シミルボン・2016年11月30日初投稿

 

TBS火曜夜10時枠のテレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が人気ですが、私は同じ枠で放送していた深田恭子さん主演の『ダメな私に恋してください』もとても好きでした。
崖っぷちに立たされた女性が不思議な縁で、男性とめぐり合う。
それも、これまであった恋愛とは違う形で始まる恋愛という部分において、『ダメ恋』も『逃げ恥』も少し似ているなって思います。

その出会いかたが少しご都合主義だと感じますが、それを吹き飛ばすだけの人間の感情の動きがリアルだなって思います。
それでいて明るく主演の女優の二人の可愛さにメロメロになってしまうところも楽しく、自分が生きている現実をドラマの中の人物も生きていることが感じられ、何だか、同じ社会で必死で生きているんだなって感じてしまって、笑いの中にも心の琴線に触れていきます。

 

 

 

 

『逃げ恥』も『ダメ恋』も漫画が原作のドラマですが、これらの作品を見て読んで思うことは、その作品の中に「人間」があるということです。
これは、これらの原作漫画作品に限らず、私がこれまで読んできて好きになった漫画作品全てに言える共通点だなって思います。

絵がうまい、話の構成がうまい、画面構成がうまい、奇抜なアイディア、思いもしない発想など漫画を描くには、絵が描けることは勿論のこと、話作りも出来なければ駄目なのは書くまでもありませんが、一番大事なことは、「人間」をどれだけ描けるかということだと思います。

自分の分身、似たようなタイプや身近にいる好きな人などは描けても、嫌いな人物、関心のない人物も含めて、人間が描けることが出来なければ、話も作れないし面白くない。
典型的な型にはめて出てきたような話を転がすためだけに出てきたよう道具のような人ではなく、現実で読んでいる人間が自分に近いと感じたり、自分の周りにもいると錯覚するような、多面性をもった様々な顔を持つ生きている人間。

イラストで絵を描いて人間を描きましたではなく、社会で生きている人間、傷つき悩み考える生きている人間をちゃんとしっかりと話の中で描いていること、それが私が思う「人間をかく」ということです。
こんなのは当たり前過ぎることですが……。
やはり、インクと紙の上に存在するだけの漫画の人物とはいえ、読んでいる間は読者にとっては生きて存在している人間と同じなのですから、紋切り型のキャラクターでは意味がないと思います。

人間を描いた作品が、実在の役者という本物の人間が演じることで、より現実的に身近に自分と同じ世界に必死で生きている人間としてテレビの画面に存在するということが、私がTBS10時枠のドラマに感じた親近感なのかもしれません。
ヒロインと私は違う人間ですし、はたから見たら「女」という性別以外に共通点も何もありません。

ヒロイン達は私よりも若い世代の人達であり、こんなおばさんが同一視をしてしまうのは、失礼だと思いますが、主演女優さん達と自分を重ねるのではなくて、2作品のヒロインが直面する就職難、必要とされたいのにされないことに対しての自分の価値に対する肯定を求める姿。
そのために頑張る姿や悩む姿が他人事には感じない時があるのです。

多分、それは以前、意外な昔のドラマが少女漫画原作だったと以前コラムで紹介したドラマの原作漫画にも、また人間が描かれていて、だから同じように人間が演じることで、より人間として私の心の中に入ってきて残っているのだなって思います。
世の中は、自分の好きな人物だけで成り立ってはいません。
だから、嫌いな人、苦手な人も描かなければ白けてしまいます。

だけど、私はまだ嫌いな人、苦手な人を描くことは、自分の分身や好きな人を描くのと同じかなって思います。
嫌いな人、苦手な人はその理由が分かっていて、どうやって描けばその人物になるかが明確だと思うからです。
それよりも難しいのは関心がない人、自分が無関心な人を描くことだと思います。
そういう人物は話の本筋に出さないでいればいいと思いますが、いつまでも無関心な人物を避ける訳もいかないなって思うんです。

好きの反対は嫌いではなくて、無関心といいますが、漫画を描く上では人間全てに関心をもって、無関心な人間が少ないほうが有利だと思います。
やはり、人の数だけ話があるのではないでしょうか。
その無数の組み合わせで話が生まれてくるのではないかなって思ったりします。
また、様々な老若男女の姿を描けることも話の幅を広げるとも考えられると思うのです。

なんだか、今更、当たり前のことを書いてしまいましたが、漫画を描くということは、人間を描くこと。
そして、人間を描くには、人間を好きになるか関心を持つことなのかなって思いました。