シミルボン・2016年12月15日初投稿

 

私が朝ドラを見る習慣がついたのは、最初の職場で朝の休憩時間に、先輩の同僚が同じ休憩室で朝ドラを見ていたのがきっかけでした。
田舎でもあり、朝の早い時間でもあり、朝の休憩時間は30分しかなく、1室しかない休憩室で休憩を取るしかないので、必然と30分のうち半分の15分間は朝ドラを見て、休憩が終わるのです。
その頃の朝ドラは、8時15分からの放送で、休憩時間の時計代わりとしても機能していました。

それまでは、子どもの頃に『おしん』を見ていたのですが、朝ドラを見る習慣はありませんでした。
いつも7時15分には登校をする当時小学生の私が何で『おしん』を見ていたのかなあって思っていたら、『おしん』は現在の半年は東京制作(AK)、半年は大阪制作(BK)と1年に2作体制になった後の朝ドラでの中で、久しぶりに1年間の放送になっていたのですね。
だから、夏休みとか冬休みとか、寒中休みの時に見ていたんだなって思い出してきました。
『おしん』では、親に叱られましたが、大根飯に憧れを持ってしまいました。

『おしん』の脚本家の橋田壽賀子先生の作品は、『おしん』と『渡る世間は鬼ばかり』『なるようになるさ。』くらいしか、恥ずかしながらちゃんと見たことがないのですが、橋田先生の作品は特別に大好きまでいかないけれども、一度、見てしまうとドラマに釘付けになって見入ってしまいます。

台詞が長くて覚えるのが大変とか、説明台詞だらけでラジオドラマみたいっていう声も耳にしたことがあるのですが、橋田先生の描く人物達は、必要なところや不満に感じるところ、言わなければいけないところは饒舌になっているのですけど、それはその人物の考えとか思いとかが込められていて、そうなるに至るまでの出来事がドラマの中で積み上げられているので、ああ、これだけ気持ちが溜まっていたんだなとか、ああ、こんなに悩んでしまっていて、口から出てきてしまうのだなって感じるので、そんなに説明的な言葉を発しているとは、私には思えないのです。

そういう、さまざまな登場人物の思いや環境が歯車のように動いていて、だから、こういう言葉になるんだ、行動になるんだ、相手にそういう不安を持ったり、安心や信頼を持つんだっていう人物達の感情の流れが見えてきて、
グッと引き込まれしまい、子どもの頃は親が見る橋田先生のドラマをついつい一緒に見てしまっていたのです。

『おしん』以降には、職場で見るまで私の朝ドラ歴は少し途切れます。
だから、橋田先生の朝ドラ『春よ、来い』も見ていません。
そもそも、見る時間がなかったのです。

それで、私が本格的に朝ドラを見始めた作品は『天うらら』でした。
これはもうすぐ終わるというところから見たので、初回からちゃんと見たのは、次の『やんちゃくれ』でした。
ただ、『やんちゃくれ』は朝の休憩時間に見るには、私には少しうるさ過ぎて苦手でした。

そして、その次に始まった『すずらん』私は、この朝ドラにすっかり嵌りました。
『すずらん』の後の『あすか』も『私の青空』も『ちゅらさん』も『オードリー』も『てるてる家族』も大好きになりましたし、2013年にはTBSドラマ『マンハッタンラブストーリー』『吾輩は主婦である』でファンになった宮藤官九郎先生の『あまちゃん』も大好きで、現在BSで再放送中の『ごちそうさん』も、松本が舞台になった『おひさま』も『マッサン』も『あさが来た』も大好きです。

その大好きな朝ドラの中でどれが一番好きかと問われれば、私は間違いなく『すずらん』と答えます。
『すずらん』は『おしん』に近いドラマで脚本を書いたのは、清水有生先生でした。
『すずらん』は萌という駅に捨てられた女の子が主人公で、幼少期を柊瑠美さん、青年期を遠野凪子さん、老年期を賠償千恵子さんが演じました。

『すずらん』でさわちゃんの言葉に泣き、戦中、戦後を逞しく生きる萌の力強さに芯の強さを感じ、萌の次兄路夫兄さんが長兄の鉄夫兄さんに嫉妬して父親と喧嘩になったり、大人でも子どもに辛くあたるしかないという人の弱さに怒りよりも悲しさを感じ、子に見捨てられた親が子のために、人様に何を言われても必死で子どもの為にお金を貯めている姿にその強さと悲しみを感じて、それぞれの事情を持ちながら、人は必死で生きているのだ、と感じました。

当時、誰も知り合いもいない見知らぬ土地で生きていかなければならない私にとって、『すずらん』はそのドラマの人達が持つ様々な境遇、環境、感情が、とても他人事とは思えなかったのです。
毎回、殆ど泣いてましたね。
休憩後にも夜まで仕事があるというのに……。

その『すずらん』と最後の最後で1番好きかで迷うのが、山本むつみ先生の『ゲゲゲの女房』です。
『ゲゲゲの女房』が始まる前までは朝ドラを見る習慣がついたものの、最初の一ヶ月見て自分に合わないと感じると、休憩時間で同僚が見ていても、本を読んだり、休みの日には見なくなっていったのですが、『ゲゲゲの女房』はそんな朝ドラ視聴から離れていきつつある私を呼び戻してくれました。

もしも、『ゲゲゲの女房』がなければ、私は大好きな宮藤官九郎先生の朝ドラ『あまちゃん』を見なかったでしょうし、それに主演されていた能年玲奈さん(現:のん)のことも知らないまま、『この世界の片隅に』のすずさん役のことを知らないままでいたかもしれないと思います。

さらに、その後に続く私が好きな、朝ドラにも出会えていなかったでしょう。
本当に『ゲゲゲの女房』には感謝をしています。
この作品からも、多くの言葉に励まされました。
『すずらん』もそうなのですが、私の心が特に弱っている時に、そっと寄り添いヒロインと一緒にちゃんと生きていこうというエネルギーが朝ドラを見ていると出てくるのです。

『ゲゲゲの女房』は水木しげる先生の妻、布枝さんの目を通した水木しげる先生の物語でもありました。
私は、ドラマの布美枝さんが夫茂さんを支える姿、その二人を取り巻くさまざまな人々の姿が好きでした。
特に、心に残る言葉は、貸本屋の美智子さんの亭主、政志さんに水木先生が言った言葉でした。
 

わたしは生きている人間には、同情せんのです。一番、可哀相なのは死んだ人間です。

 

この間のコラムで『みんなのうた』の『しあわせのうた』の歌詞を紹介した時に、上記の言葉を思い出しました。
正直、嫌われ者の上に見た目が醜くなる難治性の病気に16歳でなってしまってから、死んでしまいたいと考えることが多かった時期もあったのですが、この言葉を聞いて、『しあわせのうた』を思い出して、生きていることは、幸せなんだなって感じることが出来ました。

綺麗ごとだけで世の中渡っていけないけれど、せめて、今、生きているからには、いつか自然とこの世を去る日までは、自分なりにささやかに生きていこうかなって思います。
どんな逆境でも、逞しく生き抜いてきた朝ドラの主人公達のように……。