夫がアルツハイマー型認知症と診断されたのは2017年。

まだ61歳で在職中でした。

病気がわかってから

その後

障害者雇用という形で

65歳まで在職させてもらってました。おかげで

定年退職という形で会社を辞めることになりました。

定年退職後

会社に置いてあったいろいろな書類やコピーしたものを持ち帰り

ましたがそのままの状態で箱に入れ放置したままでした。

やっと片付ける気持ちになったので

箱をあけました。

仕事に関するものはすべて破ってすてました。

その中にいろんな資格免許証。

11個ありました。

私が知っているのは2つくらい。

講習だけでもらえるもの

国家試験を合格しないともらえないもの。

家では勉強したところ見てないので

会社でしていたのでしょう。

びっくりです。

私の夫の知らない姿。


そして


その箱の中に病気を知った夫の

苦脳が隠されてました。


夫がアルツハイマー型認知症と

町病院で診察されてから

間違いだと思いたかったので

すぐに大きな病院を紹介してもらいました。

国立長寿医療センターです。

そこに初めて行ったのが

2017年 10月。

その後

病院でのいろいろな検査や病院からもらってきた書類。

すべてコピーしたファイルがでてきました。

いつ病院に行った。

どんな検査をした。

その結果。

きれいに整理されてました。

(二年間くらいです。

コロナが流行り、地区外にいけなくなり地元の病院に変わりました)


その中に

認知症ネットから取り寄せた

脳のトレ-ニング方法、

長谷川式認知スケ-ル、

認知症を良くする運動。

それを自分でやった回答用紙。

夫はなんとかして進まないように努力してきたんだと思います。

それも会社でです。

昼の合間にやっていたんでしょうね。

家ではやったことがありません。

私に見せたくなかったのかもしれません。


夫のやさしさかも。


病気がわかってから

会社から運転は禁止されていたので

送迎は私がしてました。

いつも弁当一つだけ持ってました。


この病気について一切私とは

話さなかった。

私も

どう思っているのか怖くて聞けなかった。

ひとりでかかえ、なんとか

しなきゃと思っていたんだとおもいます。

病気になる前から

普段の生活のなかでも

弱音をはかず苦労している顔はみせたことがなかった。


たまに主人が学生時代からの友人達にあったりするとその送迎に私がするのですがその友人から

少し前は仕事大変だったんだってね

愚痴ってたよと

と聞かされる事がありました。

全然知りません。


主人はわたしが頼りないから言えなかったのかな?


せつなくなります。


地元同士の先輩ですが

小学校から一緒。

やはり夫にとって私は年下の後輩。自分がしっかりしなきゃと

どんなときもそんな思いがぬけなかったんだと思います。


夫からありがとうとか

ねぎらいの言葉を

かけてもらったことがありません。


よく心のなかで

なにか言う事はないの?

と腹をたてたことも

ありますが

夫に言ったことはありません。


学生の頃からの付き合いで50年以上一緒にいるのに。


これはなぜ?とか

どうして?

あの時の事は?

とか

聞けなかったことを

年齢を重ねてからいっぱい聞きたかったことがあったのに

もう、聞けなくなってしまいました。

後悔です。


聞ければ

夫のやさしさであっかも知れない行動だった

とか

わかったかも知れないのに。


今となってはなにも聞けません。


ただ今は夫にごめんなさい


の一言です。


そして介護がんばるね。