30代でチーフ作家になれる人は安泰でしょう。

 

むかし、作家の景山民夫は、「作家の寿命は、せいぜい30代でしょう」と、どこかで言ったらしい。ことの真意はわかりませんが(だって、景山サンは虚言癖で有名。真顔で目をそらさず、まるっきり無いことを堂々と公言するんだから。アメリカで放浪してたって話も怪しいモンで、ホントは二泊三日の旅行だったんじゃないかとニラんでいる)、まわりの消えていった作家を見れば、30代で最初のヤマ場を迎えることは確かだろう。

 

 
20代でいろんな番組に関わって、ヒット企画もつくり、会議でも快調にしゃべられるようになれば、あとは安泰。
 
30代は、番組のチーフ作家として、別の作家が持ってきたネタを吟味して、自分は一切、台本を書かないで、10本から20本の番組を掛け持ちして、ちょっとした億万長者になると(もちろん、タレントに比べれば大したことは無いですよ)。
 
チーフ作家として、うまく凌げば、かつての大岩章介だったり、高須光聖だったり、そーたにだったり、鈴木おさむだったり、そういう一部の連中のように、鼻歌まじりで40代や50代を過ごせちゃう。
 
ではでは、そうじゃない作家はどうなるのか。これが、悲惨なんてモンじゃない。
 
 

50代で、若手仕事ができるのか。

作家にもいろんなタイプがありまして、ずば抜けた個性や特技もってして、チーフ作家にはなれなくても長く太く、稼ぎながら続けらる人も多い。
 
例えば、三木聡。師匠の宮沢章夫仕込みの、アカ抜けてカラっとした、くだらないコントを書かせれば天下一品。今でこそ、減りましたが、深夜帯でコント番組が華やかし頃、必ず三木の名前を見かけました。もちろん、チーフじゃなかったけどね。
 
それと、自称、歌う放送作家の植竹公和。もともと、素人のお笑いコンテストの常連だった座持ちの良さに加え、作家には珍しいインテリジェンスがあったんです。ニッチな業界に関する知識を披露したかと思えば、仏教の歴史にも詳しくて、大御所芸人(立川談志師匠なんかもその一人)に気に入られる。その博覧強記の人たらしぶりを発揮して、一時代を築いた「朝まで生テレビ」のブレーンもやっていたというから頭が下がる。
 
これだけの特技を生かし、上岡龍太郎の番組ではチーフだったが、ほかでは一介の作家として関わり、60代を超えてもなお、ゴールデンの人気番組に関わり続けたんだから。そりゃ、「笑点」だったらわかるが、そうじゃないところに、植竹の凄さがある。
 
では、そうじゃない方の作家はどうなるか。もう、散々です。特に、番組の予算が減りはじめ、インターネットも登場してきた90年代後半に、その年代に差し掛かった作家は悲惨そのもの。
 
ことワタシのことを言いましょう。まずね、ディレクター連中が30代中心になってくるんで、いよいよ新たな誘いがかからなくなりました。要するに、話しかけにくいワケですね。まぁ、自分のことを振り返れば、飛び抜けた才能がない年の離れた先輩作家ほど敬遠したい存在は無かった。うっかりすれば注意されちゃうし、感覚が違うんで笑うに笑えないギャグを言うし。その気持ちは、痛いほどわかりました。
 
あとね、番組に予算があったんで、作家を10人ぐらい平気で抱えられる時代があったんです。それが、不況の煽りを受けて、これまで7番手か8番手ぐらいの作家だったヤツらはバッサリ。
 
じゃあ、どうやってメシを食うか。そりゃ、地上波のテレビを捨てて、いや、あきらめて、衛星放送やら、CS放送に流れていくワケです。仕事があるなら良いというモンじゃなく、同じ仕事量でギャラは3分の1か、2分の1。
 
考えてみてほしい。今の年収が、半分になったらどうでしょう?しんどいのは一緒なのにね。
 
最終的に、台頭してきたインターネットの動画やラジオに流れ、見たこともない声優とかネットスターのために、書くわ書くわ。
 
ある年の仕事を振り返ると、1日も休みなく(これは、比喩じゃなく、文字通りね)働き続けて、年収が400万円ほど。入ったカネなんて一切、蓄えられず、ひもじい時期を過ごしました。
 
それでまぁ、50代直前に考えを改めて、唯一、ほかの作家より経験があったライティング方面で生きようと放送作家は引退と。
 
そんな悲惨な話はザラにあって、新宿の紀伊国屋書店で万引きした書籍を中古屋に売りさばいて窃盗で捕まった作家もいたほどなんだから!