いや、そのう、「創作メモ」って言っても、普段それが意味しているものとはだいぶ違う話なんですが。
こないだブログ書いてからもう一ヶ月になるんだなぁ、というわけで、生存証明に何か書こうかと。
ちょっと前になりますが、「第9地区」が地上波でやってましたよね。
改めて見たのですが、やっぱりこの作品は面白い、と感心しました。
まだアパルトヘイトが続いていた頃の南アフリカの普通の市民は、いったいどんな人々だったのか。
善良で家庭的な好人物であることと、レイシストであることとは、どのように両立していたのか。
黒人からではなく、白人から見たアパルトヘイトのありようが、良く判らないなりにも感じ取れた作品でした。
この作品、続篇があるとしたらどんな作品でしょうか。
やっぱりあれかな。
黒人から見たアパルトヘイト、とか、アパルトヘイトの撤廃が南アフリカ市民にもたらしたインパクトとか、そういうことを表現するんでしょうかね。
どんなストーリーになるんだろう。
とかなんとかいろいろ考えていたら、なにやらストーリーが浮かんできてしまいました。
というわけで、突然ですが、「第9地区」続篇の「第10地区」、妄想あらすじ書いちゃうよ!
「第9地区」のネタバレを含むので、まだ見てないのヒトはここでさよならです。
「第10地区」 ― 続篇はこんなのがいい ―
3年待っても5年待ってもクリストファーは帰って来ませんでした。
第10地区に移されたエビ達でしたが、人間達からの締め付けは日増しに厳しくなりました。
エビ化したヴィカスも、以前の同僚達に、そうとは気付かれぬまま、苦しめられる日々を送っていました。
そんなある日、ヴィカスは、不幸な偶然から、査察に訪れたMNUの行政官に大怪我をさせてしまいます。
通報を受けて急行してきたMNUの傭兵に射殺されそうになるのですが、間一髪のところで、他のエビ達に助けられました。
この頃のエビ達は、反人間組織を作っており、ヴィカスを助けたのもそのメンバーでした。
組織は武装蜂起を計画しており、ヴィカスも協力を求められました。
ヴィカスは内心反対なのですが、周囲の雰囲気に圧倒されて言い出せません。
成り行きで参加することになってしまいました。
蜂起の日。
ナイジェリア人グループのキャンプを襲って武器を手に入れたエビ達は、市街地を目指して進撃を始めました。
行く手を阻むのはMNU…かと思いきや、なんと、アメリカ軍でした。
彼らは、エビの武器を無効化するシールドを開発していました。
5年の歳月の間に、人間もエビのことを随分研究したのです。
エビの武器のサンプルも各国で研究され、一部は軍や警察に採り入れられ始めていました。
アメリカ軍は、組織の指導者を含むエビ部隊の先頭集団を速やかに殲滅し、エビ達の武装蜂起はあっさりと鎮圧されてしまいました。
蜂起に加わり、捕らえられたエビ達は、残らず処理されるのかと思いきや、意外なことを聞かされます。
エビ達は隔離キャンプから解放されることになったというのです。
これからは、エビ達も、職業に就いたり、キャンプ以外の場所に住居を構えたり、子どもを育てたりすることができるのです。
ただし、その条件として、自治組織を作ることと、そのリーダーが、人間と友好的な協力関係を築くことを求められました。
ヴィカスが第10地区で食うや食わずの暮らしを強いられていた間、南アフリカの現状に対して、国外から強い圧力がありました。
MNUだけがエビの科学技術を独占していることに、多くの国々が気付いたのです。
エビの社会は、ある規模の群れに対して、一定数の個体が急激に知性を増大し、指導者として機能し始めるようになっているのでした。
このような働きは、ある種の昆虫社会と似ています。
実はクリストファーも、そのようにして知性を獲得した個体でした。
各国は、必ず現れるはずのエビの指導者と交渉することで、異星の進んだ科学技術をより多く吸収しようと目論んでいました。
エビに好条件を示すのも、エビの指導者とパイプを構築しようとするのも、すべてその目的のためです。
結果として南アフリカがどういう状況になるかについて、彼らは興味がありませんでした。
MNUが数日前に契約を解除され、南アフリカから追い出されたのは、その方針に従おうとせず、障害になると判断されたからでした。
反人間組織の指導者だった個体を失ったエビ達は、知性が高くて人間の言葉が得意らしいヴィカスを、次のリーダーに担ぎ上げました。
ヴィカスは、内心はイヤでした。
移動の自由があるのなら、妻の近くで見守りたい、そう思っていたのです。
しかし、知性を増大させた個体が指導者の役割を果たそうとしない場合、群れはその個体を殺して別の個体が指導者に育つのを待つ習性があるらしいことが判ったため、逃れることができなくなってしまいました。
一方、許可を得て町に出たエビ達の中には、これまでの仕返しとばかりに、人間との間にトラブルを起こす連中が増えました。
特に、反人間組織の元メンバー達には、人間を皆殺しにしようと、ヴィカスに詰め寄る者がいました。
ヴィカスは、それにはもちろん反対なのですが、そう明言したら何をされるか予測がつかず、生返事しかできませんでした。
ましてや、自分が元々人間でMNUの職員だったことなど、決して知られるわけにはいきません。
そんな折、ヴィカスは、自分の妻が一匹のエビに脅されている現場に出くわしました。
ヴィカスは止めに入ったのですが、ヴィカスの言葉は妻には通じません。
妻は、後から現れたエビが夫だとは知る由も無く、携帯していた拳銃でヴィカスともう一匹のエビを撃ち、走って逃げていきました。
怪我をしたヴィカスでしたが、かえって意を強くしました。
いつか妻の近くに戻るためには、人間とエビとが平和に共生する社会を作らなくてはならないのだと気付いたのです。
彼は、エビと人間の共生をテーマに、エビ社会をまとめる努力を始めました。
ヴィカスの努力は徐々に報われ始め、やがてエビ社会に秩序らしきものがもたらされていきました。
もうすぐ夢が叶う。
そう思った矢先、エビの母星から、宇宙船の大艦隊が地球にやってきたのでした。
つづく!
つづくの??
先週の月曜日に映画を見に行ってきました。
今回も、何を見ようかずいぶん迷ったんですなー。
前の週から加わった選択肢は、まずは「ジョン・カーター」。
原作であるバローズの火星シリーズは、子供の頃に良く読んでましたから。
ただ、これ、ストーリーを知っているという意味では、急いで見なくても、な感じがしちゃって。
それよりも、「バトルシップ」がめちゃくちゃ面白そうです。
戦争モノ大好きなんですよ。
よっぽどこれにしようかと思ったんですけど。
しかしこれも、わざわざスクリーンで見なくても日曜洋画劇場でいい種類のフィルムかなー、と思い、結局「ヒューゴの不思議な発明」にしました。
アカデミー5冠ですからなー。
うちのテレビは3Dじゃありませんし。
スクリーンは、109シネマズMM横浜。
初めて利用します。
地下鉄の出口のすぐ前なので、建物はすぐに見つかるのですが・・・。
ロビー・フロアへの行き方が極めて分かりにくく、しばらくうろつきまわってようやく分かりました。
レストランへの入り口だと思っていたエスカレーターが実はそれでした。
なんかこう、「109シネマズ」みたいなことが書いてある表示が館内のどこかにあるといいと思うのですが。
それで、アカデミー5冠を見てきたわけなんですけど・・・。
レビューを書こうかどうか散々悩んで、やっぱり書くことに。
いつものように、ネタバレだらけなので、未見の方はここでお別れです。
で、あらすじを書くんですが。
なんというか、見たヒトなら分かると思うんですけど、あらすじにしちゃうと軽くポルナレフ。
ともあれ、ありのまま今起こったことを話すぜ。
1930年代のパリ。エトワール広場を見下ろすモンパルナスの駅舎の時計台の裏には、一人の少年が隠れ住んでいました。名はヒューゴ・カブレ。駅舎内に点在している時計のネジを巻いたり油を差したり緩んだネジを締め直したりするのが日課です。もともとそれは、彼の叔父であるクロードの仕事だったのですが、数ヶ月前に姿を消してからはヒューゴが引き継いでいます。
その頃のパリでは、第一次世界大戦で生まれた戦災孤児が社会問題化しており、身寄りの無い子供は孤児院に収容されていました。クロードは、父を亡くしたヒューゴを引き取りはしたものの、学校にもやらずにこき使ってきました。それでもヒューゴがここにいられるのは彼のおかげです。孤児院に行きたくないのなら、クロードが元気で働いているように見せなくてはなりません。幸い、修理工は、駅舎内の入り組んだ迷路のような専用通路を行き来する仕事です。他の職員と顔を合わせることは滅多にありません。彼らは、ヒューゴがそこに住んでいることすら知らないのです。それに、そもそもヒューゴは機械いじりが大好きです。お父さんが時計職人でしたから。今も、時計のメンテナンスとは別に、壊れた機械人形を少しずつ修繕し続けています。それは、生前お父さんが博物館から譲り受け、こつこつと直し続けてきたもの。お父さんの形見なのです。
駅構内におもちゃ屋がありました。ある日、ヒューゴは、そこの店主とトラブルになり、手帳を取り上げられてしまいます。お父さんが人形の直し方を書き留めた、大切な手帳です。ヒューゴは、店主の養女イザベルと友達になり、その助力を得て、おもちゃ屋の商品の修理を手伝うことで手帳を返してもらえることになりました。
ようやく機械人形の修理を終えたヒューゴでしたが、期待したようには動きませんでした。動かすには、専用のハート型の鍵が必要らしいのです。人形を修理できれば、人生の転機が訪れるような気がしていたヒューゴは、深く失望しました。ところがある日、全くの偶然から、イザベルがハート型の鍵を肌身離さず持っていることが分かりました。借りて差し込んでみると、人形は動きだし、紙の上に絵を描きました。それは、ヒューゴが幼い頃にお父さんから聞かされた覚えのある映画「月世界旅行」の中の有名な1シーンのスケッチでした。お父さんからのメッセージなのでしょうか? しかし、絵の右下には、「Georges Méliès」の署名が見えます。ジョルジュ・メリエス。イザベルの養父、おもちゃ屋の店主の名です。
二人は謎解きを始めました。イザベルの家で箪笥を調べていると、大量のスケッチが隠されているのを発見しました。ところがその現場をジョルジュに見咎められてしまいます。叱られるかと思いきや・・・。ジョルジュは、憔悴し、悲嘆し、出て行ってくれるようにと懇願するばかりでした。彼はその後、体調を崩し、ついにベッドに臥せるようになってしまいます。
二人は映画アカデミー図書館を訪ねました。そこで映画学者ルネ・タバールと知り合い、イザベルの養父ジョルジュこそ、「月世界旅行」を制作した、黎明期のフランス映画界における伝説の映画監督、ジョルジュ・メリエスその人であると知りました。機械人形は、かつてジョルジュが作り、博物館に寄贈したものだったのです。
ジョルジュは、数多くのフィルムを通じ、人々に夢を届けてきました。ところが、第一次世界大戦を境に、人々が映画に求めるものは大きく変質してしまいました。負債を抱え、事業を失った彼は、映画に失望し、背を向けたのでした。世間も彼を忘れ、ジョルジュは戦死したものと思われていました。
ヒューゴは、ジョルジュの壊れた心を修理しようと思い立ちました。ジョルジュの熱心なファンでもあるタバールの協力を得て、たったひとつだけ残っていたジョルジュのフィルムを、ジョルジュの家で上映しました。昔の自分の作品を喜んでくれる人がまだいることに勇気付けられたジョルジュは、再び映画に向き合う心を取り戻したのでした。めでたしめでたし。
いろいろ端折り過ぎてる感じはしますが、「あらすじ」って言うと、こうなっちゃいますよね。
つまり本作は、サイド・ストーリーが豊富なお話なのだと思います。
原作はブライアン・セルズニックの「ユゴーの不思議な発明」。
「ヒューゴ」は英語読みです。おフランスではHは発音しませんから、Hugoは「ユゴー」なんですね。
本作は、(ほぼ)イギリス人俳優の演じるイギリス語のフィルムですから、日本語版の表記は「ヒューゴ」でいいのかな。
そのわりにメリエスの名前が「ジョージ」じゃなくて「ジョルジュ」だったり、その奥さんは「ジーン」じゃなくて「ジャンヌ」だったりしてるのは一貫しない感じもしますけどまあいいか。
わたしは原作は未読なのですが、書評などからすると、上の「あらすじ」の部分に関してはほぼ同じであるようです。
ただし、物語の舞台はモンパルナス駅ではなくリヨン駅になっているそうです。
(リヨン駅はセーヌ川沿いにあって標高が低いので、エトワール広場の凱旋門を見通すことはできません。手前に旧テュイルリー宮の凱旋門がありますし。もしも見えたとしても、リヨン駅は凱旋門から見てシャンゼリゼ通りのほぼ延長線上にあるので、駅に正対して見えるはずです。作中のように、凱旋門を斜め上から見下ろす角度になるのは、丘の上にあるモンパルナス駅しかないのです。)
ところで、「不思議な発明」って書いてあるのに、作中ではヒューゴは何も発明しないのですが、原作ではちゃんと発明しているそうですね。
フィルムのタイトルが、原題の「The Invention of Hugo Cabret」ではなく、単に「Hugo」なのは、そのためもあるのでしょう。
監督は、「ディパーテッド」のマーティン・スコセッシ。
スコセッシというと、ギャング映画という印象しかなかったのですが、ノーランばりのサイコ・ミステリーだった「シャッター・アイランド」では新境地開拓という感じがして、見直したのを覚えています。
本作も大いに期待したのですが、もちろんギャングではなく、さりとてサイコ・ミステリーでもない、新たな方向性です(だと思います)。
こういう風に次々と自在に出てくるのは、円熟期に入ったのかな、と思わされます。
脚本はジョン・ローガン。
「グラディエーター」も「ラスト サムライ」もこの人です。
スコセッシ作品は「アビエイター」以来ですね。
こないだ見た「英雄の証明」もこの人のホンでしたが、そういえばアレはちょっと残念な感じだったような。
そして本作は・・・、どうなんだろう。
かなり分かりにくいホンだと思うんですが、どうでしょう。
ご都合主義の塊なのは、映画だからしょうがないですが。
ホンが粗過ぎて、肝心のジョルジュに、どうも感情移入できません。
職業として芸術家をやってると、いろいろあるのであろうことは察しがつきます。
ジョルジュも、たぶん、いろいろあったんでしょう。
映画が嫌いになることだってあるだろうし、世間の人がみんな自分を嘲っていると思い込んでしまう心理も、分かる気はします。
しかしそれでも、わたしには良く分かりません。
年端も行かない子供二人に自分の過去がバレたからといって、何故この世の終わりが来たかというほどに嘆き、体調を崩してしまうほど苦しんでしまうのか。
まるで、母親を殺したのは自分だと、娘に知られてしまったかのようです。
かつて映画制作に携わっていたというのは、それほどの大罪なんでしょうか?
