第二次隊後記 | 柿崎裕治オフィシャルブログ「サムライ日記」powered by アメブロ

第二次隊後記

3月23日早朝6:00に対策本部のある東京池尻大橋を2台の車両にて出発


燃料はもちろん満タン、予備燃料も持参する。


この度の災害支援活動の発起人である、東京都議会議員の土屋たかゆき先生の被災者へのメッセージを大事に懐にしまう。


首都高に乗るが平日にもかかわらずガラ空き状態


放射線検知機の値は0.7マイクロシーベルト


常磐自動車道に入る。
小雨がパラつき始める

常磐自動車道は首都高とは打って変わって、車両の列が絶えない…
緊急車両も目立つが意外な事に物資を輸送するトラックが少ない…
やはり放射線被爆を怖れて拒絶しているのか…


水戸辺りにさしかかると道路の路肩損壊が目立ってくる…
そして日立を過ぎたあたりで携帯電話の緊急地震警報が鳴る

先頭の車両のハンドルを握る自分は速度を落とし、退避行動の準備をする。
しかし3分程して影響が無いと判断し、通常走行に切り替える。

間もなく福島県の案内板を見ながら走行するも、再び緊急地震警報が鳴る。


2度に渡る震度5強によって常磐自動車道の一部が通行不能になり、いわき勿来インターチェンジで下りる。
いわき市内に入ると驚いた事に人が居ない…
店舗も全て閉まっている。

所々路面の陥没やうねりが有り警戒しながら走行する。

しばらくすると長蛇の車の列が見える…
延々と1㎞以上に及ぶほどの列だ。
しかし列の先頭にあるガソリンスタンドは開いていない…

いつ開くかわからないガソリンスタンドに寒い中、エンジンを止めて並んでるのだと思う。

どこもかしこもガソリンスタンド付近には車両の列。

しかし市内における生活を感じるのはそれのみである。
相変わらず人も殆ど見掛けないし店も開いてない…

ようやく開いているコンビニに立ち寄り視察の為に入ってみると、およそ人の口に入るものは飲料以外は見当たらない。


いわき市中心部の空は晴天

再び支援隊は前進を開始するが四ツ倉という場所に差し掛かり、目の前に拡がる光景に息を飲む。


倒壊した家屋、逆さまになって大破した車、有るはずのない道路に横たわる船…
報道で見た津波によって破壊された数々…


国道6号が先程の余震で崖崩れで通行不能に

支援隊は迂回路でさらに北上する。

久ノ浜地区にさしかかる

海側は津波によってやはり破壊されている。
急に厚い雲が広がり雪が舞い始める。
市の対策本部によると久ノ浜地区は全住民が避難をしてるとの事


いよいよ福島第一原発30キロ圏内である。

久ノ浜を過ぎたあたりで福島県警の検問にあたる。
この先危険、通行止めの表示が緊張感を誘う。

警察官に支援隊の趣旨を説明すると、「くれぐれも気を付けて下さい」の言葉をいただき通行の許可をいただく。


いよいよ広野町である。

既に屋内退避指示が出ているエリアである。

程なく広野町役場に到着


情報によると広野町民は近隣の小野町に役所機能も含め退避済みとの事

しかし合わせていただいた情報によると、20人程が取り残されてるとあった為に我々支援隊はやって来た。

しかし何処にいるか判らない…

誰か残ってるのでは…
期待をし役場のインターホンを押す

出てきたのは全身防護服を身に纏った職員

情報は得られず逆に防護服を着用してない我々に眉をしかめる有様


放射線検知機の値は5.8マイクロシーベルト


影響は無し

防護服姿を見た時には正直全身に緊張が走ったが、勇気を振り絞り町内を巡回する。


しかし残された住民がどこにいるか判らない…


一時、避難所があった学校へたどり着き、貼り紙を見ると行き先が…


本日の作戦行動は往復600キロ以内かつ15時間以内と定めているので、予備行動に転進する。


いわき市にもどり内郷地区にある避難所2箇所に行く。
そちらでは生理用品とかぜ薬が喜ばれ、食料は足りてるとの事で支援後すぐ転進

次は中央台地区、ここは広大な団地と新興住宅群がある。
こちらも避難所2箇所をまわり先程とは違い、食料が不足してるとの事でパン、レトルト食品、缶詰め等を支援する。

どこの避難所も市の職員がいるがみんな頑張ってらっしゃる。
そこに石川県から来た医療チームがやってくる。


慌ただしく入って来た医師達は英雄に見えた…
日本中が立ち上がっている…
その光景に思わず頬に涙が伝わる。


自分達も頑張らねば。


医療チームと入れ代わりに支援隊は転進し、さらに2箇所の避難所を回る。


移動しながら東京から持参した飲み物とパンのみを胃に叩き落とし、次に向かったのがJRいわき駅近くの病院。


こちらは駅の近くの中心部にもかかわらず断水との事、治療にも水が必要とのSOSを受けペットボトル百本を支援。

院長先生いわく来院する患者さんで食事を取ることが出来ない方が多いと…
よってレトルトご飯は200食支援する。


頑張って下さいと別れ際に声をかけたら、大丈夫です!まだまだ頑張れますと力強い言葉が帰ってくる。


そして緊急要請を受ける


2件の老人介護施設である。
1箇所目は大人用おむつが不足してるとの事、積載した全てのおむつを支援。

2箇所目は食料が著しく不足との一報を受け、レトルトのおかず付きご飯を残り全て支援


時計の針は14:45


積載した全ての物資を計9箇所に効果的に支援し、東京に向けて前進開始。


荷が軽いせいか、はたまた重責を果たしたからか、身は心なしか軽やか。


余震の影響で通行止めだった区間も開通し、いわき中央インターチェンジより常磐自動車道に乗る。


道は空いている…


茨城県に入り日立の辺りはトンネルが多い。

ふとトンネル通過中に地震があったらいかがすべきか考える。


高台を通る高速からは太平洋が見える。

穏やかな海だ…


しかしほんの十数日前に、あまりにも多くの命を奪い取った…
生活や車、家や町そのものを飲み込み流し去った…


そう思うと海が憎く見える。
恐ろしい悪魔に見える。


しかし海はまた人類や文明にとって母なるものでもある…

やり場のない想い…


そんな事を考えながら運転をしていたら、いつの間にか三郷料金所。


外環道から首都高へ


17:15対策本部に帰還


グループの大勢が拍手で迎えてくれた…
いろんな顔が見える


そう

大事なものの為に命懸けにならねば…

発起人兼災害支援本部本部長に就任いただいた、土屋たかゆき先生に報告を遂げ、第二次災害支援隊は全ての任務を終了し解散。


第三次災害支援隊は次の物資が集まり次第、また出陣します。
第四、第五と…

被災地に明るい街の灯りがともるまで…