甘かった

 4月1日に劇団内部で行われた説明会の様子が書かれた週刊新潮の記事を読みました。それを読んで、つくづく私は宝塚歌劇団にも、パワハラ行為者に対しても、甘かったんだなと思いました。
 

 

 記事を読むまでは、ようやく宝塚歌劇団もパワハラ行為者の上級生もパワハラを放置したこと、パワハラをしたことを後悔して、それでも、今までそれが正しいとされてきた中で過ごしてきたから、素直に認める事が出来ずに足掻いた挙句の苦し紛れに「悪意はなかった」という苦しい言い訳をしながらも、認めたんだろうと……。そのパワハラを認めたくない気持ちとパワハラを理解し始めて、取り返しのつかない事をした事の罪に気付いて苦しむ心の狭間で苦しんでいたのではないか、と思っていたのですが、そうではなかったんだなと分かって絶望しました。
 
 失望をしていても、心のどこかで宝塚歌劇団に人の情がある事を期待していたのですが、そんな期待を持っている方が愚かだと突き付けられたようで、私が好きな心の拠り所にしていた宝塚歌劇団は幻想で今は何処にも存在しないんだなって実感しました。

生徒の声

 劇団やパワハラ行為者ではない宙組生達の言葉には、人としての苦しみや仲間の死への悲しみ、劇団に対する苛立ちがあり、人としての心を感じました。一部、引用します。
 
生徒C 私は有愛さんの下級生ですが、彼女のそばにずっといました。だから、ご遺族の方には謝りたい。
上級生だけではなく、下級生の中にも謝りたいという気持ちはあると思う。有愛さんと一緒に舞台を作ってきた仲間として……(嗚咽)。
みんなで有愛さんを死に追いやってしまった気がして……(再び、嗚咽)。亡くなった方は二度と戻ってこないけど、せめてご遺族に真摯に向き合って、自分たちの気持ちを伝えたい。

 

 これこそが心ある人の言葉だと思います。他に書かれた生徒の言葉にも人ならば共感する言葉が並んでいました。「公演の再開が怖い」と発言する生徒もいました。これまで宙組生にも何も説明がなく、ほったらかしの状態であった事、締結をしていても、煮え切らない態度でいる村上理事長に対する不満も、書かれている生徒の言葉から感じられました。

 

自由がない

 パワハラ行為者以外の宙組生の言葉を読みながら、少し引っかかったのは、「謝りたい」という言葉でした。
記事に書かれた発言は2024年4月1日の説明会での発言です。「謝りたい」という事は、まだ、謝っていないという事になりませんか。心から申し訳なく思い、謝りたいのなら、謝りにいけばいいと思うのですが、もしかしたら、謝りたくても在団している身としては、劇団側から止められてしまって、謝りたいけれど謝ることが出来ない状態なのかもしれないなって思いました。
 
 3月31日付で退団された二人は、その縛りから自由になって、ご遺族に謝りに行ったのかもしれないなってそんな事を思いました。状況や残った仲間達の立場を考えて、わざわざ公にしないだけなのかもしれません。(これは、私の勝手な妄想に過ぎませんが)
 

そっちが先にくるんだ

 今回の記事で私が一番がっかりしたのは、組長松風輝さんの言葉です。
 
“みんなにいろいろな思いをさせてしまったのは申し訳なく思っている”

 

 ここにきて、これなのって思いました。その前に「私も有愛が亡くなったのが悲しい」とか「有愛の死が残念だ」とか「私の力不足で有愛を死なせてしまった」という有愛さんに対しての気持ちは出てこないの、って思ったんです。

 

 もしかしたら、記者がそういった有愛さんへ懺悔する言葉を省略したのかもしれませんが、これまでの松風組長が取ってきた態度を見ていると、懺悔の言葉なんて最初からなかった。そもそも、そういう気持ちも持っていなくて、有愛さんがもう二度と戻ってこない事を理解していないんじゃないかな、有愛さんの死をちょっとしたアクシデントぐらいにしか思ってないのかもしれないなって思いました。

 

 さすがにそこまでは、いくら何でも、そんな事はない。人の死をそんなに軽く考えているはずはないと思っていたのですが、私のそういう思いは、悉く劇団やパワハラ行為者の人達の態度で裏切られてきましたから、もう信用することが出来ないのです。

 

言葉にしない本人の気持ちは本人にしか分からない

 記事で書かれた発言はとてもリアルでした。ただ、説明会で芹香斗亜さんは何も言わなかったので、芹香さんの言葉がありません。その代わりに劇団関係者が見た芹香さんの様子が書かれています。しかしながら、その芹香さんの姿は劇団関係者の目を通して見た芹香さんであり、その人が芹香さんはこんな風に思っているんだろうなという主観が入っているので、あまり参考にはなりませんでした。
 
 劇団関係者の主観を取り除いて分かる芹香さんの様子は、何も言わなかった事、涙ながらに話す生徒の方に一度も目を向けなかった事、微笑みを浮かべていた事だけです。もしも、私が説明会の場にいて、そんな芹香さんの姿を見る事が出来ていたのなら、そこからどんな感情を受け取るのだろうか、と考えました。
 
 自分の不甲斐なさ、運のなさを嘆いているのかもしれない。こんな形で組子達を泣かしてしまっている。あんな態度を取ったり、あんな言葉をぶつけてしまったから、組子が1人命を落としてしまった。こんな私がトップスターとして組を纏める?滑稽で情けなくて笑える、という自分に対する突き放した気持ち、どこかで達観しているんじゃないだろうか……。
 
 所詮、こんなのも私の勝手な妄想で、その時に芹香さんがどんな事を思っていたのか、どんな気持ちだったのかは、芹香さんにしか分かりません。ただ、劇団関係者が受け取ったような、記事の見出しに書かれた「冷笑」ではないと思いたい……。
 
 この期に及んで、私もまだまだ甘い人間だと思います。出された謝罪文が形だけの紙切れ同然のゴミではない事を祈ります。
 

遅れていていた謝罪文

 それから、週刊新潮の記事から離れますが、謝罪文が遅れていた天彩峰里さんは、謝罪文を提出されたそうです。こうしたニュースは宝塚歌劇団のHPのニュースで知りたいものですね。週刊誌の記事では信じないファンもいますし、劇団として名前は出せなくても、「未提出者も出しており、在団中の生徒は全員謝罪しました」という発表をして、けじめぐらいはつけて欲しかったです。
 もっとも、パワハラ行為者を悪気はなかったとふざけた言葉で庇って、何も処分もしない宝塚歌劇団なのだから無理な話だったんだな、と今はもう諦めましたが残念です。