娘が計画した
地元温泉宿一泊ミニ旅行。
県外から帰省する
お友だちも
喜んでくれるかな
と、あれこれ
行きたいところや
したいことを詰め込んで
とても楽しみにしていた。
その中で、
ハーバリウムを作る
体験をしてみたいと
ショップに予約しようとしたら
希望日が満席で取れなかった。
諦めようかなと言っていたが、
もう1カ所ショップを見つけ
やっぱり心惹かれるようで、
予約をしていた。
帰宅してから
見せてくれたハーバリウムは
最初に
練習用で作ったミニボトルと
自分用の縦長のボトル、
そして、大好きな恩師に
プレゼントするボトル。
3つも作っていて
どれも可愛らしくて
素敵〜!!
「今度、一緒に
お母さんも行こうよ〜。」
と言ってくれて、
私も
ぜひ、これは作りたい!
と思った。
そして、昨日
インスタを見ていた娘が
昼寝をしていた私を起こし
「お母さん!
これ見て見て!」
と言うので
寝ぼけ眼で見てみたら
娘たちのことを
ショップのインスタに
あげてくれていた。
よかったねぇ
思い出になったねぇ〜。
と寝ぼけて言っていたら
「うん、そうなんだけど
それじゃなくてね。」
と説明してくれたのは
そのショップの講師の先生は
本業が、在宅診療所の
看護師さんだと言うのだ。
その診療所は
去年、義父が
二日間だけお世話になり
最期を看取ってくれた
診療所だった。
義父は
ほとんど大きな病気をしたことがなく
我慢強くて
滅多に体調を崩すことがなかった。
去年の年明け頃から
よく転ぶようになり
足腰が弱ったなぁと思っていたが
それでも
自分のことは自分でできていた。
去年の春頃から
寝込むようになり
トイレやお風呂も
介助が必要となった。
かかりつけの内科医は
脳外科を紹介し
検査をして
アルツハイマーだと診断された。
これから
介護生活になるのだなぁと
覚悟を決めた初夏。
「じいちゃんが
息がしにくいと言ってる。
救急車を呼んだ。」
と、仕事中に娘から電話があり
付き添っていた夫が夜中に帰宅して
「がんが全身に転移している。
もう長くない。
どこで過ごすか、決めるように
と言われた。」
と言った。
私は
絶対、家に連れて帰ってあげたかった。
私の実家では
父方祖父を自宅で看取ったのだが
その時お世話になった
診療所の先生が
「死が近づいた時
点滴をしたら、身体がしんどい。
人は枯れるように死を迎える方が
身体は楽なのだ。」
と教えてくれた。
その時の
私の両親の姿を見ていたので
私もいつか
親を看取る時が来たら
この診療所のお世話になって
自宅で看取りたい
と思っていたのだ。
義母と
兄夫婦
夫と話し合った時
私の意見にみんなが同意してくれて
診療所への転院も
任せてくれた。
救急車で運ばれてから
1週間入院し、
その間
診療所への転院の準備ができて
家へ帰れる日がきた。
診療所の医師と看護師さんと
担当の相談員さん、
以前から担当していたケアマネさん
兄夫婦と私たち夫婦に
我が家の娘
総勢11名が見守る中
義父は退院してきた。
酸素マスクで
ほとんど喋れなくなっていたけれど
家族の顔を見て
嬉しそうだった。
診療所のスタッフの皆さんは
本当に素晴らしかった。
これから
どうやって家で過ごしたいか
希望をいろいろ聞いてくれた。
医師も
優しく丁寧に説明をしてくれて
できるだけ
義父が苦しくないように
考えてくださった。
義父は経口で
何も食べられなくなっていた。
「点滴はどうしますか?」
と医師に聞かれ
私が、もうしない方がいいのでは?
と話すと
「ご家族が良ければ、
もうやめましょう。」
と針を外した。
ビールが好きと聞いて
看護師さんたちが
ビールを味わってもらいましょう
と言うので、
え?どうやって?