そして、それほどのトラウマを持ちながら、何故たった一度の映写会で立ち直れたのか。
フィルムからは、そのあたりの事情が見えてきません。
ジョルジュの反応は不可解で、その理由は最後まで謎のままです。
ジョルジュの秘密が良く分からないので、本作に込められたメッセージも、ボヤけた印象です。
本作には、「行動が道を切り開く」というモチーフが繰り返し現れます。
例えば。
駅の治安を預かる鉄道公安官が出てくるのですが、彼には想いを寄せている女性がいます。
二人の間がなかなか進展しないのは、彼が戦争で受けた傷でびっこをひいているために、自信を失っているからでした。
物語の終盤、彼はヒューゴの絶体絶命の危機を勇敢な行動で救うのですが、そのことが彼の人生の転機にもなります。
ヒューゴもそうです。
彼は確かにかわいそうな身の上でしたが、それに甘んじている部分もありました。
それが、ジョルジュに対して積極的にお節介を焼くことにより、境遇が一変することになりました。
自分の置かれた理不尽な境遇を嘆くばかりでなく、一歩踏み出して自分にできることをしよう。
このフィルムに篭められているのは、おそらくそういうメッセージなのでしょう。
とすればジョルジュも、勇気を奮い起こして行動したことで、映画への情熱を取り戻せました、となるべきだと思うのですが。
ところが、どうにも他力本願な印象なのです。
世界規模の戦争が、映画を含む娯楽産業全体に与えた損失は、大きかったでしょう。
しかし、その中でも映画を作り続けていた人はいました。
他の誰かにはできたことが、フランスでも有数のフィルムメーカーであったはずのジョルジュには何故できなかったのか。
そして今また熱烈な支持者たちに手取り足取り立ち直らせてもらいました。
このホンからは、状況を改善するために彼自身がなした努力の跡が見えて来ないのです。
原因が、原作にあるのかローガンにあるのか、わたしは原作を読んでいないので良く分かりません。
しかしどうも、そもそもわたしはローガンとの相性があまり良くないのかもしれません。
どのホンも、物語の肝心のところで、キャラの振舞いに唐突な印象を受けてしまいます。
アカデミーでは、原作の無いオリジナル脚本は脚本賞に、原作ありだと脚色賞に分類しています。
本作は脚色賞にノミネートされました。
が、それは結局「ファミリー・ツリー」に与えられました。
オスカーがすべてってわけじゃありませんが、同じように感じたヒトがアカデミーにもいたのかな、と思うと、少し共感するところがあります。
ジョルジュ・メリエス役は、名優ベン・キングズレー。
「ガンジー」でオスカーを取っている演技派です。
わたしは、「シャッター・アイランド」で、難しい役を好演したのが強く印象に残っています。
謎の多い人物をやらせると実に上手いですなー。
ジョルジュは、店先からぜんまい仕掛けのネズミの玩具をくすねようとしたヒューゴを捕まえ、ポケットの中のものを全て出させました。
右のポケットからは、小さな歯車やぜんまいなどの機械部品が出てきます。
「もう片方も出しなさい。さもないとおまわりさんを呼ぶぞ」
大人の余裕で脅します。
すると左のポケットからは、一冊の手帳が出てきました。
その手帳を手繰り、中を検めたジョルジュの様子は一変します。
ヒューゴに、手帳を書いた人物が誰なのかを問い詰める様子からは、さっきまでの余裕は完全に失われていました。
おもちゃ屋の店主とヒューゴの出会いがとても重要なできごとであることが、スクリーンのこちら側にも伝わってくる、見事な演技でした。
ヒューゴ・カブレ役には、エイサ・バターフィールド。このとき14歳だそうです。
初めて見たのですが、子役にありがちな過剰演技をしない、大人びた俳優だと思いました。
ヒューゴは、現代風に言えば「引きヲタ」でしょう。
こうした人種に特有の、自信が無く、挙動不審で、規範意識が低い感じが良く出ています。
まるでわたしの子供の頃のようです。
この演技はいったい誰がつけたんですかねぇ。
それがスコセッシだとしても、バターフィールド本人のアイディアだとしても、驚きです。
ヒロインのイザベル役にはクロエ・グレース・モレッツ。
居並ぶ英国人俳優の中にあって、数少ないアメリカ人です。
厚めに塗った唇がとても魅力的な顔立ちで、くりくりと良く動く目の演技が特徴的ですね。
バターフィールドと同じ1997年生まれですが、少しだけ背が高いのかな?
デビューも2年早かったみたいですね。
その分キャリアも豊富で、ここに書ききれないほどの賞をもらったりノミネートされたりしているようです。
いわゆる天才子役ですかなー。
本作では、役柄的にもそうですけど、演技的にもヒューゴを引っ張ってる感じ。
頼もしいお姉ちゃんです。
バートンの「ダークシャドウ」にも出てますね!
イザベルが贔屓にしている書店の主、ムッシュ・ラビス役には、ブリティッシュ・レジェンド、クリストファー・リー。
あるときはスター・ウォーズのドゥークー伯爵、はたまたあるときはロード・オブ・ザ・リングの白のサルマン。
しかしてその実体は、アリス・イン・ワンダーランドのジャバウォッキーの声もやってたりするのです。
世界で最も多くの映画に出演した俳優としてギネスブックに載ってるそうです。スゴイネ
しかしこの、ムッシュ・ラビスの意味は、わたしには良く分かりませんでした。
だって、パンフレットの「STORY」のページに、「ラビス (クリストファー・リー)」の文字列が出てこないほどのチョイ役なんですよ。そのチョイ役にクリストファー・リー!
それは、クリストファー・リーの出番を作るために役が一つ必要だったのさ、と言われるのならば、なるほどね! で終了なのですが。
つまり、彼が出てる映画はいい映画だってことです。
映画学者ルネ・タバール役にはマイケル・スタールバーグ。
数少ないアメリカ人俳優その2。
彼の登場シーンでは、思わずハッとしました。
スコセッシを30歳くらい若返らせてヒゲを生やさせたら、こんな感じじゃないでしょうか。
おそらくタバールは、映画が好きで好きでしょうがなくて、それで映画学者になっちゃったような人物でしょう。
スコセッシもそうですよね。彼は映画ジャンキーであることで有名です。
きっとメリエスのフィルムも大好きなんでしょう。
もしかしたら、自分の若い頃に似た風貌の俳優をキャスティングしたのでは、と思いました。
ちなみに、本作にはスコセッシ自身もカメオで出てるそうですね。
全然気が付かなかったー!
ヒューゴとイザベルがタバールと出会った「映画アカデミー図書館」ですが、パリ近郊にそんな施設があったかなぁ、と思って、少し調べたのですが。
見つかりませんなー。
海外の映画ファンたちのブログでは架空の施設とされてるようなので、そうなのかもしれません。
だとすれば、ビバリーヒルズのマーガレット・へリック図書館をモデルに創作されたんでしょう。
こちらのページによると、ロケ地はBibliothèque Sainte-Genevièveであるようです。
ホームページはこちらですが、美しい図書館ですね。
ヒューゴの天敵の鉄道公安官役にはサシャ・バロン・コーエン
駅の中を一人で歩いている子供を見たらとっ捕まえて孤児院に放り込んでしまうというものすごいキャラなのですが、別に狂ってるわけではありません。
ただ、3D映像の効果がものすごいのと、コーエンの演技がキレキレなので、狂ってるように見えるかもしれませんけども。
サイド・ストーリー担当なので、上のあらすじからはばっさりカットしちゃってますが、この鉄道公安官(と、リチャード・グリフィス演じるムッシュ・フリック)は、この物語が何を伝えたいのかをはっきりさせる、けっこう重要な役です。
しかもこの役、真面目で職務熱心な鉄道公安官であり、肉体的な変化に心がついていけていない傷痍軍人であり、恋に悩む不器用な体育会系であり、その実、勇敢な男であり、その内面は実に複雑で、場面場面で様々な顔を見せるのですが、コーエンはそれを見事に演じています。
実に素晴らしい。
ヒューゴのお父さん役には、ジュード・ロウ。
「シャーロック・ホームズ」でのワトスンは、実に斬新で印象に残ってますなー。
そのワトスンであれだけ強調していた男っぽさを、今回は完全に(でもないけど)消し去って、やさしく真面目な父親を演じています。
幅の広い役者ですなー。
あと、ナルシッサ・マルフォイとかオリンペ・マクシームとかが出てたような気がするけどごっそり割愛。
ああ、そうだ。
パンフレット読んでて、ナルシッサがぼくより年下であることに気が付いてちょっと凹みました。
さて、本作はアカデミー5冠なのですが、どの部門かというと、撮影賞、美術賞、視覚効果賞、録音賞、音響編集賞なんですね。
主に視聴覚効果に関する部門です。
わたしも3Dで鑑賞しましたが、いやはやスゴいもんですなー。
こんな3D初めてみたアルヨ!
冒頭のシーンは、小雪の舞い散るパリの街を俯瞰で回していくんですが、雪がわたしの頭や肩にかかってくるようです。
モンパルナスから見下ろす1930年代のパリの夜景も実に美しい。
サシャ・コーエンの顔のドアップでは、背景がだんだんと奥に引っ込んでいって、ずいずいと前に出てくる感じがします。
子供が見たら泣き出すレベル。
しかし、いわゆる主要部門の受賞がひとつもないんですね。
作品賞、監督賞、作曲賞、衣装デザイン賞にもノミネートされていたのですが、それらは同じくアカデミー5冠の「アーティスト」に与えられました。
他はともかく、無声作品に作曲賞を攫われるなんてのは笑い話ですなー。
「アーティスト」は厳密には無声じゃないってことではあるんですけども。
本作と「アーティスト」とは、同じく無声時代の映画を題材にしているにも関わらず、いろんな意味で対照的だと思います。
「アーティスト」は、フランス人監督がフランス人俳優で撮ったフランス映画でしたが、物語の舞台はハリウッド。
対する本作は、ハリウッド監督が主にイギリス人俳優を使って撮ったアメリカ映画ですが、舞台はパリです。
「アーティスト」は俳優の物語で、本作は監督の物語。
何故作品賞が「アーティスト」に行ったんですかなー。と考えると、
「アーティスト」はオリジナル脚本。本作は原作付き。
というところが罠だったのかも。
オリジナル脚本だから、「アーティスト」の方が、数々の「遊び」を作品に仕込む自由度が高かったです。
それらのすべてがモノクロ時代の映画に捧げられていたことも。
本作にも遊びはたくさんあるんです。
ジャンゴ・ラインハルトが出てきてたり、1895年のモンパルナス駅の列車事故を再現してたり。
でも、必ずしも映画の歴史とは関係ないものもありましたね。
アカデミーのおじいちゃん達には「アーティスト」の方が受けたであろう、という風評が立つのも無理からぬところ。
しかしわたしとしてはむしろ、ここが決め手だったかもしれません。
「アーティスト」は、主人公が新しい環境に飛び込んで道を切り開くエンディング。
本作は、古き良き日々を人々に思い出してもらうことで救いを得るエンディング。
一歩前に踏み出す勇気も、ときどき立ち止まって後ろを振り返り懐かしむ時間も、どちらも人間には大切だろうとは思いますが、今の時代にマッチしたメッセージは、どっちですかなー。
あと、
「アーティスト」はモノクロ無声で、本作はカラー3D。
というのも、今更ですが、重要な点です。
「無声の時代は良かったね」というシャシンを撮りたいんだったら、当然、前者でいくべきですね。
ロジカルです。
スコセッシだって(プロデューサーに)許されるならそうしたかったでしょう。
ああ、でも、それってつまりジョニー・デップなのか。
なら、「いいですよ」って言っちゃいそう。
まあ、でも、それじゃ興行的に如何にも弱い。と思いますよね、誰でも。他の二人のプロデューサーも。
170ミリオンのビッグ・バジェットでそれはできなかったんでしょう。
(そういえば、昔は新作フィルムの宣伝で「制作費○○億円!」とか言ってたと思いますが、いつの間にか言わなくなりましたね。ナンでだろー。)
で、興行的には「ヒューゴ」の勝ちでした。
でも、実は「アーティスト」もかなりいい線いったんですよね。
もちろん、映画史に残るのは・・・。
さて、ジョルジュ・メリエスは実在の人物です。
となると、このヒト本当にこんな人生だったの? という疑問が湧くところですが。
Wikipediaで調べてみました。
ジョルジュは1896年から1913までの間、531本ものフィルムを監督したそうです。ただし、1本は1分から40分の短いものでした。代表作は、「月世界旅行」と「The Impossible Voyage」で、どちらもジュール・ヴェルヌ作品にインスパイアされたSF映画です。「Le Manoir du Diable」は、初のホラー映画で、初の吸血鬼映画。いろいろ撮ってたんですね。
ジョルジュのキャリアについて、本作で紹介されていることはほぼ事実のようです。
生まれたのは1861年でした。小さい頃からアートに興味があったようで、ノートを落書きで埋める日々を過ごしていました。学校を出て、家業の靴屋を手伝った後、紆余曲折を経て、ステージでマジックを披露するようになりました。自分が出演していたロベール=ウーダン劇場を買い取ってからは、経営にも手腕を発揮します。仕掛けを大幅に改良し、演し物も工夫して、客入りもずいぶん良くなりました。機械人形の演し物もありましたよ。その傍ら、新聞に漫画を描いたりもしていました。1895年には、Chambre Syndicale des Artistes Illusionistes (芸術家魔術師事業組合)の理事長に選ばれました。
1895年12月28日の、パリのGrand Caféで開かれた、リュミエール兄弟による世界初の映画上映会には、ジョルジュも出席していました。ジョルジュはこの新しいメディアをいたく気に入ったようで、リュミエール兄弟に、カメラを1台1万フランで売ってくれ、と申し出ました。それが断られるとロンドンに飛び、発明家のRobert W. Paulからフィルムと映写機を買いました。翌1896年には、ローベル=ウーダン劇場で毎日上映が行われるようになりました。そうなると自分でも撮ってみたいんですなー。問題はカメラですが、これは、映写機の機構を参考に、二人の技師の助力を得て、作ることができました。その際、劇場の演し物の機械人形から部品を取って使ったのも、本作に示されている通りです。1897年になると、更に優秀なカメラがパリでも市販されるようになり、ジョルジュもそれを使うようになりました。
