シミルボン・2016年12月1日初投稿

 

始めに、当時の我侭な気持ちを思い出して書いてます。
文中に失礼な表現があることを先にお詫びします。


『なかよし』でCLAMPの『魔法騎士(マジックナイト)レイアース』が連載されることを知り、その新連載の時に久しぶりに『なかよし』を買いました。
CLAMPはそれ以前に『聖伝』、『東京BABYLON』を読んでいて、それまでにない絵の魅力と考えさせられる話にすっかり魅了されていたので、とても期待をしていたのです。

 

 

 

 

でも、私から見たらその期待は裏切られたという気持ちがその当時はしました。
私が角川の『月刊ウィングス』でCLAMPを知ったのは高校生の時です。
『月刊ウィングス』はどちらかというと、オタク向けの漫画雑誌で、コミケで活躍されていた先生が多い雑誌でした。
高河ゆん先生、片山愁先生とか。
中でも、CLAMPは漫画家集団であり、もこなあぱぱ先生の描く魅力的な登場人物、大川七瀬先生が考える物語など、絵が持つ華やかさ、それまでになかった話の虜になりました。

『東京BABYLON』の主役、昴流君は陰陽師で神社で犬神をしていた女性を止める話があります。
女性は誘拐されて殺害された女児の母親。
殺人犯に報復するために犬神をしていたのです。
だけど、犬神はその威力が絶大であると同時に、呪いをかけた人間にも大きな代償を払わせます。
陰陽師の昴流君はそのことを知っているので、母親に犬神を止めさせようとしてます。
そんなことをしても、死んだあなたの子どもは喜ばないと。
 

「そんなことをしても、死んだ人は喜ばない」

 

よく言われる言葉です。
しかし、母親は耳を貸さないので、昴君は女の子の霊を呼んで女の子の言葉を母親に伝えることにします。
だけど、女の子の言葉は昴君の言葉と反対の言葉でした。

 

苦しいよ、怖いよ、ママ、あのおじちゃんをやっつけて!殺して!

 

霊力のない母親には、霊になった女の子の声は聞こえません。
昴流君だけが聞こえるのです。
女の子の霊は母親に復讐を求めていてる。
自分を殺した犯人を母親に殺して欲しいと願っているのです。
女の子の言葉を教えて欲しいと懇願する母親に昴流君は葛藤の末、答えます。

 

「お母さんには、ふ、復讐なんてやめて、幸せになって」

 

女の子の霊の思いとは、反対の言葉を苦しみながら伝えた昴流君。
顔に汗をかきながらも、母親に心の動揺を気づかれないように話す姿。
霊の声を聞いて、霊を苦しみから救うことが昴流君の仕事。
それをしてきた昴流君が霊の声を無視して、母親を助けるために嘘をつく。
これは、当時読んでいて衝撃でした。
この話を読んで、遺族が抱く復讐の心を第三者が戒めるときによく使われる言葉が綺麗ごとだと感じました。

昴流君は自分のその選択が本当に正しかったのかと泣きながら、知り合いの獣医師星史郎さんに聞きます。
「ぼくは間違っていたのか」
と。
『東京BABYLON』では、この話以外にも、人間の弱さ、悲しさを描き、これまで私が持っていた価値観に対して、それが絶対に正しいものか?という問いを突き出されたように感じて、世間の常識、良識を今一度見直すきっかけを与えてくれました。

私は、そうしたCLAMPの作品を『魔法騎士レイアース』が始まる前に読んできたので、『なかよし』の連載でもそのような話を期待していたのです。
だけど、『なかよし』は『ウィングス』よりも一般的で年齢層が少し低いとは言っても、なんというか連載1回目を読んだ時は、いくらなんでも対象年齢を下げすぎている!と思ってしまいました。

当時は、『なかよし』の編集方針なんて知りませんでしたから、私が購読していた小学5年生から中学生までの『なかよし』で連載、掲載していた漫画作品は、もう少し大人っぽく、小学生の私が少し背伸びをしたいと思う大人びた憧れを感じさせるのが多かったのに、どうして、CLAMPを持ってきて、こんなに子どもっぽい作品を描かせるの?という不満の気持ちの方が先に生まれてしまったのです。

なんというか、失礼な言葉になってしまうのですが、CLAMPが『なかよし』という雑誌をあまく見ている!って感じてしまったのです。
『なかよし』は『ウィングス』に比べたら、少し漫画好きな子が読む雑誌であり、オタク、マニア向けの『ウィングス』とは読者層が違うのだから、マニアックな話ではなく、もう少し開けた万人に受け入れやすい話にする必要があるにしても、CLAMPの絵はもっと綺麗なのに!という気持ちもあいまって、なんで、こうなるの?という気持ちが拭えませんでした。

それでも、アニメも毎週見ていたりしたんですが、とにかく連載第1回目を読んだ限りでは、私はがっかりしてしまったのです。
それは、私が『なかよし』と『ウィングス』の雑誌の違いをちゃんと分かっていなかった無知からくる失礼な怒りだったなって今は思います。

ただ当時は、私が読んでいた頃の『なかよし』には、松本洋子先生が書いた綺麗な女の子が自分の取り巻きを使って、残虐な遊びをしていてそれで死んだ取り巻きの男の子の一人が死んでも、クスクス笑いながら「トジな子」って言ってたりして、その女の子の弟がヒロインに「きみは悪魔をみたこがある?ぼくはあるよ、姉さんがそうだった」と話す作品があり、八木ちあき先生の『おもちゃ箱革命』で自分よりも下の成績だと思っていた女の子が自分よりも優秀だと知って、下に見ていた人間が優れていたことに嫉妬をする人間の醜さを描いた話もあって、そういう適度に毒を持った作品が『なかよし』にはあったので、CLAMPにも、それまで読んできた作品にある「毒」の部分を『なかよし』に合わせて描いてくれることを期待していたのです。

 

 

 


私がCLAMPに期待していたのとは、別の要望が『なかよし』編集部にあり、その要望にCLAMPが応えて出来た作品が『魔法騎士レイアース』なのかなって今は思います。
異世界ファンタジー作品として見た時には楽しい作品でしたから。
また、こちらはアニメしか見てませんでしたが『カードキャプチャーさくら』も可愛くて好きな作品でした。
私は黄色いケルベロスが好きで大阪弁を喋るんですが、このケルベロスを演じたのが久川綾さんで、久川さんの芸の幅の広さを感じて、水野亜美で知った久川さんのファンに一気になったのです。
久川さんが大阪出身なのは知ってましたが、当時は亜美ちゃんしかまだちゃんと知らなかっただけに、その落差に驚きました。

私と同世代の『なかよし』読者の方々が、当時『魔法騎士レイアース』に何を思ったのかは分かりません。
ただ、既に『なかよし』は卒業したかつての読者は相手にはしないで、次の世代、新しい世代に目を向けていたのだと思います。
『なかよし』を卒業し、高校までも卒業したかつての女の子は、もう『なかよし』ではない、別の世界へ行きなさい、と言われたようにも感じました。
多分、それが成長していくことの一つなんだと思います。