この写真も記事の内容とは直接関係ないサラゴサのお城の写真
です。
「ミゲルの物語」第15話「人間の与えた痛み、神の与えた痛み(2)」
を投稿しました。
この話はカルロス修道院長の過去の話です。院長先生の過去を
知るために、フアンはロバの時よりももっと複雑な方法を使ってい
ます。こんなこと実際にできるのかどうかわかりませんが(笑)
そしてカルロス先生が修道士になった理由についてはニコラさん
の人生を参考にしました。2人とも最初は騎士を目指して武芸に
励んでいましたが、あることをきっかけに人の命を奪うことが耐え
られなくなる、そしてその時感じた痛みが人生を根底から変える
神の与えた痛みだと思っています。
カルロス院長は今の時代でいうなら共感性の高い繊細な人だと
思いました。人の痛みが自分のことのように感じられてしまうか
ら、反乱者や異端者の処刑を見るのが耐えられなくなってしまう
のです。昔はフアンのような特別な力を持った人間はもちろんの
こと、共感性の高い人間にとっても大変な時代でした。公開処刑
が当たり前のように行われていたあの時代、ほとんどの人間は
それが正しい行いと信じて何も感じないまま残酷な処刑を見物
していました。同情や共感などしたら逆に自分の命も狙われる
ような時代、人間が本来持っている感受性は失われ、正しい
信仰を守るという言葉で残酷さばかりが研ぎ澄まされていきま
した。
ミゲル・セルベート(1511-1553)が生きた時代、生まれ故郷のスペ
インでは反乱者や異端者の処刑が数多く行われていました。彼は
14歳の時にキンタナという名の修道士の小姓となりました。父は
跡継ぎになれない子に最高の教育を与えようと有名な学者の小姓
にしたのでしょうけど、師キンタナはスペイン王の告解司祭も務め
各地での異端者との話し合いに参加した人でした。少年時代の
ミゲルも師と一緒にスペイン各地に行っているので、異端審問や
処刑を目撃した可能性も高いです。キリストの言葉と実際に当時
のスペインで行われていることがあまりにも違い過ぎる、そのこ
とが聖書を読みふけって新しい考えを打ち出し、自ら本を書いて
独自の宗教改革を行おうとした彼の原動力になっているようにも
思いました。