1896年末、ジョルジュは仲間の技師とスター・フィルムを設立し、映画を撮り始めます。リュミエール兄弟が、科学技術や自然の記録のために世界中で映像を撮りまくったのに対し、ジョルジュのフィルムは、彼の劇場で掛けるために作られました。人が消えたり現れたり、現実にはできないことをしてみせる、手品を見に来ているお客を楽しませるためのものでした。
そのため、ジョルジュは様々な特撮技法を発明しました。映画に多重露光(1つのフレームを複数回露光して映像をスーパーインポーズする技法)を使ったのも、低速度撮影(いわゆる「コマ落とし」)を使ったのも、ディソルブ(フェード・インとフェード・アウトを重ねてシーンを切り替える技法)も着色も、彼が初めてです。「シネマジシャン」とも呼ばれました。トーマス・エジソンが発明したstop trick (撮影中にカメラを止め、セットや人物の配置を動かしてから再び回し始める技法)も、ジョルジュは独自に編み出したそうです。
1896年の秋には、パリ郊外のモントルイユに、総ガラス張りの撮影スタジオを作り始めました。モノクロのフィルムに色付きの被写体がどう写るかは予測不可能なので、セットから衣装から俳優のメイクまで、明るさの異なる灰色が使われたそうです。この点は、本作の描写とちょっと違うかも。
この頃のジョルジュの一週間がどんなだったか、こんなふうに書かれています。
モントルイユのスタジオに朝7時に現れて、10時間セットの構築。
夕方5時に着替えて6時にはパリの劇場に戻り、簡単な夕食の後に8時からのショーをチェック。
ショーの間はセットのデザインをスケッチして、モントルイユに戻って寝る。
金曜日と土曜日に、一週間かけて準備したシーンを撮影。
日曜日と祝日は、劇場で昼興行と3本のフィルム上映のあと、夜公演が11時半まで続く。
よっぽど好きじゃなけりゃやっとられませんなー。
1899年になると、彼の作品はより進んだ特撮技術を使った本格的なものになっていき、話題作も増えました。その年の終わりに公開された「シンデレラ」は、20のシーンからなる7分間の作品で、35人が出演しました。これが全欧州とアメリカで大成功を収めます。
当時アメリカではエジソン・スタジオが映画産業の独占を進めていて、これに対抗したいアメリカの配給会社は新しい強力なコンテンツを必要としていました。「シンデレラ」の大成功を脅威に感じたエジソン他のアメリカ勢の一部は、海外の映画会社の作品をアメリカの映画館で上映させないよう圧力を掛け始めます。フィルムを複製して海賊版を作る方法が発見されたのもこの頃でした。スター・フィルムをはじめとするフランスの制作者は、Chambre Syndicale des Editeurs Cinématographiques (映画編集事業組合)を結成し、海外市場の防衛を図りました。1912年までジョルジュがその理事長を務め、ロベール=ウーダン劇場には組合の事務局が置かれました。
この頃、ジョルジュの作品は成功を収めていて、モントルイユのスタジオは拡張され、セットも手の込んだものになっていきました。国際的なヒットを飛ばす作品も増え、1901年から、彼の人気は絶頂期を迎えます。1902年のエジソンのフィルム「Jack and the Beanstalk」も、ジョルジュの作品のアメリカ版には及びませんでした。中でも「Bluebeard」は大評判を呼びました。
代表作「月世界旅行」が発表されたのは、1902年5月でした。14分の長さのフィルムに制作費1万フランが費やされましたが、フランスをはじめ全世界で爆発的な成功を収めました。アメリカではエジソンをはじめ各社がこぞって「月世界旅行」の海賊版を作って売り始めるまでになりました。対応を迫られたジョルジュは、スター・フィルムのニューヨーク支店を開くことに決め、兄のガストン・メリエスを送り込んで海賊版の撲滅に当たらせました。この後も大作が続々と制作され、世界的な大成功が続き、ジョルジュは富と名声をほしいままにします。
エジソンも反撃を始めますが、それは意外な方向からでした。1902年、エジソンは外国映画を輸入する映画制作会社に対して、特許侵害幇助で告訴する、と脅し始めました。1904年の終わりには、アメリカの映画制作会社Paley & Steinerが、著作権侵害でエジソンから訴えられました。物語も登場人物も、セットすらエジソンのフィルムとそっくりだというのです。エジソンはこの訴訟に、Eberhard Schneider、フランスの大手Pathé Frères、そしてスター・フィルムを巻き込みました。しかし、これら3社に対する訴因は良く分かっていません。ともあれ、このときはPaley & Steinerがエジソンと示談をまとめたので、公判は一度も開かれずに訴訟は取り下げられました。
人気に翳りが見え始めたのは1906年のことでした。ジョルジュの十八番であったファンタジー作品があまり売れなくなり、犯罪モノや家族向けなど、他のジャンルにシフトしていきました。ガストンは、まず、初期の人気3作品、「シンデレラ」「Bluebeard」「ロビンソン・クルーソー」のアメリカでの販売価格を下げました。年末までにはスター・フィルムの全カタログ作品を20%値下げし、どうにか売り上げを回復しました。作中では、戦争のせいでジョルジュのフィルムを見る人がいなくなったように描かれていましたが、その兆候はもっと前からあったのです。
エジソンの攻撃が成果を挙げ始めたのは1907年のことでした。大手の競合企業がエジソンからの特許訴訟攻撃に音を上げ、とうとう映画特許カルテルが成立します。映画産業を寡占化し、他の企業の参入は特許を盾に排除しようとするものです。このときは、カルテルから外されたバイオグラフが、別の会社が持っていた主要特許を買収して対抗し、頓挫するのですが。
翌1908年にエジソンとバイオグラフの合意が成立し、モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(MPPC)が発足しました。別名エジソン・トラストと呼ばれるこの会社は、映画撮影用カメラの主要特許すべてを押さえ、アメリカ国内での映画の製作と配給を独占しようとするものでした。MPPCに参加しない企業は、イーストマン・コダックからフィルムを売ってもらえない上、アメリカ国内では映画を配給することもできず、MPPCから特許権侵害訴訟を起こされるというわけです。欧米の主要な制作会社9社はすべて参加せざるを得ませんでした。スター・フィルムもです。
MPPCは、配給会社へのフィルムの販売を禁止し、レンタル制に転換しました。それまでは、売却されたフィルムがどれほど劣化しても上映され続けていたのですが、擦り切れたフィルムを回収することで、観客に一定の品質の鑑賞体験を提供できるようになりました。レンタル料を固定したので、映画はダンピングできなくなり、内容で勝負する状況になりました。フィルムは特定の配給会社にしか貸し出されず、上映できるのは系列の映画館だけとなりました。このことは、催事場やコンサート・ホールを主な顧客にしていたジョルジュには大きな痛手となりました。
MPPCに参加できなかった中小のフィルムメーカーは、エジソンの縄張りであるニューヨーク、ニュージャージー、シカゴ周辺から離れ、遠く西海岸に移転しました。これがハリウッドの起源です。
MPPCは参加企業に映画作品の上納を義務付けました。スター・フィルムは、毎週1,000フィートを納めることになりました。この要求を満たすため、ジョルジュは、1908年に68本のフィルムを作りました。ガストンも、弟を助けるため、シカゴにスタジオを作りましたが、1908年中には一本も作ることができませんでした。ガストンの映画作りが軌道に乗るのは、テキサス州サンアントニオに撮影所を作って西部劇を撮り始めた1910年からです。この年から1912年までに彼は130本の映画を撮りましたが、ジョルジュは20本に留まりました。
1909年に入って、ジョルジュは映画制作を休止します。2月にInternational Filmmakers Congress (国際映画制作者会議)がパリで開催され、ジョルジュが議長を務めました。参加者は皆、エジソンの独占体制に不満を持っており、反撃してやろうと思っていました。が、結局ジョルジュの思う通りにはなりませんでした。彼は秋から映画作りを再開しますが、この頃にはモチベーションも低下していたようです。
1910年、ジョルジュは新作の劇場演劇を作るためにローベル=ウーダン劇場に篭ることが多くなりました。しかし、その年の秋、フランスの大手制作会社Pathé Frèresと契約を結び、制作費を手に入れました。ジョルジュはそれから1912年にかけて、ファンタジーを中心に20本の映画を撮るのですが、興行的にはいずれも失敗に終わりました。1912年遅く、ジョルジュはPathéとの契約を破棄しました。
ガストンも、1912年からの南洋の島々とアジアへの撮影旅行が失敗し、5万ドルの損失を出してしまいました。MPPCの要求を満たせなくなったスター・フィルムのアメリカ法人は、ヴァイタグラフ・スタジオに売却し、ガストンはヨーロッパに戻りました。1915年に亡くなるまで、ジョルジュとは口を利かなかったそうです。
1913年、ジョルジュは破産し、映画制作はできなくなりました。Pathéに対する負債も返せなくなりましたが、1914年に第一次世界大戦が始まり、支払い猶予令が出されたことで、家屋やモントルイユの撮影所の処分は免れます。が、ジョルジュを待っていたのはより過酷な運命でした。ローベル=ウーダン劇場は封鎖されることになり(1923年、Boulevard Haussmannを再建するために取り壊されます)、ジョルジュは家族と共に一時パリを離れました。1917年、フランス軍はモントルイユの第1撮影所棟を接収し、傷病兵のための病院として利用しました。軍は更に、400本以上のスター・フィルムのカタログのオリジナル・プリントを押収しました。溶かしてセルロイドと銀を取り出すためです。フィルムも押収され、溶かして靴の踵に利用されました。
ジョルジュはモントルイユの第2撮影所棟を劇場に改造し、ショーを上演してしのいでいましたが、1923年、Pathéがスター・フィルムとモントルイユのスタジオを差し押さえました。怒りを爆発させたジョルジュは、モントルイユにしまってあったすべてのネガ・フィルムに火を放ちました。セットにも、衣装にも。
こうしてジョルジュは映画界から姿を消しました。1920年代中頃まで、彼はパリのモンパルナス駅でお菓子とおもちゃを売って僅かな収入を得ていました。資金は他のフィルムメーカーが出してくれたそうです。ジョルジュは1913年に最初の妻を亡くしてから独身でしたが、1925年に、長年女優として彼のフィルムを飾り続けたJeanne d'Alcyと再婚しました。二人は、ジョルジュの若い孫のMadeleine Malthête-Mélièsと共にパリに住まいました。
1920年代後半、何人かのジャーナリストがメリエスの研究を始めました。映画の世界が広がりを見せるに連れ、彼の名声は高まりました。1929年、彼の作品の回顧展がSalle Pleyelで開催されました。彼の回想録には、「人生で最も光り輝いた瞬間だった」と記されています。1931年に彼はレジオン・ドヌールを受賞するのですが、それよりもうれしかったということになりますね。
「ヒューゴ」の脚本では1930年代とされていましたが、実際は1929年の出来事だったのですね。
そして、イザベルではなくマドレーヌで、養女ではなく孫でした。
ジョルジュには、最初の妻のEugènie Gèninとの間に二人の子供、GeorgetteとAndreがいましたが、孫が複合姓で後ろがMélièsということは、Andreの娘なのでしょう。
MPPCは、イーストマン・コダックに離反され、独立系メーカーへのフィルム供給を遮断できなくなったこと、雨後の筍のように増え続ける独立系とその作品に対する特許訴訟が追いつかなくなったことなどから、徐々に影響力を失いました。
MPPCが映画俳優への支払いをケチって、配給にもフィルムにも俳優の名前を使わなかったのに対して、ハリウッドはスター俳優を次々と売り出す方法で人気を集めていきました。
とどめは1915年の反トラスト法訴訟で、違法な取引制限であるとの判決が下り、MPPCは存在意義を失いました。
1918年、MPPC船エジソン号は、古い映画産業すべてを乗せたまま沈没しました。ハリウッドの時代の到来です。
調べてみて思うのは、ジョルジュ・メリエスには、同情すべき部分とそうでない部分があるな、ということです。
軍にいろいろ接収されたり押収されたりしたことは理不尽な出来事だったとは思うのですが、それより前に彼は事実上破綻しています。
破綻に到る経緯は、彼の経営判断の誤りに他なりません。
MPPCが負け組だったというのは結果論で、当時としては仕方のない判断だったと思います。
しかし、ジョルジュのファンタジーが売れなくなったのは、お客の目が肥えたからです。
それを理解できずに、夢よもう一度、とばかりにビッグ・バジェットで作ろうとしてPathéと契約して大金を引き出したのは正当化し難いように思います。
金を持たせるとロクなシャシンを撮らない監督ってのはいますなー。ときどき。
スコセッシのことじゃナイヨ。
勲章をもらった年、ジョルジュは70歳でした。
それからも、映画を作ることはありませんでした。
健康状態に全く問題は無かったけれど、日曜も休日もなく、冬の日は冷蔵庫の中、夏の日は溶鉱炉の中で1日に14時間も働き詰めでは身が持たない、と言ったそうです。
彼にはかつてそれをやり遂げた情熱があったはずですが、既にそれは失われていたのでしょう。
モントルイユでの最後の愚行にも関わらず、今日未だに200本余りのフィルムが残されており、DVDで見られるそうです。
ところで、実はもう一つ疑問があります。
クロードが失踪した後の数ヶ月、鉄道管理当局は何故クロードの不在に気づかなかったんでしょうか。
だって、彼は給料を貰ってたはずですよね。
それとも銀行振込みだったんですかなー。
今回も、何を見ようかずいぶん迷ったんですなー。
前の週から加わった選択肢は、まずは「ジョン・カーター」。
原作であるバローズの火星シリーズは、子供の頃に良く読んでましたから。
ただ、これ、ストーリーを知っているという意味では、急いで見なくても、な感じがしちゃって。
それよりも、「バトルシップ」がめちゃくちゃ面白そうです。
戦争モノ大好きなんですよ。
よっぽどこれにしようかと思ったんですけど。
しかしこれも、わざわざスクリーンで見なくても日曜洋画劇場でいい種類のフィルムかなー、と思い、結局「ヒューゴの不思議な発明」にしました。
アカデミー5冠ですからなー。
