再来年の大河ドラマ発表を受けて 牧之郷五輪塔からの妄想 | == 肖蟲軒雑記 ==

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ツボに籠もっているタコが、「知っていても知らなくてもどっちでも良いけど、どちからというと知っていてもしょうもないこと」を書き散らすブログです

三島駅というと我が家から最も近い東海道新幹線の駅ですが、ここにはJR以外に伊豆箱根鉄道駿豆線という私鉄も乗り入れています。観光地として有名な修善寺と三島を結ぶ路線です。

早くも再来年の大河ドラマが発表され、修善寺の地にある修禅寺も舞台の一つとなるのは間違いないところかと思います。
が、今回の記事で取り上げるのは修善寺ではなく、大河ドラマ制作発表に接して思い出した修善寺駅の一つ手前の牧之郷駅(「まきのこう」と読むそうです)近くにある五輪塔にちなんだお話をご紹介します。

 

★:地名とお寺の名前どちらも「しゅぜんじ」ですが字が違います。


五輪塔については四年近く前の記事にありますのでそちらをご覧いただくとして、まずは写真をお目にかけます。

 

 


現在は整然と並んでいる6基の五輪塔ですが、60年以上前の狩野川台風で流出散乱したものを地元の有志の方が整備したもので、元々は田園風景の中に(もしかするとあちこちに)あったとも考えられます。右横の碑にもあるように、今は跡形もありませんが、鎌倉時代に一世を風靡した真言律宗の大寺院、金剛寺があったところなのです。

この五輪塔は、加藤景廉とその一族の墓として伝えられています。五輪塔横の説明によれば、江戸期は天明五年(1785)に景廉の孫である極楽寺三代住持善願上人の舎利器が発見されたとのことです。

加藤景廉というとあまり馴染みのない名前かもしれませんが、美濃の地に移り住んだ長男景朝は遠山姓を名乗りました。「遠山の金さん」として有名な遠山左衛門尉景元や武田氏の美濃侵攻の舞台に登場する遠山景任などの先祖になります。

さて、この加藤景廉。頼朝の旗揚げの時から従って山木兼隆を討ち取った古参ですから、おそらく再来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では重要な役割を担う人物として描かれるのではないでしょうか。というか、キーマンの一人として描いて欲しいと思っています。

大河ドラマの発表を受けて、13人というのは『そして誰もいなくなった』的な一人ずつ減っていくカウントダウンという意見に接しました。歴史ドラマではちょっと違和感を覚えるアラビア数字のタイトルというのは手がける脚本家三谷幸喜氏的でもあるとのことです。

実際のところどうなるのかは全くわかりませんが、発表記事で述べられていた「サザエさん」の喩えに従うとすると、一人ずつ消されていくような粛清劇のドラマということも確かに予想されます。13人というのは頼朝死後の鎌倉幕府集団指導体制である「十三人の合議制」からきているとも思えますが、合議制のメンバーには粛清を経ずに死去したとされる大江広元や三善康信なども含まれます。
そこで勝手に13人を考えて見ました。粛清順(?)にご紹介します。(主人公北条義時ともう一人だけ生き残ります)

鎌倉殿の最初の大きな支援者 上総介平広常
寿永二年(1183)梶原景時により謀殺される。のちに冤罪と判明。


鎌倉殿ご舎弟 源義経
文治五年(1189)奥州で挙兵し討伐される。


鎌倉殿の寵臣 工藤祐経
建久四年(1193)曾我兄弟により富士の巻狩りの最中に討たれる。


鎌倉殿ご舎弟 源範頼
建久四年(1193)謀反の疑いで誅殺。


ここからが頼朝の死後

鎌倉殿の命の恩人 梶原景時
正治元年(1199)連判状により失脚。翌年討たれる。


鎌倉殿ご舎弟 阿野全成
建仁三年(1203)五月 頼家の命により謀反の嫌疑で誅殺される。


二代様御舅 比企能員(二代様とは二代将軍頼家)
建仁三年(1203)九月 比企の乱にて北条時政に討たれる。討手は仁田忠常。


鎌倉殿の寵臣 仁田忠常
建仁三年(1203)九月 比企能員殺害後、頼家に時政討伐を命じられるも加藤景廉により討たれる。


有力御家人
畠山重忠 元久二年(1205)六月 相婿の平賀朝雅と稲毛重成の讒訴により北条時政により討たれる。


鎌倉殿御相婿 稲毛重成
元久二年(1205)重忠の乱の直後、原因を作ったとされ三浦義村に討たれる。


鎌倉殿御舅 北条時政
元久二年(1205)閏七月 実朝暗殺の嫌疑を受けて失脚。


有力御家人 和田義盛
建暦三年(1213)義時の挑発に乗って挙兵し討たれる(和田合戦)。


有力御家人 三浦義村
景時討伐で中心的な役割を果たす。和田義盛を間際で裏切り生き残る。


二代目執権 北条義時(主人公)

加藤景廉は仁田忠常を討つという形で上に出てきますが、上のメンバーとはちょっと複雑に関わります。まず梶原景時と親しかったので景時が討たれると失脚。しかし仁田忠常を討って復帰、その後、和田合戦でも活躍し三代将軍実朝の死に責任を感じて出家します。どうしても登場して欲しいと思うのは、このように粛清劇のあちこちに登場し最後は生き残るというしぶといキャラクターだからです。

以下勝手に希望する配役です。(敬称略:上の順番と若干違いますが)

鎌倉殿(源頼朝):滝藤賢一
北条政子:杏
源頼家:山田裕貴
源実朝:坂口健太郎
源範頼:細田善彦
阿野全成:山崎樹範
源義経:高杉真宙

北条時政:寺脇康文

上総介広常:佐藤浩市
工藤祐経:長谷川朝晴
梶原景時:安田顕
三浦義村:桐谷健太
和田義盛:市原隼人
畠山重忠:磯村勇斗
比企能員:田中哲司
仁田忠常:迫田孝也
稲毛重成:梶原善
加藤景廉:浪岡一喜

 

他にもいっぱい考えが浮かびますがしつこいのでこの辺りでヤメにして最後に一人。

 

序盤にちょっとだけ登場する平清盛は役所広司
治承四年(1180)から話がスタートするので登場可です。
「これは極論なんだがね。都を別のところに移すというのはどうだろうか。例えば福原に」
「頼朝!許す!伊豆に配流じゃ!」(あ〜、言っちゃったよ〜)
なんだか嘉納治五郎(@『いだてん』)と柴田勝家(@『清洲会議』)あたりが混じっている決め台詞が頭を過ぎります。

まあ、全部外れるとは思いますが、妄想を楽しめる時期というものです。粛清されるメンバーの一人、阿野全成ゆかりの大泉寺は我が家のご近所。ここには彼とその子時元の墓と伝わっている塔もありますので、加藤景廉同様登場して欲しいものです。

 

 

 

なお、人物については全てWikipediaの記述に基づきました。