誰もが忙しいときに、「おつかれさま!」と労ってくださって、

「これ、おやつにどうぞ」と差し入れを置いて行ってくださった方。

 

おかげさまで、ほっと緊張がほぐれて、

お茶と一緒にすぐいただいて、気持をリセットすることができました。

さてまた頑張るか、と。

 

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頑張ってるだろうなと相手を想いやり、行動で表すことを、どれだけの人ができているでしょうか?

さっと表現できることに、とても価値があるように思います。

 

してもらって記憶に残り、心に残ったことは、次の機会には自分が相手にしてあげられる事になっていくものです。

そうありたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえこの味付け、どうかな?ちょっと見てくださる?」

いつも安定して美味しいお料理を作ってらっしゃる方から、こんなふうに聞かれました。

思いがけず、明かりが暗くなってしまって、

まあ突発的な事というのは思いがけず起こるもので、

けれどそんな状況下でもいつもどおりにお料理したのだそうです。

環境に左右されない、さすがと思わずにいられませんでした。

 

ちょっぴり味見をさせていただいたのですが、

いや、安定の美味しさです。何の問題もありませんでした。

 

むしろ私のほうがお料理の素人で、意見できるほどの基準も持ち合わせていないくらいで、頼りは自分の舌くらいなものです。

 

美味しく出来上がっているし、智識も経験もあって、自信もおありだろうに、

そのままGOで良さそうなのに。

 

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お世話になっている方に、言われたことがあります。

 

あなたは自分では知識や経験が無くて自分なんて大した事ないとか、自信がないと思っているかもしれないけどね、

あなたはもう、ちゃんと持っているのだから、自分で気がついていないだけなのだから、

堂々と、やればいいんだよ。

 

はい、おっしゃるとおり。

自分の事は、なかなか自分では測れないもので。

でも確かに知識も経験もあるはず。

そうか、私もう持ってるのか。

 

なんて思って。

ぐっと背中を押してもらったことがありました。

 

なんか自信ないんだよな・・というときに、

YESを出してくれる存在が、心強くなることって、ありますもんね。

 

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そのあと皆でそのお料理をいただいたのですが、

うわー、美味しい!

口々に言いながら、皆がすっかり美味しくいただいたのでした。

間違いなく、安定の美味しさです。

ごちそうさまでした。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サブスク型の映画たけなわ、私も某プライムでよく映画を観ます。

先日も、主人公がティーンズの頃から泣いたことが無いというのを、物語が進んでいくと、素直に泣ける自分を取り戻す・・というストーリーを観ました。かたや相手は、本やちょっとした事でも涙を流してしまうほど。対比も面白い設定でした。

 

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仕事の場では涙で仕事を止めてしまっては困るのだけれど、

一方で、個人的に、自分の素直な部分として心が動いた涙は流れるままに流したらいいのではないかと思うほうです。

 

先日、ものすごく久しぶりに、「泥中の蓮」のたとえを聞きましてね。

自分のために学びに出掛けていた頃以来かもしれません。

美しく咲く蓮の花の、茎から下は泥の中なのです。

泥の中でも美しい花を咲かせる蓮にたとえて、

汚れた環境にいても、悪い影響を受けることなく、清く生きることをいいます。

 

お仕事でも人生でも、その時々で、人それぞれに困難な環境というものはあるのかもしれません。

けれど、どんな環境にあっても、自分自身はそれに押されて諦めてしまうことなく、まっすぐに目指すところを忘れず生きることを思い出させる言葉です。

 

さて、その泥中の蓮の時も、そういえばこのところ忙しさを優先させるあまり、自分の個人の活動ってどこへ置いてきぼりにしてたのだったかなと、ふと思い出してしまい、

あれっ、今生は何のためにここへ生まれてきたのだった?

自分に問いかけることしばし。

蓮の花は馴染みのあるアイコンだったこともあって、ああこれは名前を呼ばれたなと、自然に涙が出てきたのです。

心が動いた時の涙は、もうしかたありません。笑

 

日々、忙しくして放ったらかしにしていると、自分の目的に沿って歩けているか、本当の目的を忘れてやしませんか?という小さな警告やヒントをキャッチできずに逃してしまうのかもしれません。

それでもキャッチできずにいると、泣けてしまうほどのヒントがやってくるのかもです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

 

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つい数日前でまだ今週のこと、(しかしもう昨年である)

お世話になっている先で、ちょっとしたレクチャーがあり、その中で聞いた話。

 

一説によると、人は生まれる前に自分の人生のシナリオを書いてきて、そのとおりに人生を運んでいるのだそうです。

そんなわけで、ちょっと辛いな、大変だな、と感じる出来事があっても、

実はそれ自分で決めてきてたらしいですよな話は、聞いたことがある方も多いのではないかと思います。

 

しかも、自分に対してちょっと嫌なことをしかけてくる相手は、

そもそも自分がシナリオを書く時点で、

いついつこんな嫌なことしてくれませんか

とお願いしているのだそうです。

 

さらに、その相手の方も、人に対して嫌なことを仕掛ける役といえども、

それは善き自分の人生ではないにもかかわらず、

あなたのためなら引き受けましょう

といって引受けて下さるのだそうです。

 

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という話を聞きながらふと思い出していたのが、

上等な条件ではなかったけれど、

でも行く!

と決めたときのこと。

 

確かに、決めたのだった。

 

。・"・.。・゜・.。*"

 

ここしばらく、与えられた場所で役に立つべく頑張って、

新しい環境も出会いも刺激もあって、ありがたい一年でした。

さて個人の活動は決まった分だけのスローペースだったのが、

この数日で、ぱたぱたっとパズルのピースが集まってきました。

そんなわけで、ここの文章また始めます。

またおつきあいください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポロン♪とメッセンジャーが鳴って、友から近況と写真が送られてきて。

おっ今日はここに居るのだな、とすぐわかる、二人がお気に入りの某お店からだった。

そうそう、私もここのサンドイッチ好きだからさ、こないだ食べた。笑

 

なんでもない共通点に、ふふっと和みながら、

いや同じ時代を生きるだけでも確率どれだけなんですか、

まして同じ好きがあるといったら、もっと狭まります。

 

なんて。

たったこれだけでも、

広い世界で、縁なのかもしれませんよ。

 

・.:+゜・。:+゜・

 

信頼するかたの繋がりで、新しいご縁をいただけることになりました。

もちろん全力で貢献させていただきます。

 

ところで仲良くしてもらっているかたがまた、時を同じくして、新しい縁があるのだそうで。

ちょっとドキドキするよね、なんという話をして、

またそれだけでも、

場所は違うにしても、同じように新しく頑張ってるのだと思うと、それだけで、

離れていてもなんだか、心強いね。