うちのテレビは3Dじゃありませんし。
スクリーンは、109シネマズMM横浜。
初めて利用します。
地下鉄の出口のすぐ前なので、建物はすぐに見つかるのですが・・・。
ロビー・フロアへの行き方が極めて分かりにくく、しばらくうろつきまわってようやく分かりました。
レストランへの入り口だと思っていたエスカレーターが実はそれでした。
なんかこう、「109シネマズ」みたいなことが書いてある表示が館内のどこかにあるといいと思うのですが。
それで、アカデミー5冠を見てきたわけなんですけど・・・。
レビューを書こうかどうか散々悩んで、やっぱり書くことに。
いつものように、ネタバレだらけなので、未見の方はここでお別れです。
で、あらすじを書くんですが。
なんというか、見たヒトなら分かると思うんですけど、あらすじにしちゃうと軽くポルナレフ。
ともあれ、ありのまま今起こったことを話すぜ。
1930年代のパリ。エトワール広場を見下ろすモンパルナスの駅舎の時計台の裏には、一人の少年が隠れ住んでいました。名はヒューゴ・カブレ。駅舎内に点在している時計のネジを巻いたり油を差したり緩んだネジを締め直したりするのが日課です。もともとそれは、彼の叔父であるクロードの仕事だったのですが、数ヶ月前に姿を消してからはヒューゴが引き継いでいます。
その頃のパリでは、第一次世界大戦で生まれた戦災孤児が社会問題化しており、身寄りの無い子供は孤児院に収容されていました。クロードは、父を亡くしたヒューゴを引き取りはしたものの、学校にもやらずにこき使ってきました。それでもヒューゴがここにいられるのは彼のおかげです。孤児院に行きたくないのなら、クロードが元気で働いているように見せなくてはなりません。幸い、修理工は、駅舎内の入り組んだ迷路のような専用通路を行き来する仕事です。他の職員と顔を合わせることは滅多にありません。彼らは、ヒューゴがそこに住んでいることすら知らないのです。それに、そもそもヒューゴは機械いじりが大好きです。お父さんが時計職人でしたから。今も、時計のメンテナンスとは別に、壊れた機械人形を少しずつ修繕し続けています。それは、生前お父さんが博物館から譲り受け、こつこつと直し続けてきたもの。お父さんの形見なのです。
駅構内におもちゃ屋がありました。ある日、ヒューゴは、そこの店主とトラブルになり、手帳を取り上げられてしまいます。お父さんが人形の直し方を書き留めた、大切な手帳です。ヒューゴは、店主の養女イザベルと友達になり、その助力を得て、おもちゃ屋の商品の修理を手伝うことで手帳を返してもらえることになりました。
ようやく機械人形の修理を終えたヒューゴでしたが、期待したようには動きませんでした。動かすには、専用のハート型の鍵が必要らしいのです。人形を修理できれば、人生の転機が訪れるような気がしていたヒューゴは、深く失望しました。ところがある日、全くの偶然から、イザベルがハート型の鍵を肌身離さず持っていることが分かりました。借りて差し込んでみると、人形は動きだし、紙の上に絵を描きました。それは、ヒューゴが幼い頃にお父さんから聞かされた覚えのある映画「月世界旅行」の中の有名な1シーンのスケッチでした。お父さんからのメッセージなのでしょうか? しかし、絵の右下には、「Georges Méliès」の署名が見えます。ジョルジュ・メリエス。イザベルの養父、おもちゃ屋の店主の名です。
二人は謎解きを始めました。イザベルの家で箪笥を調べていると、大量のスケッチが隠されているのを発見しました。ところがその現場をジョルジュに見咎められてしまいます。叱られるかと思いきや・・・。ジョルジュは、憔悴し、悲嘆し、出て行ってくれるようにと懇願するばかりでした。彼はその後、体調を崩し、ついにベッドに臥せるようになってしまいます。
二人は映画アカデミー図書館を訪ねました。そこで映画学者ルネ・タバールと知り合い、イザベルの養父ジョルジュこそ、「月世界旅行」を制作した、黎明期のフランス映画界における伝説の映画監督、ジョルジュ・メリエスその人であると知りました。機械人形は、かつてジョルジュが作り、博物館に寄贈したものだったのです。
ジョルジュは、数多くのフィルムを通じ、人々に夢を届けてきました。ところが、第一次世界大戦を境に、人々が映画に求めるものは大きく変質してしまいました。負債を抱え、事業を失った彼は、映画に失望し、背を向けたのでした。世間も彼を忘れ、ジョルジュは戦死したものと思われていました。
ヒューゴは、ジョルジュの壊れた心を修理しようと思い立ちました。ジョルジュの熱心なファンでもあるタバールの協力を得て、たったひとつだけ残っていたジョルジュのフィルムを、ジョルジュの家で上映しました。昔の自分の作品を喜んでくれる人がまだいることに勇気付けられたジョルジュは、再び映画に向き合う心を取り戻したのでした。めでたしめでたし。
いろいろ端折り過ぎてる感じはしますが、「あらすじ」って言うと、こうなっちゃいますよね。
つまり本作は、サイド・ストーリーが豊富なお話なのだと思います。
原作はブライアン・セルズニックの「ユゴーの不思議な発明」。
「ヒューゴ」は英語読みです。おフランスではHは発音しませんから、Hugoは「ユゴー」なんですね。
本作は、(ほぼ)イギリス人俳優の演じるイギリス語のフィルムですから、日本語版の表記は「ヒューゴ」でいいのかな。
そのわりにメリエスの名前が「ジョージ」じゃなくて「ジョルジュ」だったり、その奥さんは「ジーン」じゃなくて「ジャンヌ」だったりしてるのは一貫しない感じもしますけどまあいいか。
わたしは原作は未読なのですが、書評などからすると、上の「あらすじ」の部分に関してはほぼ同じであるようです。
ただし、物語の舞台はモンパルナス駅ではなくリヨン駅になっているそうです。
(リヨン駅はセーヌ川沿いにあって標高が低いので、エトワール広場の凱旋門を見通すことはできません。手前に旧テュイルリー宮の凱旋門がありますし。もしも見えたとしても、リヨン駅は凱旋門から見てシャンゼリゼ通りのほぼ延長線上にあるので、駅に正対して見えるはずです。作中のように、凱旋門を斜め上から見下ろす角度になるのは、丘の上にあるモンパルナス駅しかないのです。)
ところで、「不思議な発明」って書いてあるのに、作中ではヒューゴは何も発明しないのですが、原作ではちゃんと発明しているそうですね。
フィルムのタイトルが、原題の「The Invention of Hugo Cabret」ではなく、単に「Hugo」なのは、そのためもあるのでしょう。
監督は、「ディパーテッド」のマーティン・スコセッシ。
スコセッシというと、ギャング映画という印象しかなかったのですが、ノーランばりのサイコ・ミステリーだった「シャッター・アイランド」では新境地開拓という感じがして、見直したのを覚えています。
本作も大いに期待したのですが、もちろんギャングではなく、さりとてサイコ・ミステリーでもない、新たな方向性です(だと思います)。
こういう風に次々と自在に出てくるのは、円熟期に入ったのかな、と思わされます。
脚本はジョン・ローガン。
「グラディエーター」も「ラスト サムライ」もこの人です。
スコセッシ作品は「アビエイター」以来ですね。
こないだ見た「英雄の証明」もこの人のホンでしたが、そういえばアレはちょっと残念な感じだったような。
そして本作は・・・、どうなんだろう。
かなり分かりにくいホンだと思うんですが、どうでしょう。
ご都合主義の塊なのは、映画だからしょうがないですが。
ホンが粗過ぎて、肝心のジョルジュに、どうも感情移入できません。
職業として芸術家をやってると、いろいろあるのであろうことは察しがつきます。
ジョルジュも、たぶん、いろいろあったんでしょう。
映画が嫌いになることだってあるだろうし、世間の人がみんな自分を嘲っていると思い込んでしまう心理も、分かる気はします。
しかしそれでも、わたしには良く分かりません。
年端も行かない子供二人に自分の過去がバレたからといって、何故この世の終わりが来たかというほどに嘆き、体調を崩してしまうほど苦しんでしまうのか。
まるで、母親を殺したのは自分だと、娘に知られてしまったかのようです。
かつて映画制作に携わっていたというのは、それほどの大罪なんでしょうか?
そして、それほどのトラウマを持ちながら、何故たった一度の映写会で立ち直れたのか。
フィルムからは、そのあたりの事情が見えてきません。
ジョルジュの反応は不可解で、その理由は最後まで謎のままです。
ジョルジュの秘密が良く分からないので、本作に込められたメッセージも、ボヤけた印象です。
本作には、「行動が道を切り開く」というモチーフが繰り返し現れます。
例えば。
駅の治安を預かる鉄道公安官が出てくるのですが、彼には想いを寄せている女性がいます。
二人の間がなかなか進展しないのは、彼が戦争で受けた傷でびっこをひいているために、自信を失っているからでした。
物語の終盤、彼はヒューゴの絶体絶命の危機を勇敢な行動で救うのですが、そのことが彼の人生の転機にもなります。
ヒューゴもそうです。
彼は確かにかわいそうな身の上でしたが、それに甘んじている部分もありました。
それが、ジョルジュに対して積極的にお節介を焼くことにより、境遇が一変することになりました。
自分の置かれた理不尽な境遇を嘆くばかりでなく、一歩踏み出して自分にできることをしよう。
このフィルムに篭められているのは、おそらくそういうメッセージなのでしょう。
とすればジョルジュも、勇気を奮い起こして行動したことで、映画への情熱を取り戻せました、となるべきだと思うのですが。
ところが、どうにも他力本願な印象なのです。
世界規模の戦争が、映画を含む娯楽産業全体に与えた損失は、大きかったでしょう。
しかし、その中でも映画を作り続けていた人はいました。
他の誰かにはできたことが、フランスでも有数のフィルムメーカーであったはずのジョルジュには何故できなかったのか。
そして今また熱烈な支持者たちに手取り足取り立ち直らせてもらいました。
このホンからは、状況を改善するために彼自身がなした努力の跡が見えて来ないのです。
原因が、原作にあるのかローガンにあるのか、わたしは原作を読んでいないので良く分かりません。
しかしどうも、そもそもわたしはローガンとの相性があまり良くないのかもしれません。
どのホンも、物語の肝心のところで、キャラの振舞いに唐突な印象を受けてしまいます。
アカデミーでは、原作の無いオリジナル脚本は脚本賞に、原作ありだと脚色賞に分類しています。
本作は脚色賞にノミネートされました。
が、それは結局「ファミリー・ツリー」に与えられました。
オスカーがすべてってわけじゃありませんが、同じように感じたヒトがアカデミーにもいたのかな、と思うと、少し共感するところがあります。
ジョルジュ・メリエス役は、名優ベン・キングズレー。
「ガンジー」でオスカーを取っている演技派です。
わたしは、「シャッター・アイランド」で、難しい役を好演したのが強く印象に残っています。
謎の多い人物をやらせると実に上手いですなー。
ジョルジュは、店先からぜんまい仕掛けのネズミの玩具をくすねようとしたヒューゴを捕まえ、ポケットの中のものを全て出させました。
右のポケットからは、小さな歯車やぜんまいなどの機械部品が出てきます。
「もう片方も出しなさい。さもないとおまわりさんを呼ぶぞ」
大人の余裕で脅します。
すると左のポケットからは、一冊の手帳が出てきました。
その手帳を手繰り、中を検めたジョルジュの様子は一変します。
ヒューゴに、手帳を書いた人物が誰なのかを問い詰める様子からは、さっきまでの余裕は完全に失われていました。
おもちゃ屋の店主とヒューゴの出会いがとても重要なできごとであることが、スクリーンのこちら側にも伝わってくる、見事な演技でした。
ヒューゴ・カブレ役には、エイサ・バターフィールド。このとき14歳だそうです。
初めて見たのですが、子役にありがちな過剰演技をしない、大人びた俳優だと思いました。
ヒューゴは、現代風に言えば「引きヲタ」でしょう。
こうした人種に特有の、自信が無く、挙動不審で、規範意識が低い感じが良く出ています。
まるでわたしの子供の頃のようです。
この演技はいったい誰がつけたんですかねぇ。
それがスコセッシだとしても、バターフィールド本人のアイディアだとしても、驚きです。
ヒロインのイザベル役にはクロエ・グレース・モレッツ。
居並ぶ英国人俳優の中にあって、数少ないアメリカ人です。
厚めに塗った唇がとても魅力的な顔立ちで、くりくりと良く動く目の演技が特徴的ですね。
バターフィールドと同じ1997年生まれですが、少しだけ背が高いのかな?
デビューも2年早かったみたいですね。
その分キャリアも豊富で、ここに書ききれないほどの賞をもらったりノミネートされたりしているようです。
いわゆる天才子役ですかなー。
本作では、役柄的にもそうですけど、演技的にもヒューゴを引っ張ってる感じ。
頼もしいお姉ちゃんです。
バートンの「ダークシャドウ」にも出てますね!
イザベルが贔屓にしている書店の主、ムッシュ・ラビス役には、ブリティッシュ・レジェンド、クリストファー・リー。
あるときはスター・ウォーズのドゥークー伯爵、はたまたあるときはロード・オブ・ザ・リングの白のサルマン。
しかしてその実体は、アリス・イン・ワンダーランドのジャバウォッキーの声もやってたりするのです。
世界で最も多くの映画に出演した俳優としてギネスブックに載ってるそうです。スゴイネ
しかしこの、ムッシュ・ラビスの意味は、わたしには良く分かりませんでした。
だって、パンフレットの「STORY」のページに、「ラビス (クリストファー・リー)」の文字列が出てこないほどのチョイ役なんですよ。そのチョイ役にクリストファー・リー!
それは、クリストファー・リーの出番を作るために役が一つ必要だったのさ、と言われるのならば、なるほどね! で終了なのですが。
つまり、彼が出てる映画はいい映画だってことです。
映画学者ルネ・タバール役にはマイケル・スタールバーグ。
数少ないアメリカ人俳優その2。
彼の登場シーンでは、思わずハッとしました。
スコセッシを30歳くらい若返らせてヒゲを生やさせたら、こんな感じじゃないでしょうか。
おそらくタバールは、映画が好きで好きでしょうがなくて、それで映画学者になっちゃったような人物でしょう。
スコセッシもそうですよね。彼は映画ジャンキーであることで有名です。
きっとメリエスのフィルムも大好きなんでしょう。
もしかしたら、自分の若い頃に似た風貌の俳優をキャスティングしたのでは、と思いました。
ちなみに、本作にはスコセッシ自身もカメオで出てるそうですね。
全然気が付かなかったー!
