自由気ままな一人語り たまに毒も吐きます -20ページ目

自由気ままな一人語り たまに毒も吐きます

2022年11月に乳がんが発覚しました。
手術を経て、今は、元気を回復すべく日常を送っています。
おっかなびっくり毎日を過ごしています。大好きなお酒を飲みながら。

今日は、帰りに、久しぶりに会った友人とガストで晩ごはんを食べて来た。





いろんな事を思いながら、帰りの電車の中でふとこの記事を読んだ。



ステップファミリーの家族の中で、夫の子供(義理の息子)が、高熱を出して泣きじゃくりながら、「ママぁ」とか細く言ったと。



私は、ママじゃないけど子供は母親を求めているのだと、育てる事でママになって行こうと思ったって記事(大意)



私は、胸にぐっと来て、涙を堪えるのが大変だった。



帰宅してから、じっくり読み直した。



この義理の息子の本当の母親は、出て行った(詳しくは記事を見て欲しいです)のに、そこまで母親から可愛いがられていなかったのに、息子は母親を求めた。






母親のぬくもりを求めたのを知って、私は、自分の過去とダブる。






手離したあの子達…



あの子達が大きくなる間に、何度「自分には母親はいない」と、考えたのだろう…



友達が「私のママはね…」なんて話されるのをどういう気持ちで聞いて来たのか…



その度に「いいなぁ…」と思うのと同時に「自分には〜」と自分の身の上を思ってきたに違いない…



「こんな寂しい思いをするのも出て行ったママのせい」と、そう思う時と、それも虚しく思う時がないまぜになって来て、あの子達は大人になったんだろう…



母親に抱き締められる事も、「ママは私の事を愛しているんだな」と確信を持つ事もなく、母親を忘れて行ったのだろうと思う…






どんなに後悔した私でも、どれだけあの子達を想った私でも母親の立場から逃れた罪は本当に罪深い。





久しぶりに、声をあげて泣いたけど、どこか「薄汚れた涙だな」と自分に思う。



あの子達の今までと比べたら、私は、享楽的に生きてきたんだから…





どんなに自分を責めても、あの子達の思いには到達しない。









こんな時に…
こんな時に…
命を絶ってしまいたくなる…



自分を消してしまいたくなるんだ…







どれほど自分を責めたら、救われるというのか…







きっと私には、あの子達に会いたいなんて思っちゃいけないんだろう…







小学一年生のあの子と年長さんのあの子を思う…



私には、手離したあの時から、あの子達は年齢を重ねてないのだ。






どんなに涙したって、時間は戻って来ないのに…



あの子達は、大人になったっていうのに…















今晩は、とても苦しいよ…