オリックス・清原は4番がよく似合う、 史上12人目の通算4000塁打を記録した清原
(交流戦、オリックス2-0横浜、1回戦、オリックス1勝、26日、大阪ドーム)奥歯にぐっと力を入れ力強くバットを振り抜いた。高く舞い上がった打球が右翼席に飛び込む。二回先頭の清原が、4月18日以来の3号。これが4000塁打達成のメモリアルアーチになった。
横浜のエース、三浦の144キロをフルスイング。「振ったところにボールが来てくれた。打った瞬間入ると思った」。巨人時代に対戦していたときに比べ、三浦の球速が増したと清原は言う。「彼のすごさは身に染みて感じている。いい投手から本塁打を打てるのは、何本分もの価値がある」と喜びをかみしめた。
プロ21年間でタイトルには無縁。コツコツと積み上げてきた4000塁打にも「あまり意識はしていなかった」。
それよりも左内転筋のけがで離脱し、迷惑をかけたという思いが強い。「チームが悪いときに何もできなかった。苦しくてしょうがなかった」。復帰後は21日に1500打点をマーク。そしてこの日は本塁打。清原には、4番にドッシリ構える姿が、よく似合う。
移籍後初の大阪での試合。そして今季初のお立ち台で、まずは「みなさんこんばんは。清原です」とあいさつ。そして「東京ドームと違って温かい。うれしいです。あしたもフルスイングします」。沸き上がる地元のファンに向けて、何度もこぶしを突き上げた。
★清原、史上12人目の通算4000塁打!
オリックスの清原和博内野手(38)が26日、横浜1回戦(大阪ドーム)で、プロ野球12人目となる通算4000塁打を記録した。
達成にあと「1」に迫っていた清原は、二回に三浦から右越え本塁打を放ち達成した。プロ初塁打は西武時代の1986年4月5日の南海(現ソフトバンク)戦で、藤本修二投手から本塁打を放って記録している。
プロ野球記録は5862塁打の王貞治で、清原は4015塁打の山内一弘に次ぐ12番目。現役選手では最多となる。
★1球悔やむ横浜・三浦
交流戦に入り3連勝中だった三浦が、今季4敗目を喫した。
2失点で完投したが、やはり悔やむのが二回に清原に打たれた本塁打。捕手は内角に構えたが、外角に流れた速球を運ばれ「逆にいってしまった。チームが連敗中だったし、絶対に先制点を与えたくなかったのに…」と唇をかんだ。
http://www.sanspo.com/sokuho/0526sokuho051.html
歴代最高記録 通算記録(塁打) - 上位30選手。日本野球機構
1 | 王 貞治 | 5862 | (1959-1980) | 2831 | 9250 | ||||||
2 | 野村 克也 | 5315 | (1954-1980) | 3017 | 10472 | ||||||
3 | 張本 勲 | 5161 | (1959-1981) | 2752 | 9666 | ||||||
4 | 門田 博光 | 4688 | (1970-1992) | 2571 | 8868 | ||||||
5 | 衣笠 祥雄 | 4474 | (1965-1987) | 2677 | 9404 | ||||||
6 | 長嶋 茂雄 | 4369 | (1958-1974) | 2186 | 8094 | ||||||
7 | 山本 浩二 | 4361 | (1969-1986) | 2284 | 8052 | ||||||
8 | 落合 博満 | 4302 | (1979-1998) | 2236 | 7627 | ||||||
9 | 土井 正博 | 4178 | (1962-1981) | 2449 | 8694 | ||||||
10 | 大杉 勝男 | 4030 | (1965-1983) | 2235 | 7763 | ||||||
11 | 山内 一弘 | 4015 | (1952-1970) | 2235 | 7702 | ||||||
12 | * | 清原 和博 | 3999 | (1986-2006) | 2269 | 7644 | |||||
13 | 秋山 幸二 | 3927 | (1981-2002) | 2189 | 7997 | ||||||
14 | 福本 豊 | 3846 | (1969-1988) | 2401 | 8745 | ||||||
15 | 大島 康徳 | 3716 | (1971-1994) | 2638 | 8105 |
http://bis.npb.or.jp/history/ltb_tb.html
すごいねぇ清原
ずーーっとずーーっと現役でいて欲しい選手の一人だね