<映画監督>熊井啓さん死去 社会派映画の巨匠
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070523-00000062-mai-soci
5月23日14時19分配信 毎日新聞
「日本の黒い夏 冤罪(えんざい)」などの骨太の社会派映画で日本現代史を問い続けた映画監督、熊井啓(くまい・けい)さんが23日までに死去した。76歳だった。葬儀の日取りと喪主は未定。
長野県生まれ。信州大卒業後、独立プロの助監督をへて1954年、製作を再開した日活に入社。64年、「帝銀事件・死刑囚」で監督デビュー。実際の事件を徹底した取材と推理で検証し、犯人とされていた平沢貞通死刑囚を無罪とする立場で事件をドキュメンタリー風に再現した。68年には三船・石原両プロ提携の「黒部の太陽」を監督。黒四ダム建設をダイナミックに描いた。69年フリーに。
71年出血症胃病で倒れるが、1年半かけて三浦哲郎の「忍ぶ川」を映画化。作風を一転させた女性映画で、毎日映画コンクール日本映画大賞などを受賞した。74年「サンダカン八番娼館・望郷」でも女性を描き、米アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。80年には「天平の甍」で戦後初の中国ロケを敢行。「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」(81年)で再び戦後史の謎に挑み、「海と毒薬」(86年)では第二次世界大戦中の生体解剖事件を題材に、日本人の精神構造を鋭くえぐり、再び毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞。「千利休・夲覺坊遺文」(89年)や「深い河」(95年)など、信仰や人間存在についてテーマを深めていく。
97年には「愛する」でハンセン病問題を取り上げ、00年「日本の黒い夏 冤罪」では松本サリン事件を題材に、冤罪が生まれる過程をリアルに描いた。デビュー作以来映画で社会を問い続ける姿勢が変わることはなかった。02年には黒沢明監督が残した脚本を元にした「海は見ていた」を監督した。
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この訃報を聞いて
ふと・・・最近の日本映画に こういう社会派の深い作品は減ったんじゃと思った
娯楽性が強く キャストは演技力より話題性
自分的にも娯楽性で選んでしまう部分あるけど
たまにはガッツリ社会派作品も必要なんだよな・・・と。
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