ヒューゴとイザベルがタバールと出会った「映画アカデミー図書館」ですが、パリ近郊にそんな施設があったかなぁ、と思って、少し調べたのですが。
見つかりませんなー。
海外の映画ファンたちのブログでは架空の施設とされてるようなので、そうなのかもしれません。
だとすれば、ビバリーヒルズのマーガレット・へリック図書館をモデルに創作されたんでしょう。
こちらのページによると、ロケ地はBibliothèque Sainte-Genevièveであるようです。
ホームページはこちらですが、美しい図書館ですね。
ヒューゴの天敵の鉄道公安官役にはサシャ・バロン・コーエン
駅の中を一人で歩いている子供を見たらとっ捕まえて孤児院に放り込んでしまうというものすごいキャラなのですが、別に狂ってるわけではありません。
ただ、3D映像の効果がものすごいのと、コーエンの演技がキレキレなので、狂ってるように見えるかもしれませんけども。
サイド・ストーリー担当なので、上のあらすじからはばっさりカットしちゃってますが、この鉄道公安官(と、リチャード・グリフィス演じるムッシュ・フリック)は、この物語が何を伝えたいのかをはっきりさせる、けっこう重要な役です。
しかもこの役、真面目で職務熱心な鉄道公安官であり、肉体的な変化に心がついていけていない傷痍軍人であり、恋に悩む不器用な体育会系であり、その実、勇敢な男であり、その内面は実に複雑で、場面場面で様々な顔を見せるのですが、コーエンはそれを見事に演じています。
実に素晴らしい。
ヒューゴのお父さん役には、ジュード・ロウ。
「シャーロック・ホームズ」でのワトスンは、実に斬新で印象に残ってますなー。
そのワトスンであれだけ強調していた男っぽさを、今回は完全に(でもないけど)消し去って、やさしく真面目な父親を演じています。
幅の広い役者ですなー。
あと、ナルシッサ・マルフォイとかオリンペ・マクシームとかが出てたような気がするけどごっそり割愛。
ああ、そうだ。
パンフレット読んでて、ナルシッサがぼくより年下であることに気が付いてちょっと凹みました。
さて、本作はアカデミー5冠なのですが、どの部門かというと、撮影賞、美術賞、視覚効果賞、録音賞、音響編集賞なんですね。
主に視聴覚効果に関する部門です。
わたしも3Dで鑑賞しましたが、いやはやスゴいもんですなー。
こんな3D初めてみたアルヨ!
冒頭のシーンは、小雪の舞い散るパリの街を俯瞰で回していくんですが、雪がわたしの頭や肩にかかってくるようです。
モンパルナスから見下ろす1930年代のパリの夜景も実に美しい。
サシャ・コーエンの顔のドアップでは、背景がだんだんと奥に引っ込んでいって、ずいずいと前に出てくる感じがします。
子供が見たら泣き出すレベル。
しかし、いわゆる主要部門の受賞がひとつもないんですね。
作品賞、監督賞、作曲賞、衣装デザイン賞にもノミネートされていたのですが、それらは同じくアカデミー5冠の「アーティスト」に与えられました。
他はともかく、無声作品に作曲賞を攫われるなんてのは笑い話ですなー。
「アーティスト」は厳密には無声じゃないってことではあるんですけども。
本作と「アーティスト」とは、同じく無声時代の映画を題材にしているにも関わらず、いろんな意味で対照的だと思います。
「アーティスト」は、フランス人監督がフランス人俳優で撮ったフランス映画でしたが、物語の舞台はハリウッド。
対する本作は、ハリウッド監督が主にイギリス人俳優を使って撮ったアメリカ映画ですが、舞台はパリです。
「アーティスト」は俳優の物語で、本作は監督の物語。
何故作品賞が「アーティスト」に行ったんですかなー。と考えると、
「アーティスト」はオリジナル脚本。本作は原作付き。
というところが罠だったのかも。
オリジナル脚本だから、「アーティスト」の方が、数々の「遊び」を作品に仕込む自由度が高かったです。
それらのすべてがモノクロ時代の映画に捧げられていたことも。
本作にも遊びはたくさんあるんです。
ジャンゴ・ラインハルトが出てきてたり、1895年のモンパルナス駅の列車事故を再現してたり。
でも、必ずしも映画の歴史とは関係ないものもありましたね。
アカデミーのおじいちゃん達には「アーティスト」の方が受けたであろう、という風評が立つのも無理からぬところ。
しかしわたしとしてはむしろ、ここが決め手だったかもしれません。
「アーティスト」は、主人公が新しい環境に飛び込んで道を切り開くエンディング。
本作は、古き良き日々を人々に思い出してもらうことで救いを得るエンディング。
一歩前に踏み出す勇気も、ときどき立ち止まって後ろを振り返り懐かしむ時間も、どちらも人間には大切だろうとは思いますが、今の時代にマッチしたメッセージは、どっちですかなー。
あと、
「アーティスト」はモノクロ無声で、本作はカラー3D。
というのも、今更ですが、重要な点です。
「無声の時代は良かったね」というシャシンを撮りたいんだったら、当然、前者でいくべきですね。
ロジカルです。
スコセッシだって(プロデューサーに)許されるならそうしたかったでしょう。
ああ、でも、それってつまりジョニー・デップなのか。
なら、「いいですよ」って言っちゃいそう。
まあ、でも、それじゃ興行的に如何にも弱い。と思いますよね、誰でも。他の二人のプロデューサーも。
170ミリオンのビッグ・バジェットでそれはできなかったんでしょう。
(そういえば、昔は新作フィルムの宣伝で「制作費○○億円!」とか言ってたと思いますが、いつの間にか言わなくなりましたね。ナンでだろー。)
で、興行的には「ヒューゴ」の勝ちでした。
でも、実は「アーティスト」もかなりいい線いったんですよね。
もちろん、映画史に残るのは・・・。
さて、ジョルジュ・メリエスは実在の人物です。
となると、このヒト本当にこんな人生だったの? という疑問が湧くところですが。
Wikipediaで調べてみました。
ジョルジュは1896年から1913までの間、531本ものフィルムを監督したそうです。ただし、1本は1分から40分の短いものでした。代表作は、「月世界旅行」と「The Impossible Voyage」で、どちらもジュール・ヴェルヌ作品にインスパイアされたSF映画です。「Le Manoir du Diable」は、初のホラー映画で、初の吸血鬼映画。いろいろ撮ってたんですね。
ジョルジュのキャリアについて、本作で紹介されていることはほぼ事実のようです。
生まれたのは1861年でした。小さい頃からアートに興味があったようで、ノートを落書きで埋める日々を過ごしていました。学校を出て、家業の靴屋を手伝った後、紆余曲折を経て、ステージでマジックを披露するようになりました。自分が出演していたロベール=ウーダン劇場を買い取ってからは、経営にも手腕を発揮します。仕掛けを大幅に改良し、演し物も工夫して、客入りもずいぶん良くなりました。機械人形の演し物もありましたよ。その傍ら、新聞に漫画を描いたりもしていました。1895年には、Chambre Syndicale des Artistes Illusionistes (芸術家魔術師事業組合)の理事長に選ばれました。
1895年12月28日の、パリのGrand Caféで開かれた、リュミエール兄弟による世界初の映画上映会には、ジョルジュも出席していました。ジョルジュはこの新しいメディアをいたく気に入ったようで、リュミエール兄弟に、カメラを1台1万フランで売ってくれ、と申し出ました。それが断られるとロンドンに飛び、発明家のRobert W. Paulからフィルムと映写機を買いました。翌1896年には、ローベル=ウーダン劇場で毎日上映が行われるようになりました。そうなると自分でも撮ってみたいんですなー。問題はカメラですが、これは、映写機の機構を参考に、二人の技師の助力を得て、作ることができました。その際、劇場の演し物の機械人形から部品を取って使ったのも、本作に示されている通りです。1897年になると、更に優秀なカメラがパリでも市販されるようになり、ジョルジュもそれを使うようになりました。
1896年末、ジョルジュは仲間の技師とスター・フィルムを設立し、映画を撮り始めます。リュミエール兄弟が、科学技術や自然の記録のために世界中で映像を撮りまくったのに対し、ジョルジュのフィルムは、彼の劇場で掛けるために作られました。人が消えたり現れたり、現実にはできないことをしてみせる、手品を見に来ているお客を楽しませるためのものでした。
そのため、ジョルジュは様々な特撮技法を発明しました。映画に多重露光(1つのフレームを複数回露光して映像をスーパーインポーズする技法)を使ったのも、低速度撮影(いわゆる「コマ落とし」)を使ったのも、ディソルブ(フェード・インとフェード・アウトを重ねてシーンを切り替える技法)も着色も、彼が初めてです。「シネマジシャン」とも呼ばれました。トーマス・エジソンが発明したstop trick (撮影中にカメラを止め、セットや人物の配置を動かしてから再び回し始める技法)も、ジョルジュは独自に編み出したそうです。
1896年の秋には、パリ郊外のモントルイユに、総ガラス張りの撮影スタジオを作り始めました。モノクロのフィルムに色付きの被写体がどう写るかは予測不可能なので、セットから衣装から俳優のメイクまで、明るさの異なる灰色が使われたそうです。この点は、本作の描写とちょっと違うかも。
この頃のジョルジュの一週間がどんなだったか、こんなふうに書かれています。
モントルイユのスタジオに朝7時に現れて、10時間セットの構築。
夕方5時に着替えて6時にはパリの劇場に戻り、簡単な夕食の後に8時からのショーをチェック。
ショーの間はセットのデザインをスケッチして、モントルイユに戻って寝る。
金曜日と土曜日に、一週間かけて準備したシーンを撮影。
日曜日と祝日は、劇場で昼興行と3本のフィルム上映のあと、夜公演が11時半まで続く。
よっぽど好きじゃなけりゃやっとられませんなー。
1899年になると、彼の作品はより進んだ特撮技術を使った本格的なものになっていき、話題作も増えました。その年の終わりに公開された「シンデレラ」は、20のシーンからなる7分間の作品で、35人が出演しました。これが全欧州とアメリカで大成功を収めます。
当時アメリカではエジソン・スタジオが映画産業の独占を進めていて、これに対抗したいアメリカの配給会社は新しい強力なコンテンツを必要としていました。「シンデレラ」の大成功を脅威に感じたエジソン他のアメリカ勢の一部は、海外の映画会社の作品をアメリカの映画館で上映させないよう圧力を掛け始めます。フィルムを複製して海賊版を作る方法が発見されたのもこの頃でした。スター・フィルムをはじめとするフランスの制作者は、Chambre Syndicale des Editeurs Cinématographiques (映画編集事業組合)を結成し、海外市場の防衛を図りました。1912年までジョルジュがその理事長を務め、ロベール=ウーダン劇場には組合の事務局が置かれました。
この頃、ジョルジュの作品は成功を収めていて、モントルイユのスタジオは拡張され、セットも手の込んだものになっていきました。国際的なヒットを飛ばす作品も増え、1901年から、彼の人気は絶頂期を迎えます。1902年のエジソンのフィルム「Jack and the Beanstalk」も、ジョルジュの作品のアメリカ版には及びませんでした。中でも「Bluebeard」は大評判を呼びました。
代表作「月世界旅行」が発表されたのは、1902年5月でした。14分の長さのフィルムに制作費1万フランが費やされましたが、フランスをはじめ全世界で爆発的な成功を収めました。アメリカではエジソンをはじめ各社がこぞって「月世界旅行」の海賊版を作って売り始めるまでになりました。対応を迫られたジョルジュは、スター・フィルムのニューヨーク支店を開くことに決め、兄のガストン・メリエスを送り込んで海賊版の撲滅に当たらせました。この後も大作が続々と制作され、世界的な大成功が続き、ジョルジュは富と名声をほしいままにします。
エジソンも反撃を始めますが、それは意外な方向からでした。1902年、エジソンは外国映画を輸入する映画制作会社に対して、特許侵害幇助で告訴する、と脅し始めました。1904年の終わりには、アメリカの映画制作会社Paley & Steinerが、著作権侵害でエジソンから訴えられました。物語も登場人物も、セットすらエジソンのフィルムとそっくりだというのです。エジソンはこの訴訟に、Eberhard Schneider、フランスの大手Pathé Frères、そしてスター・フィルムを巻き込みました。しかし、これら3社に対する訴因は良く分かっていません。ともあれ、このときはPaley & Steinerがエジソンと示談をまとめたので、公判は一度も開かれずに訴訟は取り下げられました。
人気に翳りが見え始めたのは1906年のことでした。ジョルジュの十八番であったファンタジー作品があまり売れなくなり、犯罪モノや家族向けなど、他のジャンルにシフトしていきました。ガストンは、まず、初期の人気3作品、「シンデレラ」「Bluebeard」「ロビンソン・クルーソー」のアメリカでの販売価格を下げました。年末までにはスター・フィルムの全カタログ作品を20%値下げし、どうにか売り上げを回復しました。作中では、戦争のせいでジョルジュのフィルムを見る人がいなくなったように描かれていましたが、その兆候はもっと前からあったのです。
エジソンの攻撃が成果を挙げ始めたのは1907年のことでした。大手の競合企業がエジソンからの特許訴訟攻撃に音を上げ、とうとう映画特許カルテルが成立します。映画産業を寡占化し、他の企業の参入は特許を盾に排除しようとするものです。このときは、カルテルから外されたバイオグラフが、別の会社が持っていた主要特許を買収して対抗し、頓挫するのですが。
翌1908年にエジソンとバイオグラフの合意が成立し、モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(MPPC)が発足しました。別名エジソン・トラストと呼ばれるこの会社は、映画撮影用カメラの主要特許すべてを押さえ、アメリカ国内での映画の製作と配給を独占しようとするものでした。MPPCに参加しない企業は、イーストマン・コダックからフィルムを売ってもらえない上、アメリカ国内では映画を配給することもできず、MPPCから特許権侵害訴訟を起こされるというわけです。欧米の主要な制作会社9社はすべて参加せざるを得ませんでした。スター・フィルムもです。
MPPCは、配給会社へのフィルムの販売を禁止し、レンタル制に転換しました。それまでは、売却されたフィルムがどれほど劣化しても上映され続けていたのですが、擦り切れたフィルムを回収することで、観客に一定の品質の鑑賞体験を提供できるようになりました。レンタル料を固定したので、映画はダンピングできなくなり、内容で勝負する状況になりました。フィルムは特定の配給会社にしか貸し出されず、上映できるのは系列の映画館だけとなりました。このことは、催事場やコンサート・ホールを主な顧客にしていたジョルジュには大きな痛手となりました。
MPPCに参加できなかった中小のフィルムメーカーは、エジソンの縄張りであるニューヨーク、ニュージャージー、シカゴ周辺から離れ、遠く西海岸に移転しました。これがハリウッドの起源です。
MPPCは参加企業に映画作品の上納を義務付けました。スター・フィルムは、毎週1,000フィートを納めることになりました。この要求を満たすため、ジョルジュは、1908年に68本のフィルムを作りました。ガストンも、弟を助けるため、シカゴにスタジオを作りましたが、1908年中には一本も作ることができませんでした。ガストンの映画作りが軌道に乗るのは、テキサス州サンアントニオに撮影所を作って西部劇を撮り始めた1910年からです。この年から1912年までに彼は130本の映画を撮りましたが、ジョルジュは20本に留まりました。
