シミルボン・2016年12月16日初投稿


 

手から伝わる本の重み、紙の肌触り、愛くるしい絵、可愛いお話

本書には、1950年~1960年代の手塚治虫先生の作品が19作品収録されている。
『カラー秘蔵作品集』と銘打っているだけあり、収録作品の殆どがカラーだ。
また、本書の解説の森晴路氏によれば、これまでごく一部のコレクターだけが楽しんでいた単行本未収録の作品を中心に本書は作られている。
森晴路氏は、未収録になる理由として3つの理由を解説でされている。
 

なぜ作品が単行本や全集に未収録になるのかといえば、もちろん手塚治虫の好みによる選択が一番の理由だが、もとが、“カラー”だったことも理由の一つにあげられる。昭和30年代には技術的問題から、色のついた原稿は本にはならないことが多かった。そのことにより、なんとなく原稿が紛失してしまったこともあったようである。
 主に少女マンガと低学年向け学年誌の作品に色つきが多い。雑誌では人気漫画家ほど巻頭に配置され、カラーページはふえていく。しかし、それが逆に単行本収録をむずかしくしていたのだ。部数が単行本よりも圧倒的に多い雑誌ではカラーはふんだんに使われたが、単行本では手塚治虫といえどもオールカラーはありえなかったのである。
 第二に、原稿の紛失が原因としてあげられる。今回復刻した作品のほとんどは原稿が失われている。当時はよっほどの人気作品でなければ、単行本にはならなかった。
(中略)
さらに今回復刻した作品の一部は、その掲載誌も非常に入手困難で、復刻もままならなかった。また、「ぎっこちゃんまっこちゃん」「びんびん生ちゃん」「しらゆきひめ」「せむしのこうま」「太陽がさかさまだ」などの作品は、その存在すら近年まで知られていなかった。
 第三に短編はなかなか単行本に入りにくい事情がある。

 

まとめると、手塚治虫先生の好みを別として、

  • 技術的にカラー作品を単行本にすることが出来なかった。
  • 原稿の紛失。
  • 短編であるため。

 

この3つである。
また、原稿を紛失しても掲載誌が入手出来れば、そこから単行本に収録も可能だが、これも、国立国会図書館の支部図書館である国際子ども図書館などに該当号が保存されておらず、『びんびん生ちゃん』(初出『ひかりのくに二年』1949年12月号)は連載2回目以降の確認が出来ず収録されていない。
『びんびん生ちゃん』は12コマの1ページ漫画。
現在とはコマの読み方が違って、12コマに均等に分割されたコマを右列のコマをまず上から下へと読んでいき、2列目を読む。
コマのすみに番号が振ってあるので、読むのには困らないが、現代の漫画の文法に慣れている人ほど、最初は戸惑うだろう。

こうした1ページ漫画、雑誌の広告カットも多く、低学年向けに世界の有名な童話を元にした作品や少女漫画を中心にこれまで、様々な事情で単行本にならなかったカラー作品を中心に収録されているので、とても華やかだ。
手塚治虫先生のモダンでお洒落な少女漫画の世界が広がっている。

特に、最終に収録されている『野ばらよいつ歌う』(初出『少女サンデー』1960年12月~1961年4月20日号連載)は、音楽家シューベルトに出会ったピアニストの少女クララの物語で、とても美しく可愛らしい。
手塚治虫先生は、ご自身が音楽を聴くだけでなく、ピアノ演奏の腕も持っていらした。
ご自身も軽やかにピアノを弾くので、軽やかに弾く指先を知っているからか、鍵盤を叩くクララの指先も軽やかで美しく、ピアノ曲から連想される風景の絵の豊かさに心が和む。
クララの飼い猫が鍵盤の上をダンスするのも微笑ましい。

晩年の『ルードウィヒ・B 』のレビューで私は、音を表現するのに手塚治虫先生が苦しんでいたのではないか?と書いたが、『野ばらよいつ歌う』を読むと、実はベートーベンが音楽を生み出す苦しみを描いていたから、手塚治虫先生の表現もそう私が読んでしまったのではないか?という思いに至った。
この作品の始まりがベートーベンの死から始まるので、『ルードウィヒ・B 』と対になる作品だと思った。
合わせて読むと世界が広がるかもしれない。

11年前2005年に発行された『手塚治虫カラー秘蔵作品集』ケースに入っており、貴重な作品もカラーではないのもあるが、カラーをふんだんに使って収録されている。
豊かで可愛らしく、優雅な手塚治虫先生の描く世界は目も楽しませてくれる。
子ども向け、少女向けと敬遠する前にこの世界の扉を開くと可愛い世界が広がっている。