科捜研の女14(第6話 感想) ややネタバレあり | == 肖蟲軒雑記 ==

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 沢口靖子のファンであること、自然科学が真っ正面から取り上がられているドラマであること、などの理由で必ず見るドラマである。今年も第1話から欠かさず視聴してきた。




 リアルタイムでは見ていなかった初期の作品では、それまであまりお馴染みではない警察の科学捜査のノウハウや自然科学の手法などを紹介するということもあり、目新しい技術が次々と紹介されていたが、そうそう毎回新しい科学技術を登場させるわけにもいかないのが現実である。




 そういうことを克服するためなのか、昨シーズンから藤倉刑事部長(金田明夫)を登場させることで、科学者の姿勢などを題材にすると方向転換したかに見えたていた。事実、前回のエピソードでは、榊マリコをして、「科学は万能ではない、だからこそ間違いがなくなるように研ぎ澄ませなければならない」と言わせたように、一般の人(その代表として描かれたのは勇み足を犯した土門刑事:内藤剛志)の(善意に基づくかもしれないが)「科学は間違えない」という誤解をあぶり出すような内容だったと思う。




 ところが本日のエピソードでは、久々という訳ではないが、新たな分析技法として蛍光X線分析が登場した。少し前の「木の仏さま」で取り上げた分析技術なだけに、スルーするわけにはいかなくなった。

 X線を照射された元素が、(それぞれ特有に)少し波長の長いX線を発するという原理を利用して、試料に含まれる元素の種類と含有量を調べることを得意とする手法である。考古学の現場では、試料が作られた場所や時代を調べるのに用いられるが (注1) 、ドラマ中では(もちろん)犯罪の痕跡(血痕と直前に行っていた容疑者の行為)を検知する目的で使われた。このところの「科捜研の女」では、分析にかかる時間には触れずにいたような傾向があったが、今回は分析時間と調べるべき分量、それにかかる時間を丁寧に描いていたことも含めて好感が持てる。



(注1)最近の話題では、東京理科大学のグループが行った、新沢千塚古墳群(奈良県橿原市)から出土したガラス皿の組成分析が挙げられる。 ローマ帝国伝来の可能性が指摘されており、間接的か直截的かは不明だが、遅くとも5世紀後半の倭国と西方世界との交流が示唆されるものである。


 サブキャラクターである相馬涼(長田成哉)とゲストの新村准教授(忍成修吾)との遣り取りもなかなか良かったと思う。ひらめきで新境地を開拓する新村に対して、地道な実験を繰り返す相馬(もっとも、そういうキャラクターであることはそれまであまり描かれていなかったような気もするが)との対比。それに相馬と新村の学生時代のエピソードを生かした、(反則技的な)最後の証拠。自然科学技術の紹介とともに、榊マリコ以外のサブキャラクターを生かした面白いエピソードだったのではないだろうか。



 

 今回のキーワードは間違いだとわかったときに引き返す勇気である。これはなかなか難しい。「引き返すと決める=それまでの自分(たち)の全否定」だというように受け取るのが往々のことだからである。私自身にしても主観的にはそういうことが多々ある。また、「今までの先人たちの努力が無駄だったというのか」などのセンチメンタルな理由付けをして「引き返せる時」を見誤った例は歴史の中でもあるのではないだろうか。個人のことなら一人の決断で済むことが、集団としては出来ないことの一つの例だということができる。積み上げてきたものに対しての対価が大きいほど、この決断は難しいのだ。昨今の出来事を実感するにつけ、この言葉の重みを噛みしめたいと思うのである。


次回は仏像が登場するようであり、楽しみは尽きない。




(※)興ざめな余談だが、ドラマ中に登場するボリビウム(Bo)という元素は架空の物。また、水酸化リチウムと水酸化ナトリウムはあのように市販されている試薬の状態なら、ビンから取り出した段階ですぐに違うとわかる代物である。