あの陽だまりは瞼の裏 | yukkiのFUN!FUN!MUSIC♪

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こんばんは。


今日は静かに。


今日12月3日は、母の命日です。もう、35回目になります。僕が高校3年の時。くも膜下出血でした。


もう4年ほど前に書いていますので、詳しいことは書きませんが、1980年という年は僕にとって最悪の年でした。

ポール(ウイングス)の初来日の武道館チケットを読売新聞本社前で数日徹夜して取ったのに、大麻所持で逮捕。そしてキャンセル。

当時はガキでしたから。「もうBeatlesなんて聴かない!」っと、レコードを全て押し入れにしまって、実際一度も聴かなくなりました。

大好きで、毎日聴いていたのにね。今にして思えばただの意地でしたから。かなりストレスも溜まっていたんだろうなあ。


母が亡くなって心身ともにまいっていたのでしょうね。葬儀が終ってすぐに寝込んじゃったんです。そこに突然飛び込んできた、ジョンの訃報。母が亡くなってから、たった5日後。12月8日。


正直、飲み込むことができなかった。

受け止められなかったです。

だから、この1年で起こったことは、今でも思い出そうとしてもどこか嘘っぽいんです。自分を自分が俯瞰して見ている様な感覚。

フワフワしているというか、現実感がないというか。

ただ、「母はもういないんだ」

それだけが唯一の現実で。

そんな想いでずっと過ぎてきた35年間だった気がします。


この曲を初めて聴いた時。

なんだろう・・・

ぶわあっと、目の前に浮かんだことがあるんですよね。


子供の頃、遊び疲れて帰ってきて玄関を開けた時、必ず味噌汁の匂いがしたコト。

インコが好きで飼っていた時、亡くなる度に僕よりも酷く落ち込んで泣いていたコト。

にんじんが嫌いな僕に、カレーやシチュー攻撃でこれでもか!っと食べさせられたコト。

「お父さんにはナイショだよ」と言って、実はトイレでたばこを吸っていたコト。

バレバレだったと思うけど。^ ^

中学の頃、「試験勉強する」って口実で友達の家に泊まりに行くと、必ず「ご迷惑をおかけします」と友達の家に電話を入れてくれていたコト。

高校の頃連絡もせずに友人と遊び倒して遅く帰ってきても、起きて待っていてくれたコト。

親父に張り倒された時は、何にも言わずに背中をさすってくれたコト。

お酒が弱いくせに、時々親父が晩酌してる酒を御猪口一杯もらって、美味しそうに飲んだ後、真っ赤な顔をして微笑んでいたコト。

手術前に暗い病室で親父と二人で面会したコト。

「じゃあね」って言って、笑って手を振っていた母。

それが最後に言葉を交わした瞬間だったコト。


やがて母も私もいなくなる

あの陽だまりは ああ 瞼の裏

やがて母も私もいなくなる

あの陽だまりは ああ 瞼の裏 瞼の裏


「あの陽だまりは瞼の裏」 松本佳奈 








母は「三笠山」みたいなどら焼きが好物で。

僕はあんこはダメなんだけど。

今日くらいはね。^ ^