シミルボン・2016年11月22日初投稿

 

私が伊集院光さんを知ったのは、高校1年生の時でした。
入学祝に父からラジオを買ってもらい、ラジオの周波数を合わせながら、自分にとって面白いラジオ番組を探していた時に、雑音混じりだけど、とても面白い番組を見つけました。
それが、ニッポン放送の『Oh!デカナイト』伊集院さんがパーソナリティをやっていたラジオ番組です。

ナイター中継のある時には、野球中継に押されて、後10分しか放送時間がないということもあったりしたのですが、伊集院さんがとても野球が大好きで、特に日本ハムファイターズが大好きなことは、ラジオでも語っていたので、日ハム戦で延長になっても、不思議と腹が立たなかったことを覚えています。

私の中で、現在もそうですが、伊集院さんがラジオを通して伝える言葉はとても面白く楽しく、その情景が浮かんでくるというか、声だけなのに映像が見えてくるのです。
それでいて、時折、世間の出来事をよく見ていて、そんな考え方があるのか、そういう気持ちもあるんだって思うことが出来て高校生だった私には考え方の発想、物の見方を違う角度から見る見方を教えてもらったと勝手に思っています。

この頃の私は、ついにイジメに負けて登校拒否になっていて、いつもいつも思うことは、<b>早く死んでしまいたい</b>というものでした。
それでも、あ、今日死んだら、今日の伊集院さんのラジオが聴けない。
明日死んでも明日のラジオが聴けない、と思って、そんな理由から死にたいという気持ちを実行に移すことは出来ませんでした。

短大をなんとか卒業して、伊集院さんに出会わせてくれたラジオと共に独り暮らしを始めた私は、さっそく寮では聴けなかった伊集院さんのラジオを聴くために、周波数をニッポン放送に合わせました。

でも、出てきた声は伊集院さんじゃない!どこ?どこにいるの?伊集院さんの声はどこ?

必死に探して見つけたのが、954の周波数。
TBSラジオでした。
その後で、いろいろあってTBSに移ったことを知りました。
とにもかくにも、伊集院さんのラジオがまた聴くことが出来て私はホッとしたのです。
その番組が今も続く『伊集院光の深夜の馬鹿力』。

その後で、同じTBSラジオの日曜日のお昼にやっていた『日曜日の秘密基地』も聴くようになりました。
伊集院さんの面白いトークは健在で、時々真面目に言葉を選びながら考えて話す姿勢も変わらないので、とても嬉しく安心しました。

今年から、大沢悠里さんの後を継いで、TBSラジオの朝の顔になりましたが、『深夜の馬鹿力』の時とは、時間帯、リスナー層が違うために、幾分かマイルドに話しています。
でも9時台のニュースのコーナーでは、伊集院さんなりの見解をしっかりと述べていて、やっぱり伊集院さんは凄いなって思って毎朝聴いています。

伊集院さんは、自分の分かる範囲、理解できる範囲、解釈出来る範囲で話をされています。
そのニュースの裏には大勢の様々な事情の人達がいる背景を知っているからこそ、言葉を選び、あくまでも個人的に感じたこと、気がついた問題点の提起、その問題はこうしたらどうか?という言葉を、飾らず、自分の言葉で話してくれます。

それは、伊集院さんが培ってきた子どもの頃からの体験、その体験から学んだことなどから成り立っていて、真面目な話にも、伊集院さんの日常で起きた出来事を話すときにも、より聴くリスナーに分かってもらうように、その時に感じた伊集院さん自身の気持ちを分かってもらえるようにリスナーへ話してくれるので、とても共感が出来ます。

こうした伊集院さんの話術は、落語家であったことも大きく影響しているのかなって思います。
伊集院さんの話の面白さはラジオを聴くのが一番なのですが、以前も『のはなし』の[レビュー](https://shimirubon.jp/reviews/1672784)でも書いたように、文章においても堪能することが出来るので、ぜひとも、伊集院さんの『のはなし』シリーズを読んで欲しいなって思います。
後、私は『ファミ通』で連載コラムも大好きです。

そういえば「中2病」という言葉について。
この言葉は伊集院さんが生み出した言葉なのですが、今は本来伊集院さんが生み出した意味とは違う言葉で定着をしてしまいました。
最近、『伊集院光とらじおと』にゲスト出演した映画評論家の町山智浩さんが、その誤用の使い方で、伊集院さんに「中2病」という言葉を使った時には、聴いていて、冷や冷やしました。

そこで、あえてその誤用を指摘しなかった伊集院さんが、次の日ゲストに来た三省堂国語辞典編集者の飯間浩明さんの時に、「言葉の誤りを指摘する人に対して、それよくない。楽に考えたい」ってことを話されていて、巡り巡って誤用で自分のとこへ投げかけられた形で戻ってきた「中2病」という言葉も、こうやって変質して世間で使われている変化を受け止めていたから、いちいち訂正するような野暮なことはしなかったんだなって思いました。
まあ、誤用の例としてこの時に出してはいたのですけれども……。

伊集院さんの物の見方、考え方はとても周囲のことを出来るだけ考えていて、それでも、譲れないこだわりの部分もあって、私はそうした伊集院さんの考え方や姿勢がとても好きだし、奥様のことをとても大切に愛されているところも大好きで、その一人の人を愛するというのは、どんなに大事なことかということは、『のはなしさん』で「愛だの恋だの」のタイトルの中で書かれています。
これを読んだ時には、ずんと心に重く響き、身のしまる思いがしました。

私にとって伊集院光さんは、高校時代から今でも大好きなタレントの枠を超えて、<b>尊敬している人物</b>の一人です。
私にとっては神様みたいな人なのです。