どうして有愛さんを死なせてしまったのか。申し訳ないという気持ちを起点に何がいけなかったのか、反省をするところから始め、自分が下級生の頃に何が悲しく、何が理不尽だと思っていたかを振り返り、どのようにするべきだったかを考え、話し合い、少しずつでも、嫌だった事を止めていく。
そうした行為があって、お悔やみと反省の言葉と態度があってからの、公演再開だったならば、私は芹香斗亜さん率いる宙組を応援しようと思った。
だが
そうではなかった。9ヶ月間耐えた我慢したという人達もいるが、私からすれば反省がなくゴネていただけに過ぎない。全くの他人ではない。同じ舞台に立っていた仲間だったのに。
仲間の死よりも自分が主役の公演、トップお披露目公演が台無しになった事の方が悲しいだけ。
私は悪くない。これまで先輩達がやってきた事をやっただけ。それを悪く言われてる私が可哀相。
そう思っているようにしか見えなかった。
私が芹香さんがそう思っているのではと言う考えは、公演再開の挨拶の言葉で確かな物になった。
劇団もそんな芹香さん達を庇って彼女達は悪くない悪いのは劇団だと処分もしなかったから、彼女達が今回の事を機に、自分達を見つめ直して変わる事はない。
これは劇団にも言えて、とりあえず劇団が庇う形を見せて、言葉だけで、謝罪をして頭を下げ、ちょっとした改善策をHPにしれっと出しておけば、改善と反省してると思われて、許されるだろうと考えている。
だから、甘っちょろいファンから、もう十分でしょ。これ以上追及したら可哀相、誹謗中傷だよって庇ってもらえる事も折り込み済み。
あんな悲劇が起きたのに、反省もなく変わろうとしない人達に私は怒っている。
舞台上の挨拶でお悔やみなんて言える訳がない、言う必要もない。公では言わなくても、その死を悼み悲しんでいるはずだと庇う人達もいる。
なぜ、本人達が表に出さない感情をその人達は分かるのだろう。遺書がないから本当の死因なんて分からないと言う人達なのに。
もしも後悔をして、死を悼んで謝罪を合意締結前に、その死を知った時点でしていたら、一禾あおさんはあんな手紙を書いただろうか。
後悔もお悔やみも公でしないのならば、起きた出来事、本人達が口にした言葉とその姿から、推察する事しか出来ない。その結果、何も反省がなく舞台に立ったんだな、と判断した。
それだけの事。
劇団や宙組の加賀者を批判するのは、退団させて追い出したいのではなく、反省をする事なく、仲間が死ぬ事がない環境を作ろうとしないから。
被害者にはならないから良いのではなく、周りから人がいなくなれば、加害者自身の首も締める。
私は宙組に限らず、宝塚歌劇団が全てのタカラジェンヌが安心して舞台に立つ環境であって欲しかった。反省して罪を償いながら、(その償い方は2度と自死を選ぶしかない仲間を作らないこと、有愛さんを忘れずに心の中で謝り続けることだと私は考える)再び、舞台に立つ姿を応援していきたかった。
それも、今は私のただの非現実的な願望に過ぎなかった事が悲しい。私の悲しみは宙組がパワハラ体制のままでも良いとお正月公演を楽しみと思っている人には絶対に分からない。