シミルボン・2016年9月1日初投稿
 
芥川龍之介先生の作品に最初に触れたのは、中学の国語の時間で習った『羅生門』だった。
以後、『蜘蛛の糸』、『藪の中』などの作品を読んだ。
正直、最初に読んだ時は、言い回しが古かったりして、私の理解力が追いつかなかったのだが、根気よく読んで、文体に慣れていった。
また、芥川龍之介先生の作品は知名度も高く、作品を題材にした影絵や人形劇、ラジオドラマなども多くあり、それに触れることで内容を理解していった。
それと、作品内容も明確な紹介を国語便覧で読むことで、馬鹿な私でも芥川龍之介先生の作品の内容を理解することが出来るようになっていった。
 
 
特に、『藪の中』で顕著に見られるが、芥川龍之介先生は人間の見栄、自分を良く見せたいという自己顕示欲の人間の、いやらしい姿を冷静な目で的確に捉えている。
『藪の中』では、誰もが「自分には不都合な、自分にとっては格好が悪い部分は伏せて語る」その為、少しずつ証言が食い違い、真相が見えそうで見ないということになっている。
『藪の中』は推理短編の要素もあるが、それよりも、私が感じるのは、それぞれの証言者が自分を良く見せようという自己顕示欲の大きさ、自己本位な姿。
 
 
『蜘蛛の糸』にしても罪人が生前、一度だけ施した善意から、蜘蛛の糸で地獄から助かることが出来るようになる。
しかし、ここでも、自分がしたことの結果で得た恵みを他者にやりたくないという、独占欲から、結果、蜘蛛の糸が切れて地獄に戻る。
この『蜘蛛の糸』でも、やはり人間の自分だけ、自分だけの損得を考える、人間の醜さというか、自己本位な姿を書いている。
 
芥川龍之介先生の作品に関しては、様々な研究がされていて、その生い立ちを含めて、作品を深く研究をされている玄人の方々が多々いらっしゃるので、素人の私が口を出すことは憚れるが、一読者の感想を述べることが許されるのであれば、芥川龍之介先生の目から見た人間社会はかなり汚く、絶望が大きい、社会だったんだろうな、ということだった。
 
芥川龍之介先生から見える人間というのは、自己顕示欲が強く、自分だけはいい人間に見られたいという見栄の塊、自分の努力や結果によって得た利益は他者に分配したくない独占欲の塊に見えていたのだろう、と作品を読む度に感じてしまう。
 
その人間に対しての洞察力を私は否定が出来ない。
というより、寧ろ、その通りだなと感じて読んでしまう。
人間の着飾った中のみっともなさを的確に書いていて、これは芥川先生が生きていた頃から、死んだ後の今もずっと続いている人間社会の本質なんだと思う。
人間の一枚めくれて見える、いやらしい醜さを書き続けた作家が芥川龍之介先生なのだろう。