1909年に入って、ジョルジュは映画制作を休止します。2月にInternational Filmmakers Congress (国際映画制作者会議)がパリで開催され、ジョルジュが議長を務めました。参加者は皆、エジソンの独占体制に不満を持っており、反撃してやろうと思っていました。が、結局ジョルジュの思う通りにはなりませんでした。彼は秋から映画作りを再開しますが、この頃にはモチベーションも低下していたようです。
1910年、ジョルジュは新作の劇場演劇を作るためにローベル=ウーダン劇場に篭ることが多くなりました。しかし、その年の秋、フランスの大手制作会社Pathé Frèresと契約を結び、制作費を手に入れました。ジョルジュはそれから1912年にかけて、ファンタジーを中心に20本の映画を撮るのですが、興行的にはいずれも失敗に終わりました。1912年遅く、ジョルジュはPathéとの契約を破棄しました。
ガストンも、1912年からの南洋の島々とアジアへの撮影旅行が失敗し、5万ドルの損失を出してしまいました。MPPCの要求を満たせなくなったスター・フィルムのアメリカ法人は、ヴァイタグラフ・スタジオに売却し、ガストンはヨーロッパに戻りました。1915年に亡くなるまで、ジョルジュとは口を利かなかったそうです。
1913年、ジョルジュは破産し、映画制作はできなくなりました。Pathéに対する負債も返せなくなりましたが、1914年に第一次世界大戦が始まり、支払い猶予令が出されたことで、家屋やモントルイユの撮影所の処分は免れます。が、ジョルジュを待っていたのはより過酷な運命でした。ローベル=ウーダン劇場は封鎖されることになり(1923年、Boulevard Haussmannを再建するために取り壊されます)、ジョルジュは家族と共に一時パリを離れました。1917年、フランス軍はモントルイユの第1撮影所棟を接収し、傷病兵のための病院として利用しました。軍は更に、400本以上のスター・フィルムのカタログのオリジナル・プリントを押収しました。溶かしてセルロイドと銀を取り出すためです。フィルムも押収され、溶かして靴の踵に利用されました。
ジョルジュはモントルイユの第2撮影所棟を劇場に改造し、ショーを上演してしのいでいましたが、1923年、Pathéがスター・フィルムとモントルイユのスタジオを差し押さえました。怒りを爆発させたジョルジュは、モントルイユにしまってあったすべてのネガ・フィルムに火を放ちました。セットにも、衣装にも。
こうしてジョルジュは映画界から姿を消しました。1920年代中頃まで、彼はパリのモンパルナス駅でお菓子とおもちゃを売って僅かな収入を得ていました。資金は他のフィルムメーカーが出してくれたそうです。ジョルジュは1913年に最初の妻を亡くしてから独身でしたが、1925年に、長年女優として彼のフィルムを飾り続けたJeanne d'Alcyと再婚しました。二人は、ジョルジュの若い孫のMadeleine Malthête-Mélièsと共にパリに住まいました。
1920年代後半、何人かのジャーナリストがメリエスの研究を始めました。映画の世界が広がりを見せるに連れ、彼の名声は高まりました。1929年、彼の作品の回顧展がSalle Pleyelで開催されました。彼の回想録には、「人生で最も光り輝いた瞬間だった」と記されています。1931年に彼はレジオン・ドヌールを受賞するのですが、それよりもうれしかったということになりますね。
「ヒューゴ」の脚本では1930年代とされていましたが、実際は1929年の出来事だったのですね。
そして、イザベルではなくマドレーヌで、養女ではなく孫でした。
ジョルジュには、最初の妻のEugènie Gèninとの間に二人の子供、GeorgetteとAndreがいましたが、孫が複合姓で後ろがMélièsということは、Andreの娘なのでしょう。
MPPCは、イーストマン・コダックに離反され、独立系メーカーへのフィルム供給を遮断できなくなったこと、雨後の筍のように増え続ける独立系とその作品に対する特許訴訟が追いつかなくなったことなどから、徐々に影響力を失いました。
MPPCが映画俳優への支払いをケチって、配給にもフィルムにも俳優の名前を使わなかったのに対して、ハリウッドはスター俳優を次々と売り出す方法で人気を集めていきました。
とどめは1915年の反トラスト法訴訟で、違法な取引制限であるとの判決が下り、MPPCは存在意義を失いました。
1918年、MPPC船エジソン号は、古い映画産業すべてを乗せたまま沈没しました。ハリウッドの時代の到来です。
調べてみて思うのは、ジョルジュ・メリエスには、同情すべき部分とそうでない部分があるな、ということです。
軍にいろいろ接収されたり押収されたりしたことは理不尽な出来事だったとは思うのですが、それより前に彼は事実上破綻しています。
破綻に到る経緯は、彼の経営判断の誤りに他なりません。
MPPCが負け組だったというのは結果論で、当時としては仕方のない判断だったと思います。
しかし、ジョルジュのファンタジーが売れなくなったのは、お客の目が肥えたからです。
それを理解できずに、夢よもう一度、とばかりにビッグ・バジェットで作ろうとしてPathéと契約して大金を引き出したのは正当化し難いように思います。
金を持たせるとロクなシャシンを撮らない監督ってのはいますなー。ときどき。
スコセッシのことじゃナイヨ。
勲章をもらった年、ジョルジュは70歳でした。
それからも、映画を作ることはありませんでした。
健康状態に全く問題は無かったけれど、日曜も休日もなく、冬の日は冷蔵庫の中、夏の日は溶鉱炉の中で1日に14時間も働き詰めでは身が持たない、と言ったそうです。
彼にはかつてそれをやり遂げた情熱があったはずですが、既にそれは失われていたのでしょう。
モントルイユでの最後の愚行にも関わらず、今日未だに200本余りのフィルムが残されており、DVDで見られるそうです。
ところで、実はもう一つ疑問があります。
クロードが失踪した後の数ヶ月、鉄道管理当局は何故クロードの不在に気づかなかったんでしょうか。
だって、彼は給料を貰ってたはずですよね。
それとも銀行振込みだったんですかなー。
月曜日に映画を見に行ってきました。
最近ちょこちょこ時間が取れてうれしいんですなー。
仕事が無いからなんですけどね。
気を取り直して、今はどんなシャシンが掛かってるのか調べたところ、なかなか面白そうなのがやってますなー。
「シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム」。面白そう!
前作も楽しめましたし、こりゃ鉄板でしょう。
「ヒューゴの不思議な発明」。アカデミー5冠! 見たいんですなー。
でも、これらは、ちょっとだけ、時間が合わないようです。
時間が合うのっていうと・・・。
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」か。
サッチャーと言えば、レーガン、中曽根と同時代のリーダーで、新保守主義の旗手の一人です。
彼女の政治上の業績、特にフォークランド紛争がフィルムでどう評価されるのかには興味があります。
メリル・ストリープは、あんまり似てないような気もするんだけど、オスカーはマグレじゃ取れませんからなー。
でも、今回は「アーティスト」にしましょう。
アカデミー5冠ですし、goo映画のレビューワの評価がすこぶる高いので。
スクリーンは、ワーナー・マイカル・シネマズ(WMC)新百合ヶ丘です。
新百合ヶ丘って、うちの近所のバス停からバス1本で行けちゃうんですよね。
そのわりに滅多に行かないのは、手ごろな価格帯の美味しい食事のできるお店が無いからなんですけど、今回は時間的に食事はしないのです。
それと、WMCのすべてのサイトがそうなのかどうかは知らないのですが、この新百合ヶ丘ではビールを売ってないんですよね。
でも今回は時間的にビールは飲まなくてもいいのです。
さて、WMCはいわゆるシネコンでして、新百合ヶ丘の場合、ビルの6階に9つもスクリーンがあります。
わたしが座席に座って鑑賞の準備を始めたところで、ひとつ離れた席に座っていたおばちゃんが、「ねえねえ、ちょっと」と声を掛けてきました。
このケースに限らず、わたしはおばちゃんに声を掛けられることが多い人生を生きています。
新百合ヶ丘みたいな地方都市・・・って言ったら言い過ぎか、郊外の町だと、特に多い気がします。
「はい、なんでしょうか?」
「この映画が終わったあと、・・・」
おっと。そりゃちょっと困ります。
わたしにも選ぶ権利はこの後予定が、
「・・・他の部屋に移って映画見たら分かっちゃうのかしら?」
って、ありゃりゃ、そういうハナシですか。
「それは考えたこともないですね」
おばちゃんがとっ捕まるところを見てみたいとは思ったのですが、映画館にご迷惑ですよね。
犯罪教唆はやめておきました。
気を取り直して。
「アーティスト」は、1920年代のハリウッドを舞台としたラブ・ロマンスです。
って言ってしまうとちっとも面白く無さそうなんですが。
重要なのは、これが無声作品だってことなんですなー。
以下、ネタバレだらけですので、未見の方はここでお別れです。
見て損は無い作品ですよ!
・・・
では、あらすじ行きましょう。
本日は、ちょっと大仰にいってみましょうか。
時は1927年、ところはハリウッド。
ジョージ・ヴァレンティンは、銀幕の大スターです。
公開されたばかりの新作も大当たり。
舞台挨拶に出た彼は、得意のタップダンスの他に、愛犬の芸まで披露して、ファン・サービスに努めました。
彼の行く先々には、女性ファンが大勢詰め掛けます。
ペピー・ミラーも、最初はそんなジョージのファンの一人でした。
それが、幸運なアクシデントでジョージとのツー・ショットが新聞に掲載されたのをきっかけに、ジョージの主演映画も数多く手がけていた映画会社「キノグラフ」のオーディションを受け、銀幕デビューを果たすのでした。
最初はもちろんエキストラです。
ジョージとの初共演は、スパイ映画のダンス・ホールでのシーン。
ダンス客でごった返す中を、ジョージ演じるスパイが人ごみを掻き分けながら進み、途中でぶつかってしまったペピーとちょっとだけ踊ってから、奥の席までたどり着く、という流れです。
最初のテイクがNGになったのは偶然でした。
しかし、続くテイクがNGにNGを重ねたのは、ペピーとのダンスを楽しみたかったジョージがわざと間違え続けているようにしか見えません。
ジョージも、自分に憧れてこの世界に飛び込んできたペピーを憎からず思ったのでしょう。
ちょっとしたサービスだったのかもしれません。
そのペピーは、ジョージの勧めで上唇につけぼくろを描くようにしてから、徐々に頭角を現し、やがてはヒロインを演じるまでになっていきました。
1929年、それまで無声全盛だった映画界に、黒船が登場します。
キノグラフ社長アル・ジマーからトーキーのテスト・カットを見せられ、意見を求められたジョージは、「こんなものは芸術とは言えないよ。トーキーに未来なんてない」と一笑に付すのでした。
キノグラフはしかし、以後の全作品をトーキーで撮る決断を下します。
アルから出演を交渉されたジョージでしたが、自分は芸術家/アーティストだ、と言い放ち、キノグラフを去ります。
無声の役者の「くどい」演技は、トーキーの演出には不要です。
楽しかったら「楽しいね!」と、痛かったら「痛い!」と言えばいい。
トーキーの現場では、ジョージの最も優れた技術は無用の長物なのです。
その代わりにあるのは、大量の「台詞」。今までやったこともなかった、声の演技です。
ジョージは、自分が培ってきた演技技術を信じる道を選びました。
新作無声映画をプロデュースし、脚本、監督、主演を務めるのですが、これが見事に大コケ。
封切日だというのに観客もまばらな劇場を、舞台挨拶もせずに後にしたジョージが見たのは・・・、ペピー主演の新作トーキーの封切館へと続く、人々の長蛇の列でした。
ジョージにも良く分かりました。無声の時代は終わったのです。
新作の制作費は回収できず、ジョージは破産しました。
妻には離婚され、家を追い出されました。
金目のものはすべてオークションに掛け、身の回りのものも質に入れ、それでも運転手の給料すら払えなくなって解雇せざるを得なくなりました。
悔しさを酒で紛らせ、バーで酔いつぶれる日々。
昔の自分の出演作のフィルムを、アパートの一室で映写機に掛けて見ていたとき、とうとうやりきれなくなったのでしょう。
フィルムの山をすべて床にぶちまけ、火を放ちました。
紅蓮の炎がたちまち燃え広がり、室内には煙が充満しました。
ジョージは倒れ、意識を失います。
あわや焼死の窮地を救ってくれたのは、通りに走り出して警官を呼んできてくれた愛犬でした。
今やハリウッド一のトップ・スターであるペピーは、ジョージの遭難を新聞で知り、病院に駆けつけました。
ジョージは、まだ意識を取り戻してはいませんでしたが、生命の危機は脱していました。
ペピーは、大量のフィルムの中からたったひとつだけ、ジョージがしっかりと胸に抱いて離さなかったものがあったのを知りました。
ケースから出し、光に透かして見てみると、そこには、あのダンス・ホールのシーンの大量のNGテイク。
ペピーは、昏睡状態のジョージを病院から自邸に引き取ることにしました。
その晩、意識を取り戻したジョージは、ペピーに感謝を述べるのでした。
ペピーは、新作トーキーの出演を打診されていました。
翌朝キノグラフに出向いた彼女は、ジョージとの共演が出演の条件だと言って譲らず、ついにアルも折れました。
一方ジョージは、ふとした偶然から、オークションで彼の昔の栄光を示す品々すべてを高額で落札したのがペピーであったことに気付いてしまいました。
彼が解雇した運転手も、彼女が雇ってくれていました。
僅かに残っていた彼のプライドは、もはや彼の心を傷つける役にしか立ちませんでした。
それ以上ペピーの家に留まることができなかったジョージは、自宅のアパートへと歩いていくのでした。
キノグラフから戻ったペピーは、ジョージがいないことに気付くと、自ら車を運転してジョージの部屋に向かいました。
1930年代初頭の、ロサンゼルスの通りを猛スピードで突っ走り、何台もの車を追い抜きました。
最後の最後で運転を誤り、アパートの階段に車をぶつけてしまうペピー。
しかし、その大きな音が、口に咥えた拳銃の引き金を今にも引こうとしていたジョージを救いました。
何事、と窓から顔を出したジョージは、そこにペピーを見つけたのでした。
ようやくお互いの気持ちを確かめ合うことができた二人だったのですが。
ジョージはしかし、トーキーへの出演は渋ります。たぶん、自信がないのでしょう。
ところがペピーは一言、「名案があるの」。
ハリウッドのスタジオのセットでは、新作の収録が始まりました。
そこには、音楽に合わせてタップダンスを踊る、ジョージとペピーの姿がありました。
かなり激しいダンスです。
しかも、なかなか終わりません。
でも、ちょっと変です。
音楽に合わせて、二人のタップの音が聞こえてませんか?
もちろん、それを変だと思っているのはわれわれ観客だけで、二人はそんなことにはお構いなしに踊りまくっています。
やがて、曲のエンディングに合わせて決めポーズを取る二人がアップになると・・・、なんと、はぁ、はぁ、という、荒い息遣いまでが聞こえてきます!
