サブスク型の映画たけなわ、私も某プライムでよく映画を観ます。
先日も、主人公がティーンズの頃から泣いたことが無いというのを、物語が進んでいくと、素直に泣ける自分を取り戻す・・というストーリーを観ました。かたや相手は、本やちょっとした事でも涙を流してしまうほど。対比も面白い設定でした。
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仕事の場では涙で仕事を止めてしまっては困るのだけれど、
一方で、個人的に、自分の素直な部分として心が動いた涙は流れるままに流したらいいのではないかと思うほうです。
先日、ものすごく久しぶりに、「泥中の蓮」のたとえを聞きましてね。
自分のために学びに出掛けていた頃以来かもしれません。
美しく咲く蓮の花の、茎から下は泥の中なのです。
泥の中でも美しい花を咲かせる蓮にたとえて、
汚れた環境にいても、悪い影響を受けることなく、清く生きることをいいます。
お仕事でも人生でも、その時々で、人それぞれに困難な環境というものはあるのかもしれません。
けれど、どんな環境にあっても、自分自身はそれに押されて諦めてしまうことなく、まっすぐに目指すところを忘れず生きることを思い出させる言葉です。
さて、その泥中の蓮の時も、そういえばこのところ忙しさを優先させるあまり、自分の個人の活動ってどこへ置いてきぼりにしてたのだったかなと、ふと思い出してしまい、
あれっ、今生は何のためにここへ生まれてきたのだった?
自分に問いかけることしばし。
蓮の花は馴染みのあるアイコンだったこともあって、ああこれは名前を呼ばれたなと、自然に涙が出てきたのです。
心が動いた時の涙は、もうしかたありません。笑
日々、忙しくして放ったらかしにしていると、自分の目的に沿って歩けているか、本当の目的を忘れてやしませんか?という小さな警告やヒントをキャッチできずに逃してしまうのかもしれません。
それでもキャッチできずにいると、泣けてしまうほどのヒントがやってくるのかもです。