かの気持ちが分かる」

そんなことはありえない。
その人の気持ちは、本人にしか分からない。
わかった気持ちになっているのは、
自惚れ以外の何者でもない。
そんな人間は信用できない。

人の気持ちは分からない。
でも、分かろうと努力する。
少しでもその人の気持ちに近づこうと頑張る。
そんな気持ちを持った人こそ、まっとうな人間だ。
本当のやさしさを持った人だ、と思う。
そういう人になるのは、難しいことだけれど。

人の気持ちを本当の意味で理解することができないのだから、
人が誰かの為に生きることは、もっと難しい。
だからこそ、それがたった一人であっても、
誰かの為に生きることができれば、その人は生きている価値がある。
それは、親の為でも、友達のためでも、

誰のためでも構わない。
誰かの為に生きる、そのことに意味があるのだから。

人の一生は短い。
その中で、「私の一生は、この人の為にあった。」
そういえるだけで、幸せだと思う。

「充実した人生」なんて本人の主観でしかない。
でも、充実していてもいなくても、本人が満足していればそれでいい。
それなのに、ひとはそれ以上を求めたがる。
誰かを悲しませてまで。
誰かの人生を犠牲にしてまで。

いいじゃないか、生きているだけで。
いいじゃないか、こうして冬の澄み切った空気を感じることができるだけで。
いいじゃないか、誰一人、自分のことを理解してくれなくても。
いいじゃないか、だって生きてるんだから。

「誰かが、一人でも自分のことを心配してくれていれば存在する価値はあるんだね」
と言った人がいた。

俺もそう思う。

肩肘張らなくたっていい。
どうせいつかは死ぬんだから。
どれだけ頑張っても、「死」は平等に訪れるんだから。

でも、人はいつだって誰かに認めれれたいんだなぁ。
弱い存在だから。

「一日」や、「昔」を振り返る意味で、

日記なんて書いてみるのもいいかな、なんて、

なんとな~く思ったりもして、blog作ってみました。


もし、偶然にもこのページに辿り着いた方、

ただの日記なんで、がっかりして帰ってください



では、初回ということで、私の好きな言葉を。



「すべてのものは 過ぎ去り そして消えて行く 


その 過ぎ去り消えて行くものの 奥に在る 


永遠なるもののことを 静かに考えよう」



なんか、このblogの雰囲気にピッタリですね。