誰にも分からない

 心の内は誰にも分かりません。言葉にしてくれない限り。態度で見せてくれない限り。思いを書いてくれない限り、誰にも分かりません。例え、言葉にしても態度で表していても、本音とは違う行為をしてしまう人もいるでしょう……。

だから、人はその人の言葉や態度を見て、自分の経験や考えと照らし合わせて、その人がどんな思いでいるのかを推測しますが、所詮は他人が推測する事。的外れな時もあったりします。本人だって、自分の気持ちをどのように説明をしたら良いのか分からない事だってあります。感情なんて簡単に説明なんて出来ません。特に複雑な出来事に関しては……。私はそう思います。

 

顔も名前も出ない宙組プロデューサー

 私は宝塚歌劇団が全責任は劇団にあると言って、パワハラをしたとされる上級生達に弁明の機会を与えなかった事、さらにその責任を取らせなかった事をとても残念に思います。パワハラをした事に合意をしたのだから、パワハラをした者達はその地位に見合った責任を取るべきでした。生徒を処分する事が難しかったのならば、せめてパワハラ行為をした阪急電鉄の社員である宙組プロデューサー長妻慶樹氏だけでも、3月28日の会見に同席させて謝罪するべきだったと思いました。それなのに、何の処分もなく、また加害者上級生達とは違って、名前も顔も一般的には知られていない。なんて、狡いのだろうと思いました。彼は謝罪文を提出されましたが、どうしてこの人までもが直接に手紙を渡さないのだろうかと疑問に感じました。

 

3月28日までに

 これまで正しいとされてきた事が否定され、死なせてやるなんて思ってもいなかったのに、こんな事になってしまって、とても動揺していたのではないか、自分達は間違っていない。これまで教えられてきた通りにやってきただけ。どうしたら良いのか、とても混乱して何をしたら良いのか分からなかったと思いました。それでも、大切な仲間が亡くなったら、居ても立っても居られなくなって、ご遺族の元に駆けつけて謝罪したりはしなかったのか、それとも、自分のあの時の言葉がいけなかったのでは?どうしたらいいのだろう、どんな顔をして会えばいいのだろう、(ご遺族に)会うのが怖いって思って、何も出来なかったのかとか思ったのですが、加害者とされる方がご遺族に誠意を示されることは、3月28日までありませんでした。
 
 劇団が話し合いが纏まらないうちは勝手な行動を止めていたかもしれませんが、合意締結の前に一禾あおさんが出した手紙から、劇団も加害者達も誰一人、誠意を見せていなかった事が分かって、私はとても悲しく思いました。例え、劇団に止められたとしても、怖いと思っても、自分は悪くないと思っても、仲間が亡くなったなら、少しはお悔やみを言うために駆けつけるのが、心のある人のする事ではないのか。劇団の人間同士の絆を私は美化して信じていたので、それもなかったのか、と勝手に失望していました。
 
 合意締結の前に、一禾さんがあのような手紙を書く前に、心ある行為を見せて欲しかった。見せてくれると信じていました。
 

何処かに

 
 
  今日の宙組の千秋楽。上記のリンク先の記事で芹香斗亜さんのあいさつの言葉を知りました。
芹香さんがどんな思いでその言葉を口にされたのか、その心の内は、私なんかには到底分かりませんが、私には芹香さんが自分の事だけを考えているように思いました。どこかで、申し訳ない思いと後悔をされていたのでは?なんて思っていました。私が思う「申し訳ない」というのは、有愛きいさんに対してです。けれども、芹香さんの言葉から感じた「申し訳ない」は自分を肯定するファンだけにしかないんだなって事でした。
 
 そんな事はなくて、有愛さんに対しても、心配させたファン、失望させてしまったファン、全てのファンに対して「申し訳ない」思いだったらいいな、なんて思いました。こんなのただの願望で、そんな願望を押し付けられても芹香さんは困ってしまうだろうな。
 
 私は、亡くなってしまった有愛きいさんに対して、少しでも申し訳なかった、ごめんねって思いがあるのなら、それだけで良かった。贅沢を言うと、少しでもいいから言葉にして欲しかったなって、宙組トップスターに期待していました。期待は脆くも崩れ去った事を知りましたが、未練がましいのですが、言葉にしないだけで、心の中では思っていたと、そう思いたいです。
 

心配

 パワハラ加害者の中で、ただ一人、有愛さんに申し訳ない事をした謝りたいと言った上級生の方がいました。私は、その人が今、とても心配です。取り返しのつかない事をした事に気が付いて、必要以上にご自身を責めていないか。また、謝罪したいと思った気持ちも周囲に流されて、自分の心が壊れるのを防ぐ為に、自分は悪くないと反省する気持ちが消えてしまっていないかとても心配です。
 
 誰だって、過ちを犯します。だけども、その過ちから学んで同じ過ちをしないように、再び悲劇を生まないように学んで生きなおす事が出来る。それでも、何度も何度も間違えて、何度も何度も学びます。その学びの機会を失わないで、もう二度とこんな悲しい出来事を起こさないでと、私は願うのです。だから、彼女の心が壊れてしまわないか、負けてしまわないか、優しい心の持ち主が気づくことが出来た機会が台無しにされないか、とても心配なのです。
 

他人事

 仲間とか、同期の絆とか、先輩後輩の絆とか、そういう絆を謡ってみても、こんなにも亡くなった仲間に対して冷たい態度を取る事が出来てしまうなんて思わなかったです。私は、お芝居やレビュー、歌だけでなく、組子の為に動いてくれた組長の方や、下級生を思う上級生、上級生を敬う下級生、同期同士の絆、そういう宝塚歌劇団の仲間を大切にする温かい心が好きでした。