http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080611-00000920-san-soci
6月11日12時39分配信 産経新聞
映画評論家の水野晴郎氏が10日午後3時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。76歳。岡山県出身。
水野さんは2歳で旧満州に渡り終戦を迎えた。1946年に引き揚げた直後に両親を失ったが、幼かった弟3人と妹1人の面倒を見ながら昼間は郵便局や本屋に勤め、夜は定時制高校に通った。
「風と共に去りぬ」や「カサブランカ」などの洋画に魅せられ、56年に上京。洋画配給会社「二十世紀フォックス」に入社し宣伝部長を務めて72年、独立し洋画配給会社「IP(インターナショナルプロモーション)」を設立した。
その間、慶応大学国文科を9年がかりの通信教育で卒業。71年10月から日本テレビ系「水曜ロードショー」の解説を担当。83年6月の参院選には新自由クラブ民主連合の名簿第3位で立候補したが、落選。記者会見で「いやぁ、選挙って奥行きの深いもんですね。厳しいもんですね」の名セリフを残した。
95年には念願だった初監督作「シベリア超特急」の製作を発表。自らは山下奉文大将役で出演。特急列車内で起こる殺人事件をサスペンスタッチで描き、山下大将が犯人を突き止めていく。娯楽作品だが、ところどころに反戦平和を訴える監督の思いが挿入されている。同作は「シベ超」の愛称でシリーズ化され、列車が動かない、安っぽいなどの批判が渦巻いたが、その一方でカルト的な人気を誇り、05年8月には石川県のローカル線「のと鉄道」に「シベリア超特急号」を走らせ、監督も乗車。長年の夢をかなえていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080611-00000920-san-soci
また一人 偉大な映画人が天に召された
この訃報 2ちゃんのニュース+のスレで知り
東スポだけが朝刊でスクープしたってことだったから
もしかしてガセ?と
でも 本当だった・・・・ショックです・・・・。
私が通うシネコン 秋田駅前のアルヴェ内「ルミエール秋田 」
ここは2004年7月 アルヴェのオープンと同時に
水野晴郎プロデュースで「パンテオンシネマズAKiTA」としてオープン
こだわりの椅子 全箱でドルビーデジタル対応
とにかく 快適度は抜群の映画館
すったもんだでいろいろあって 一時閉館
かなりの期間後 やっと別経営でオープンされた
水野晴郎さんは すでに関係者ではないものの
いい環境でいい映画が観られるのは
こだわってくれた水野さんのおかげで とっても感謝している
2004/10/2 「ローマの休日(デジタル・ニューマスター版)」を観に行った時
来館していた水野晴郎さんと ツーショットの写真まで撮っていただいたのだ
↓ その日の日記の一部
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3:30 ローマの休日の始まり
の 前に
このアルヴェの映画館「パンテオンシネマズAKITA」をプロデュースした 水野晴郎さんのトークがあった
ヾ(--;)ぉぃぉぃそこまでストーリー話していいのか?だったけど
子供の頃からずーっとテレビで見てた人が 目の前で話してる・動いてるに感動感激♪
そんな自分に またびっくり(笑)
お約束の「いやぁ 映画って本当にいいもんですねぇ」に 心の中でヾ(〃^∇^)ノわぁい♪と叫びました(笑)
シベリア超特急のTシャツを買った人にサインをしてた。
さすがにTシャツは要らないなと 遠巻きに見てたら
若い子達が携帯カメラを向けてるのを目撃。
あっ あたしもデジカメ持ってたんだと思い出し
ここはホレ大人だもん
撮った撮ったとはしゃぐガキとは行動が違うのよん
ご本人に 写真撮らせていただいていいですか?と確認をとり
にこっと笑顔で いいですよと言ってもらい これがマナーでしょよね。
カメラを構えようとしたら 隣にいた さっきパンフを売ってくれた係りの人が 一緒に撮りますよと言ってくれて ツーショットでおさまりました♪v(。・・。)イエッ♪
なんとも 思いがけずのドキドキ!!
いつまでもお元気で頑張って下さいと話し
握手をしていただきました♪
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本当に思い出の貴重な1枚の写真になってしまいました
とっても寂しいです
心からご冥福をお祈りします。
YouTube - 水野晴郎さん、さようなら
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