「カット!」の声、スタッフからの「完璧!」「すばらしい!」の喝采、すべてがはっきりと聞こえます。
アルが言います。「もう一回だけ、お願いできますか」。
観客はここで初めて、ジョージの肉声を聞くのです。「よろこんで!」。
監督、脚本、編集は、ミシェル・アザナヴィシウス。
フランス人です。
姓がおフランスっぽくないのは、ルーツがユダヤ系リトアニア人だからだそうです。
代表作は「OSS 117」シリーズ。
だったんですが、今後はこの「アーティスト」になることでしょう。
少なくとも次の作品の封切までの間は。
彼が何故無声映画に挑戦したいと思ったのか、その理由は、パンフレットを読んでも良く分かりませんでした。
無声の可能性を拡げる、という意図ではないのでしょう。
本作には、無声がこれまで表現してきた題材から大きく逸脱する部分はないようですから。
むしろ、無声が得意としてきた分野、ではないかしら。
スター・ウォーズのパロディを無声でやったら、その意図ははっきりしていますけどね。
じゃあ、何だったんでしょう。
思うに、この人は無声映画が大好きで、その良さを我々にも知って欲しいと思ったのではないでしょうか。
しかし、じゃあ、無声映画の良さって何? ってことなんですが・・・。
無声には台詞がありません。
我々が洋画で見慣れているようなスタイルの字幕を入れる技術もありませんでした。
インタータイトル(挿入字幕)が必要に応じて使われるだけです。
スクリーンいっぱいに書かれた文字だけの画面に切り替わる、アレですね。
その制約の中で表現しないといけないので、特殊な演出技法が必要になります。
ストーリーは簡単に、俳優の演技は大げさに。とにかく、台詞がなくても分かりやすくします。
なので、トーキーより無声の方が、演出や俳優の演技力という意味では、高度な技術が必要です。
しかし、それって、無声映画の「良さ」なんでしょうか?
和傘をご存知でしょうか。
日本で古くから使われてきた傘なんですが。
これがまた、いろいろメンドウです。
和紙を使うので、剥がれたり破れたりしますし、虫も食います。
濡れたままほっとけません。
開くのにもコツがいります。
使ってるうちに褪色してきます。
そして、現代においては法外に高額です。
美しい、と褒めるヒトもいますけど、自由自在にプリントできる現代の傘よりもそんなに美しいかっていうと、どうでしょうねぇ。
現代の傘には、何なら和傘と全く同じ柄をプリントすることだってできますから。
それでも、未だに和傘を買い求める人はいます。
不便でも、高くても。
何故なら、和傘は、非常に高度な技術を駆使して作られた、工芸品なのです。
雨を避けるのに、工芸品を使う必要はありません。ビニール傘で十分です。(ただし舞妓さんを除く。)
が、現代における和傘の価値は、雨を避ける機能にはありません。
それは、限られた工具と材料で、如何にその機能を実現するか、その技術の結晶なのです。
映像表現の可能性という意味では、無声がトーキーに勝るところは何らありません。
無声でできることは、すべてトーキーでもできます。
本作は、第1回(1927/28年)の「つばさ」以来83年ぶりのアカデミー作品賞を取った無声映画、ということになってはいます。
しかし、ですね。
2012年の現代にホンモノの無声映画を配給するのは興行的に不可能です。
今の劇場には楽団も弁士もいませんからなー。
画面は無声の「テイ」で作られてはいますけれど、音声トラックはちゃんとあります。
1920年代までであれば楽団が演奏したであろう音楽が、全編にわたって入っています。
他にも、音楽以外の音声の入るシーンもあります。
確かに無声の演出技術を全面的に採用してはいますけど、本作を強いて分類するならば、音声トラックがある以上はトーキーです。
つまり本作は、無声映画のように見えるトーキー。
無声でできることは、トーキーでもできるのです。
しかし、限定された条件の下で、如何に優れた映像表現を作るか、その技術の結晶としての無声映画には、工芸品としての輝きがあります。
和傘が、雨避けには使わないけれども、工芸品として鑑賞に耐えうるのと同じように。
無声も、ジョン・マクレーンやトトロを表現するのには使わない(であろう)けれども、伝統工芸品としての観賞価値はあるのだと思います。
とはいえ、アザナヴィシウス監督がそう思って本作を作ったのか否かには、やはり自信が持てないのですが(後述します)。
ジョージ・ヴァレンティン役のジャン・デュジャルダンは、フランスの俳優兼コメディアンだそうです。
件の「OSS 117」シリーズにも主演していて、ということはアザナヴィシウス監督とは旧知の中です。
ジョージ・ヴァレンティンという役自体が、デュジャルダンのためにデザインされたのだそうです。
このヒト、笑うと目が垂れて、ああ、コメディアンなんだな、っていう顔になるし、真面目な顔をすると、キリッと引き締まって、ショーン・コネリーを彷彿とさせるし、実に幅の広い、いい俳優ですね。
だから「OSS 117」シリーズに採用されたんでしょう。(これ、「007」シリーズのパロディなんです。)
ペピー・ミラー役には、ベレニス・ベジョ。
フランスの女優兼コメディアンだそうですが、それより何より、アザナヴィシウス監督の奥さんです。
そして、ペピー・ミラーという役もまた、ベジョのためにデザインされたものだそうです。
つまり、本作は、極めて気心の知れたユニットで作られた、「アザナヴィシウス組」の作品なのですね。
エキストラとはいえ、ジョージとの初共演を果たしたペピーは、ジョージの楽屋を訪れました。
ところが、鍵は開いたままで、中には誰もいません。
こっそりと忍び込み、憧れの俳優の楽屋の様子を、うっとりと見て回るペピー。
やがて、壁に掛かったタキシードに目が留まります。
最初はためらいながら、しかしゆっくりと、タキシードの片腕にだけ袖を通し、その腕を自らの腰に回して・・・。
そのままタキシードの胸に顔を埋めると、まるで、ジョージの腕の中に抱かれているようです。
無声の演出技術というのはかくも素晴らしいものかと、見る者が驚く演技ではないでしょうか。
女優が凄いのか監督が凄いのか、おそらくはその両方でしょう。
見終わって思ったのは、なるほど、レビューワの評価が高いはずだ、ということです。
これ、褒めれば褒めるほど、レビューワの株が上がる作品なのです。
そこかしこに、往年の名作名優のパロディが詰め込まれていて、いろいろ知っているとより面白く鑑賞できるんですね。
それを「面白く鑑賞しました」とレビューしたら、そのレビューワはいろいろ知ってることになるわけです。
無声時代のハリウッドの様子、ペピーの家のロケをどこでやったか、つけぼくろのエピソードのネタ元は、この曲は実はヒッチコックのこのシャシンの、などなどなど、レビューワの博識自慢大会をやるには絶好の題材です。
ジョージ・ヴァレンティンのモデルについての話を始めたらそれだけで紙幅が尽きてしまうでしょう。
(なので本稿ではそれらはお偉い評論家の皆さんにお任せしました。)
アカデミー5冠。それはもちろん素晴らしいですけど、オスカーを取りやすい作品ではあるでしょう。
でも、そのことを除いても、この作品がいい作品であることに疑いはありません。
ホンは、表面上は単純明快なラブ・ロマンスで、それは十分楽しめますし、一方でその奥には、考えさせられるメッセージが隠されているようにも思えます。
俳優の演技は言うに及ばず。なんたって無声ですからね!
音楽も実によく練られています。無声において音楽は台詞の代わりであることを思わされます。
しかし、それでもわたしには、ずっともやもやしていることがあります。
それは、この物語はハッピー・エンドなのか、ということです。
もちろん、ペピーにとってはハッピー・エンドなのでしょう。
でも、ジョージにとってはどうなんだろう。
和傘職人のジョージにとっての幸せは、洋傘職人に転進することなんでしょうか。
ペピーの言う「名案」とは、どうやら、ジョージをミュージカル映画に出すことだったようですね。
ミュージカルなら、ジョージお得意のダンスが活かせます。
台詞まわしがあまり上手くなくても、歌が上手ければ誤魔化せるかもしれません。
なるほどね。
ただ、実は初期のミュージカル映画は、世界恐慌の煽りを食ってブロードウェイの興行が振るわなくなったために、本職のダンサーたちがこぞって映画に転進することで形成されたジャンルだったのです。
例えばフレッド・アステアとか。
その中に無声の俳優が飛び込んでいって、どのくらいできただろうか、って考えると、ちょっと疑問な感じはするんですけども。
ハナシが脱線しました。問題はそこじゃないんです。
ミュージカルでも何でもいいんですが、トーキーに出ることがジョージの幸せだったのか、ということです。
人々に、とりわけ、その頃世界恐慌の荒波の前に立ち尽くしていた世界中の人々に、上質のエンターテインメントをお届けして明るさを取り戻してもらうこと、それこそが目的であって、無声であるかトーキーであるかは手段の違いに過ぎない、そう言っているのでしょうか。
ちっぽけなプライドを守って無声映画に殉死するのではなく、お客を楽しませる新たな道具を使いこなす方がいいのだ、と、このフィルムは、この監督は、そう言ってるんでしょうか? 本当に?
するとやはり、無声の良さを人々に知らしめる映画だ、というのは、わたしの誤解だったんでしょうか?
無声でできることはトーキーでもすべてできる、ということが言いたいフィルムだった?
ジョージはアーティストでした。
アーティストにとって、その技術は、偉大な目的のための手段、ではないのでは。
和傘職人は、たとえ「おとくい」が数人だけになろうとも、研鑽を忘れず、より素晴らしい和傘を作り、その技を弟子に伝えていきます。
和傘だけでは食ってはいけないので、和傘作りの技術を活かした他の工芸品を作って糊口をしのぐそうです。
技術が軸なのであって、傘を作ることが軸ではないのです。
銀幕の大スター、ジョージ・ヴァレンティンに恋をしたペピーは、あの匂い立つような演技を捨てたジョージを、変わらず慕い続けることができるんでしょうか。
それでもやはり、安い傘が欲しい人には洋傘を作って差し上げるべきなんでしょうか。
古き良き時代の思い出を、あの頃の恋人を、そっと取り出して眺めてはみたけれど、やっぱりこんなの古臭くてダメだよ、もう時代はトーキーなんだよ、ペピーだってトーキーの俳優の方が好きなんだよ、これはそんな映画なんですか。
そんなふうに思ってしまうのは、わたしが日本人だから、なのかなぁ・・・。
あ、そうだ、言い忘れましたけど、本作はパンフレットが実に美しいです。
一見の価値はあると思いますよ!
最近ちょこちょこ時間が取れてうれしいんですなー。
仕事が無いからなんですけどね。
気を取り直して、今はどんなシャシンが掛かってるのか調べたところ、なかなか面白そうなのがやってますなー。
「シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム」。面白そう!
前作も楽しめましたし、こりゃ鉄板でしょう。
「ヒューゴの不思議な発明」。アカデミー5冠! 見たいんですなー。
でも、これらは、ちょっとだけ、時間が合わないようです。
時間が合うのっていうと・・・。
「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」か。
サッチャーと言えば、レーガン、中曽根と同時代のリーダーで、新保守主義の旗手の一人です。
彼女の政治上の業績、特にフォークランド紛争がフィルムでどう評価されるのかには興味があります。
メリル・ストリープは、あんまり似てないような気もするんだけど、オスカーはマグレじゃ取れませんからなー。
でも、今回は「アーティスト」にしましょう。
アカデミー5冠ですし、goo映画のレビューワの評価がすこぶる高いので。
スクリーンは、ワーナー・マイカル・シネマズ(WMC)新百合ヶ丘です。
新百合ヶ丘って、うちの近所のバス停からバス1本で行けちゃうんですよね。
そのわりに滅多に行かないのは、手ごろな価格帯の美味しい食事のできるお店が無いからなんですけど、今回は時間的に食事はしないのです。
それと、WMCのすべてのサイトがそうなのかどうかは知らないのですが、この新百合ヶ丘ではビールを売ってないんですよね。
でも今回は時間的にビールは飲まなくてもいいのです。
さて、WMCはいわゆるシネコンでして、新百合ヶ丘の場合、ビルの6階に9つもスクリーンがあります。
わたしが座席に座って鑑賞の準備を始めたところで、ひとつ離れた席に座っていたおばちゃんが、「ねえねえ、ちょっと」と声を掛けてきました。
このケースに限らず、わたしはおばちゃんに声を掛けられることが多い人生を生きています。
新百合ヶ丘みたいな地方都市・・・って言ったら言い過ぎか、郊外の町だと、特に多い気がします。
「はい、なんでしょうか?」
「この映画が終わったあと、・・・」
おっと。そりゃちょっと困ります。
わたし
「・・・他の部屋に移って映画見たら分かっちゃうのかしら?」
って、ありゃりゃ、そういうハナシですか。
「それは考えたこともないですね」
おばちゃんがとっ捕まるところを見てみたいとは思ったのですが、映画館にご迷惑ですよね。
犯罪教唆はやめておきました。
気を取り直して。
「アーティスト」は、1920年代のハリウッドを舞台としたラブ・ロマンスです。
って言ってしまうとちっとも面白く無さそうなんですが。
重要なのは、これが無声作品だってことなんですなー。
以下、ネタバレだらけですので、未見の方はここでお別れです。
見て損は無い作品ですよ!
