訃報:実相寺昭雄さん69歳=映画監督
「ウルトラマン」「帝都物語」などで知られる映画監督の実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが29日午後11時45分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。69歳。葬儀は12月2日午前10時半、文京区湯島4の1の8の麟祥院。自宅は非公表。喪主は妻で女優の原知佐子(はら・ちさこ=本名・実相寺知佐子)さん。
早稲田大卒業後、1959年、ラジオ東京(現TBS)に入社し、ドラマの演出をへて映画部に転属。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの演出を手がけ、69年「宵闇せまれば」で映画監督デビュー。TBS退社後、「無常」「あさき夢みし」など、実験的作品を発表した。陰影を強調した奇抜な構図や、エロチシズムを追求した作品で、根強い人気を獲得した。
88年「帝都物語」、98年「D坂の殺人事件」、05年「姑獲鳥(うぶめ)の夏」などの小説の映画化や、「アリエッタ」「ラ・ヴァルス」などエロチシズムを描いた作品を精力的に監督。夏目漱石の小説が原作のオムニバス映画「ユメ十夜」の一編、自身が演出したテレビ番組を映画化した「シルバー假面(かめん)」を監督し、公開予定だった。
舞台やオペラの演出、「ウルトラマンのできるまで」などの著作も多数。東京芸術大学名誉教授。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20061130k0000e060016000c.html
|
|
|
|
民話を基にした名作「夕鶴」や壮大な叙事詩劇「子午線の祀り」など戦後演劇を代表する戯曲を書いた劇作家、小説家の木下順二(きのした・じゅんじ)さんが10月30日に肺炎のため死去していたことが、29日分かった。92歳。葬儀は遺志で行わない。自宅は東京都文京区向丘2の23の4。
東京・本郷に生まれ、小学4年から中学、高校(旧制五高)まで熊本で過ごした。東京大英文科でエリザベス朝演劇、特にシェークスピアを専攻。1939年に召集され、入営の前夜に、西南戦争直前の熊本を舞台に苦しみ抜く青年群像を描いた第1作「風浪」(戦後に岸田演劇賞受賞)を書き上げ、病気を理由に即日帰郷した。1941年に東京大大学院修了。
第二次大戦中は「彦市ばなし」「昔話鶴女房」(「夕鶴」の原形)など民話を題材とした戯曲を書いた。敗戦後、これらの戯曲は次々と発表、上演され、戦後演劇の記念碑的な作品となった。特に「夕鶴」(毎日演劇賞受賞)は、山本安英さん(93年死去)が49年の初演から、つうを1037回も演じて、国民的演劇として親しまれた。97年からは坂東玉三郎さんが女形で再演している。
戦後の新劇運動、平和運動などで主導的立場に立って、強い実験精神に支えられながら、歴史と人間との鋭い緊張関係を描いた。ゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実を主人公とした「オットーと呼ばれる日本人」、沖縄の祖国復帰をめぐる問題を追究した「沖縄」、戦争責任をテーマとした「神と人とのあいだ」(第1部「審判」、第2部「夏・南方のローマンス」)など秀作が続く。その先に、「平家物語」を題材に宇宙と個人の対立を力強く描き切った傑作「子午線の祀り」(78年)が結実した。
長編小説に「無限軌道」「本郷」など。全16巻の「木下順二集」と全8巻の翻訳「シェイクスピア」で89年度の毎日芸術賞を受賞。趣味の馬術を生かした随想集「ぜんぶ馬の話」が読売文学賞を受けた。84年に芸術院会員に選ばれた時は「一介のもの書きでありたい」と辞退している。
▽演劇評論家、大笹吉雄さんの話 さまざまな作品から三つあげるとすれば、民話劇の「夕鶴」、歴史劇の「オットーと呼ばれる日本人」、古典を現代化した「子午線の祀り」が代表作でしょう。戯曲や評論、翻訳など、さまざまな形で日本語の美しさを追いかけた方でした。戦後を代表する進歩的文化人でもあったと思います。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20061130k0000m060176000c.html
|
|
|
|
子供の頃から親しんだ作品を作った方たち
んんー。。。。。寂しいですね。
ご冥福をお祈りします。
![]() |