エレクトラ | arigioari

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現在の徒然なる思いの、寄せ集めです。

エウリビデスの悲劇を読んで後、鮮やかに印象に残っている場面が、たいていは使者などによる長い台詞の部分であることに気づく。舞台前面ではこれといった強烈な事件は起きていないのに、その背後にまがまがしい、心理の底をかきまわすような光景を垣間見せる、そんな役目を使者などの知らせが果しているようなのだ。日常の舞台の時がそのとき裂ける。それは根元的なものへの穴である。
今日読んだのは「エレクトラ」。その裂け目のむこうにあった風景は、供儀の執り行われる白日であった。供儀が殺人にとってかわったけど-それも母殺しまで含まれている-、それは供儀に参集する人々に与えるのと同質の印象を、より強く観客に与えたのではないだろうか。