と思ったら、
ムースにして
口に入れてあげるのだそう。
そのために
明日はお口を綺麗にしましょう、
お風呂も寝たままで入りましょう
と、計画を立ててくれた。
翌日、
私は仕事だったが
義母、夫、娘が見守って
訪問看護師さんと
言語聴覚士さんが来て
口の中を綺麗にしてくださった。
入浴は、その翌日の予定だった。
その日の晩
身体が苦しそうで
唸っていたので
麻薬を使うために
看護師さんに来てもらった。
初めて飲ませる時がきたら
看護師さんを呼んでと言われていた。
服薬後
しばらく様子を見ていた
看護師さんが
「脈が触れにくい。」
と言っていたが
呼吸は落ち着いていたので
帰宅された。
家族もそれぞれ部屋に戻り
夫だけが義父のそばにいた。
その時
夫が悲鳴のように
私の名を呼んだ。
家族がみんな義父の部屋に
飛んでいき、
夫が
「息が止まっている!」
と叫んだ。
私はすぐ看護師さんに連絡した。
今、家に着いたところだと言う
看護師さんは、
すぐUターンしてきてくれた。
看護師さんは
「あのまま、もう少し
そばにいればよかった。」
と言ってくださったが
結構長い時間
服薬後の様子を
見ていてくださったし、
看護師さんの判断に
何の間違いもなかった。
そして、医師が来るのを待つ間
家族みんなが
義父のベッドのそばに集まり
「よく頑張ったねぇ〜。」
と義父に声をかけていた。
医師が来た後は、兄家族も到着し、
医師の説明を聞いた。
真夜中だったが、孫4人が
看護師さんの誘いを受けて
みんなでじいちゃんの身体を綺麗にし
服を着替えさせた。
義父の最期の日々を
人に話した時
その人は
「お父様、お見事だねぇ。」
と言ってくれた。
本当に弱るまで
自分の病気のことを気にすることなく
私たち家族の手を
ほとんど煩わせることなく
最期は静かに、苦しむことなく
綺麗に光の国へ還っていった義父。
本当にお見事だった。
そして、診療所にお世話になったのは
たった二日だけだった。
義父の話が長くなったが
娘は、高校を退学してから
ずっと家にいたので
義父の介護も
手伝ってくれていた。
亡くなった時も
葬儀の時も
その後もずっと泣かずに
1ヶ月過ぎて
張り詰めていた糸がプツンと切れ
パニック発作が起きた。
その1ヶ月後に
うつ病になった娘は
ずっとじいちゃんを思って
寂しい、寂しいと泣いていたのだ。
今回、ハーバリウムの
体験を終えて、
写真や作品を見ながら
お友だちと過ごした時間が
本当に夢みたいだったと
感じていたようだった。
そして、講師の先生が
あの診療所に勤めている
看護師さんとわかり
「お母さん
私、これはじいちゃんからの
メッセージだと思うんよ。
じいちゃんが応援してくれて
大丈夫だよって言ってくれてる
気がするんよ。」
と、目に涙をいっぱい浮かべて
私に話してくれた。
私も
本当にそう思う。
じゅんじゅんさんのメッセージで
「この子は生きると決めたから、
大丈夫。」
と、言ってもらったけれど、
その言葉を噛み締めながら
この2ヶ月の
娘の回復を見守ってきた。
焦ってないかな?
しんどくないかな?
ついつい、
不要な思いが浮かぶけれど、
すべてこれでよし!
と、信じることに決めている。
そんな私たちに
じいちゃんは
エールを送ってくれたんだねぇ。
娘は
まだまだ回復途中ではあるけれど
もう、何も心配せず
娘の生きる力を信じ
じいちゃんや
守ってくれている大いなる存在に
心から感謝して
明るく
楽しく
生きていこう!