・・・
では、あらすじ行きましょう。
本日は、ちょっと大仰にいってみましょうか。
時は1927年、ところはハリウッド。
ジョージ・ヴァレンティンは、銀幕の大スターです。
公開されたばかりの新作も大当たり。
舞台挨拶に出た彼は、得意のタップダンスの他に、愛犬の芸まで披露して、ファン・サービスに努めました。
彼の行く先々には、女性ファンが大勢詰め掛けます。
ペピー・ミラーも、最初はそんなジョージのファンの一人でした。
それが、幸運なアクシデントでジョージとのツー・ショットが新聞に掲載されたのをきっかけに、ジョージの主演映画も数多く手がけていた映画会社「キノグラフ」のオーディションを受け、銀幕デビューを果たすのでした。
最初はもちろんエキストラです。
ジョージとの初共演は、スパイ映画のダンス・ホールでのシーン。
ダンス客でごった返す中を、ジョージ演じるスパイが人ごみを掻き分けながら進み、途中でぶつかってしまったペピーとちょっとだけ踊ってから、奥の席までたどり着く、という流れです。
最初のテイクがNGになったのは偶然でした。
しかし、続くテイクがNGにNGを重ねたのは、ペピーとのダンスを楽しみたかったジョージがわざと間違え続けているようにしか見えません。
ジョージも、自分に憧れてこの世界に飛び込んできたペピーを憎からず思ったのでしょう。
ちょっとしたサービスだったのかもしれません。
そのペピーは、ジョージの勧めで上唇につけぼくろを描くようにしてから、徐々に頭角を現し、やがてはヒロインを演じるまでになっていきました。
1929年、それまで無声全盛だった映画界に、黒船が登場します。
キノグラフ社長アル・ジマーからトーキーのテスト・カットを見せられ、意見を求められたジョージは、「こんなものは芸術とは言えないよ。トーキーに未来なんてない」と一笑に付すのでした。
キノグラフはしかし、以後の全作品をトーキーで撮る決断を下します。
アルから出演を交渉されたジョージでしたが、自分は芸術家/アーティストだ、と言い放ち、キノグラフを去ります。
無声の役者の「くどい」演技は、トーキーの演出には不要です。
楽しかったら「楽しいね!」と、痛かったら「痛い!」と言えばいい。
トーキーの現場では、ジョージの最も優れた技術は無用の長物なのです。
その代わりにあるのは、大量の「台詞」。今までやったこともなかった、声の演技です。
ジョージは、自分が培ってきた演技技術を信じる道を選びました。
新作無声映画をプロデュースし、脚本、監督、主演を務めるのですが、これが見事に大コケ。
封切日だというのに観客もまばらな劇場を、舞台挨拶もせずに後にしたジョージが見たのは・・・、ペピー主演の新作トーキーの封切館へと続く、人々の長蛇の列でした。
ジョージにも良く分かりました。無声の時代は終わったのです。
新作の制作費は回収できず、ジョージは破産しました。
妻には離婚され、家を追い出されました。
金目のものはすべてオークションに掛け、身の回りのものも質に入れ、それでも運転手の給料すら払えなくなって解雇せざるを得なくなりました。
悔しさを酒で紛らせ、バーで酔いつぶれる日々。
昔の自分の出演作のフィルムを、アパートの一室で映写機に掛けて見ていたとき、とうとうやりきれなくなったのでしょう。
フィルムの山をすべて床にぶちまけ、火を放ちました。
紅蓮の炎がたちまち燃え広がり、室内には煙が充満しました。
ジョージは倒れ、意識を失います。
あわや焼死の窮地を救ってくれたのは、通りに走り出して警官を呼んできてくれた愛犬でした。
今やハリウッド一のトップ・スターであるペピーは、ジョージの遭難を新聞で知り、病院に駆けつけました。
ジョージは、まだ意識を取り戻してはいませんでしたが、生命の危機は脱していました。
ペピーは、大量のフィルムの中からたったひとつだけ、ジョージがしっかりと胸に抱いて離さなかったものがあったのを知りました。
ケースから出し、光に透かして見てみると、そこには、あのダンス・ホールのシーンの大量のNGテイク。
ペピーは、昏睡状態のジョージを病院から自邸に引き取ることにしました。
その晩、意識を取り戻したジョージは、ペピーに感謝を述べるのでした。
ペピーは、新作トーキーの出演を打診されていました。
翌朝キノグラフに出向いた彼女は、ジョージとの共演が出演の条件だと言って譲らず、ついにアルも折れました。
一方ジョージは、ふとした偶然から、オークションで彼の昔の栄光を示す品々すべてを高額で落札したのがペピーであったことに気付いてしまいました。
彼が解雇した運転手も、彼女が雇ってくれていました。
僅かに残っていた彼のプライドは、もはや彼の心を傷つける役にしか立ちませんでした。
それ以上ペピーの家に留まることができなかったジョージは、自宅のアパートへと歩いていくのでした。
キノグラフから戻ったペピーは、ジョージがいないことに気付くと、自ら車を運転してジョージの部屋に向かいました。
1930年代初頭の、ロサンゼルスの通りを猛スピードで突っ走り、何台もの車を追い抜きました。
最後の最後で運転を誤り、アパートの階段に車をぶつけてしまうペピー。
しかし、その大きな音が、口に咥えた拳銃の引き金を今にも引こうとしていたジョージを救いました。
何事、と窓から顔を出したジョージは、そこにペピーを見つけたのでした。
ようやくお互いの気持ちを確かめ合うことができた二人だったのですが。
ジョージはしかし、トーキーへの出演は渋ります。たぶん、自信がないのでしょう。
ところがペピーは一言、「名案があるの」。
ハリウッドのスタジオのセットでは、新作の収録が始まりました。
そこには、音楽に合わせてタップダンスを踊る、ジョージとペピーの姿がありました。
かなり激しいダンスです。
しかも、なかなか終わりません。
でも、ちょっと変です。
音楽に合わせて、二人のタップの音が聞こえてませんか?
もちろん、それを変だと思っているのはわれわれ観客だけで、二人はそんなことにはお構いなしに踊りまくっています。
やがて、曲のエンディングに合わせて決めポーズを取る二人がアップになると・・・、なんと、はぁ、はぁ、という、荒い息遣いまでが聞こえてきます!
「カット!」の声、スタッフからの「完璧!」「すばらしい!」の喝采、すべてがはっきりと聞こえます。
アルが言います。「もう一回だけ、お願いできますか」。
観客はここで初めて、ジョージの肉声を聞くのです。「よろこんで!」。
監督、脚本、編集は、ミシェル・アザナヴィシウス。
フランス人です。
姓がおフランスっぽくないのは、ルーツがユダヤ系リトアニア人だからだそうです。
代表作は「OSS 117」シリーズ。
だったんですが、今後はこの「アーティスト」になることでしょう。
少なくとも次の作品の封切までの間は。
彼が何故無声映画に挑戦したいと思ったのか、その理由は、パンフレットを読んでも良く分かりませんでした。
無声の可能性を拡げる、という意図ではないのでしょう。
本作には、無声がこれまで表現してきた題材から大きく逸脱する部分はないようですから。
むしろ、無声が得意としてきた分野、ではないかしら。
スター・ウォーズのパロディを無声でやったら、その意図ははっきりしていますけどね。
じゃあ、何だったんでしょう。
思うに、この人は無声映画が大好きで、その良さを我々にも知って欲しいと思ったのではないでしょうか。
しかし、じゃあ、無声映画の良さって何? ってことなんですが・・・。
無声には台詞がありません。
我々が洋画で見慣れているようなスタイルの字幕を入れる技術もありませんでした。
インタータイトル(挿入字幕)が必要に応じて使われるだけです。
スクリーンいっぱいに書かれた文字だけの画面に切り替わる、アレですね。
その制約の中で表現しないといけないので、特殊な演出技法が必要になります。
ストーリーは簡単に、俳優の演技は大げさに。とにかく、台詞がなくても分かりやすくします。
なので、トーキーより無声の方が、演出や俳優の演技力という意味では、高度な技術が必要です。
しかし、それって、無声映画の「良さ」なんでしょうか?
和傘をご存知でしょうか。
日本で古くから使われてきた傘なんですが。
これがまた、いろいろメンドウです。
和紙を使うので、剥がれたり破れたりしますし、虫も食います。
濡れたままほっとけません。
開くのにもコツがいります。
使ってるうちに褪色してきます。
そして、現代においては法外に高額です。
美しい、と褒めるヒトもいますけど、自由自在にプリントできる現代の傘よりもそんなに美しいかっていうと、どうでしょうねぇ。
現代の傘には、何なら和傘と全く同じ柄をプリントすることだってできますから。
それでも、未だに和傘を買い求める人はいます。
不便でも、高くても。
何故なら、和傘は、非常に高度な技術を駆使して作られた、工芸品なのです。
雨を避けるのに、工芸品を使う必要はありません。ビニール傘で十分です。(ただし舞妓さんを除く。)
が、現代における和傘の価値は、雨を避ける機能にはありません。
それは、限られた工具と材料で、如何にその機能を実現するか、その技術の結晶なのです。
映像表現の可能性という意味では、無声がトーキーに勝るところは何らありません。
無声でできることは、すべてトーキーでもできます。
本作は、第1回(1927/28年)の「つばさ」以来83年ぶりのアカデミー作品賞を取った無声映画、ということになってはいます。
しかし、ですね。
2012年の現代にホンモノの無声映画を配給するのは興行的に不可能です。
今の劇場には楽団も弁士もいませんからなー。
画面は無声の「テイ」で作られてはいますけれど、音声トラックはちゃんとあります。
1920年代までであれば楽団が演奏したであろう音楽が、全編にわたって入っています。
他にも、音楽以外の音声の入るシーンもあります。
確かに無声の演出技術を全面的に採用してはいますけど、本作を強いて分類するならば、音声トラックがある以上はトーキーです。
つまり本作は、無声映画のように見えるトーキー。
無声でできることは、トーキーでもできるのです。
しかし、限定された条件の下で、如何に優れた映像表現を作るか、その技術の結晶としての無声映画には、工芸品としての輝きがあります。
和傘が、雨避けには使わないけれども、工芸品として鑑賞に耐えうるのと同じように。
無声も、ジョン・マクレーンやトトロを表現するのには使わない(であろう)けれども、伝統工芸品としての観賞価値はあるのだと思います。
とはいえ、アザナヴィシウス監督がそう思って本作を作ったのか否かには、やはり自信が持てないのですが(後述します)。
ジョージ・ヴァレンティン役のジャン・デュジャルダンは、フランスの俳優兼コメディアンだそうです。
件の「OSS 117」シリーズにも主演していて、ということはアザナヴィシウス監督とは旧知の中です。
ジョージ・ヴァレンティンという役自体が、デュジャルダンのためにデザインされたのだそうです。
このヒト、笑うと目が垂れて、ああ、コメディアンなんだな、っていう顔になるし、真面目な顔をすると、キリッと引き締まって、ショーン・コネリーを彷彿とさせるし、実に幅の広い、いい俳優ですね。
だから「OSS 117」シリーズに採用されたんでしょう。(これ、「007」シリーズのパロディなんです。)
ペピー・ミラー役には、ベレニス・ベジョ。
フランスの女優兼コメディアンだそうですが、それより何より、アザナヴィシウス監督の奥さんです。
そして、ペピー・ミラーという役もまた、ベジョのためにデザインされたものだそうです。
つまり、本作は、極めて気心の知れたユニットで作られた、「アザナヴィシウス組」の作品なのですね。
エキストラとはいえ、ジョージとの初共演を果たしたペピーは、ジョージの楽屋を訪れました。
ところが、鍵は開いたままで、中には誰もいません。
こっそりと忍び込み、憧れの俳優の楽屋の様子を、うっとりと見て回るペピー。
やがて、壁に掛かったタキシードに目が留まります。
最初はためらいながら、しかしゆっくりと、タキシードの片腕にだけ袖を通し、その腕を自らの腰に回して・・・。
そのままタキシードの胸に顔を埋めると、まるで、ジョージの腕の中に抱かれているようです。
無声の演出技術というのはかくも素晴らしいものかと、見る者が驚く演技ではないでしょうか。
女優が凄いのか監督が凄いのか、おそらくはその両方でしょう。
見終わって思ったのは、なるほど、レビューワの評価が高いはずだ、ということです。
これ、褒めれば褒めるほど、レビューワの株が上がる作品なのです。
そこかしこに、往年の名作名優のパロディが詰め込まれていて、いろいろ知っているとより面白く鑑賞できるんですね。
それを「面白く鑑賞しました」とレビューしたら、そのレビューワはいろいろ知ってることになるわけです。
無声時代のハリウッドの様子、ペピーの家のロケをどこでやったか、つけぼくろのエピソードのネタ元は、この曲は実はヒッチコックのこのシャシンの、などなどなど、レビューワの博識自慢大会をやるには絶好の題材です。
ジョージ・ヴァレンティンのモデルについての話を始めたらそれだけで紙幅が尽きてしまうでしょう。
(なので本稿ではそれらはお偉い評論家の皆さんにお任せしました。)
アカデミー5冠。それはもちろん素晴らしいですけど、オスカーを取りやすい作品ではあるでしょう。
でも、そのことを除いても、この作品がいい作品であることに疑いはありません。
ホンは、表面上は単純明快なラブ・ロマンスで、それは十分楽しめますし、一方でその奥には、考えさせられるメッセージが隠されているようにも思えます。
俳優の演技は言うに及ばず。なんたって無声ですからね!
音楽も実によく練られています。無声において音楽は台詞の代わりであることを思わされます。
しかし、それでもわたしには、ずっともやもやしていることがあります。
それは、この物語はハッピー・エンドなのか、ということです。
もちろん、ペピーにとってはハッピー・エンドなのでしょう。
でも、ジョージにとってはどうなんだろう。
和傘職人のジョージにとっての幸せは、洋傘職人に転進することなんでしょうか。
ペピーの言う「名案」とは、どうやら、ジョージをミュージカル映画に出すことだったようですね。
ミュージカルなら、ジョージお得意のダンスが活かせます。
台詞まわしがあまり上手くなくても、歌が上手ければ誤魔化せるかもしれません。
なるほどね。
ただ、実は初期のミュージカル映画は、世界恐慌の煽りを食ってブロードウェイの興行が振るわなくなったために、本職のダンサーたちがこぞって映画に転進することで形成されたジャンルだったのです。
例えばフレッド・アステアとか。
その中に無声の俳優が飛び込んでいって、どのくらいできただろうか、って考えると、ちょっと疑問な感じはするんですけども。
ハナシが脱線しました。問題はそこじゃないんです。
ミュージカルでも何でもいいんですが、トーキーに出ることがジョージの幸せだったのか、ということです。
人々に、とりわけ、その頃世界恐慌の荒波の前に立ち尽くしていた世界中の人々に、上質のエンターテインメントをお届けして明るさを取り戻してもらうこと、それこそが目的であって、無声であるかトーキーであるかは手段の違いに過ぎない、そう言っているのでしょうか。
ちっぽけなプライドを守って無声映画に殉死するのではなく、お客を楽しませる新たな道具を使いこなす方がいいのだ、と、このフィルムは、この監督は、そう言ってるんでしょうか? 本当に?
するとやはり、無声の良さを人々に知らしめる映画だ、というのは、わたしの誤解だったんでしょうか?
無声でできることはトーキーでもすべてできる、ということが言いたいフィルムだった?
ジョージはアーティストでした。
アーティストにとって、その技術は、偉大な目的のための手段、ではないのでは。
和傘職人は、たとえ「おとくい」が数人だけになろうとも、研鑽を忘れず、より素晴らしい和傘を作り、その技を弟子に伝えていきます。
和傘だけでは食ってはいけないので、和傘作りの技術を活かした他の工芸品を作って糊口をしのぐそうです。
技術が軸なのであって、傘を作ることが軸ではないのです。
銀幕の大スター、ジョージ・ヴァレンティンに恋をしたペピーは、あの匂い立つような演技を捨てたジョージを、変わらず慕い続けることができるんでしょうか。
それでもやはり、安い傘が欲しい人には洋傘を作って差し上げるべきなんでしょうか。
古き良き時代の思い出を、あの頃の恋人を、そっと取り出して眺めてはみたけれど、やっぱりこんなの古臭くてダメだよ、もう時代はトーキーなんだよ、ペピーだってトーキーの俳優の方が好きなんだよ、これはそんな映画なんですか。
そんなふうに思ってしまうのは、わたしが日本人だから、なのかなぁ・・・。
あ、そうだ、言い忘れましたけど、本作はパンフレットが実に美しいです。
一見の価値はあると思いますよ!