シミルボン・2016年12月25日初投稿

 

女性の美しさって何でしょうか。
所作、にじみ出てくる品、人柄、内面の良さが出てくる笑顔、顔の表情、その人が持つ雰囲気。
そのような内面の良さや育ちの良さから生まれてくる美しさもありますが、やはり大きな影響を持つのは、外見からくる美しさだと思います。

地味顔な主人公桜田門真恵(さくらだもん まえ)は得意なメイクの技術で、会社では美人として知られています。
彼女は、大好きな関口さんのために、お尻の脂肪吸引や胸の豊胸も行い、美しさを極めます。
綺麗でいることに惜しみない努力をする彼女には、彼女なりのポリシーがあるのですが、その桜田門の女性であれば綺麗と言われてたいという願望以上に、男性社会の中で生きる女性は美しくて綺麗でなければ損という感情があります。

桜田門よりも、その傾向が更に強いのは仕事が出来る後輩の目黒川さゆりと先輩の堀切実江子(ほりきり みえこ)です。
目黒川は顔もスタイルも営業成績も抜群の美人。
堀切さんは仕事は有能ですが、地味で目立たない女性です。
それぞれ、別の出来事をきっかけにして、桜田門は自分の地味な顔を目黒川と掘切さんに知られてしまいますが、桜田門も目黒川の秘密や掘切さんの思いを知ることになります。

スッピンでも綺麗な目黒川にコンプレックスを感じる桜田門。
同じ地味な顔なのに、化粧で美人になっている桜田門にコンプレックスを持つ堀切さん。
メイクをしただけで美人になれることが可能な桜田門や掘切さんにコンプレックスを持つ目黒川。
三人がそれぞれに、羨ましがられている相手に「美しさ」という点でコンプレックスを持っています。
その理由が、会社の男性上司の女性社員の外見の美しさによる差別だったり、彼女達が過去に経験した外見から受けた差別の言葉だったりするのです。

外見だけで人は判断をしないとは言っても、同じような失敗をしても綺麗だったり、可愛い人の方が許されることは多いのではないかと思ったりします。
 

なぜ…… なぜ? キレイなら仕事ができなくても許されて? 美人じゃない者は価値がない? 誰が決めたのそんなこと―――

 

掘切さんがそう思ってしまうのも、女性が会社の仕事を結婚までの腰掛だと思われて綺麗な同僚ばかりが自分よりも大事にされているのを長年見てきて、また、母親を捨てて綺麗な女性に走った父親を見て育ってきて、小さい頃から地味でブス扱いをされてきた積年の思いからくるもので、とても被害妄想だよって簡単にあしらうことが出来ません。

桜田門は自分と同じ地味な顔で生きてきた堀切さんに対して、幼い頃の自分と重ねて同じだと思う場面があるのですが、それを読むと、桜田門は大人になってお化粧、メイクを覚えたことによって、地味でブスと言われてきた自分が美人になることが出来て、それが嬉しく生き甲斐になったのだなって思うのです。
だからこそ、同じ地味な掘切さんが間違ったメイクをして、化け物扱いされているのが見ていられなくて、自分が会得したメイクを教えたんだなって思うのです。

私は、この作品を最初はテレビドラマで知ってから、原作漫画を読みました。
それまでは、女性の顔面の美容整形に関しては完全な否定派でした。
けれども、目黒川の存在を知ってそのことに関して完全な否定派ではなくなりました。
 

……そうですよね 桜田門さんは まだ いいですよ ブスはブスでも オニのよーに厚化粧すれば ごまかせる顔のブスなんですから でも あたしはちがった……… それまでの自分を捨てて新しい自分を買うしかなかった 人生をお金で買うしかなかったんですから 知っています?骨 けずるのってつらいんですよ…… あのつらさと それまで さんざん言葉で傷つけられてきた痛み 絶対忘れない

 

「美」と対局にいる女性として、その外見で美しくないとされた女の一人として、堀切さんの言葉も目黒川の言葉も、到底他人事だとは思うことが出来ませんでした。
この二人は、私とは違って、これほど仕事を頑張って成績を残しても、女だから、綺麗だったら仕事は腰掛で寿退社だろうと差別されていて、屈辱も大きかったと思います。
この作品は、私が20代の頃の作品で男性社会中心の会社の状況も今とは違い、漫画ならではの誇張もあるとは思います。

それでも、現実の今の社会でも、電通で東京大学を卒業し、あれだけ綺麗な高橋まつりさんが仕事内容だけでなく、容姿までも上司から非難されて、自ら「死」を選んだという悲しい現実の事件の報道を耳にして、いまだに女性を外見からくる美しさで判断している社会は変わってないと思います。
また、それが当たり前だと男も女の多く思っている日本の社会に対して、悲しい怒りを感じます。
ここまで、女性が外見の美しさに拘り、引け目を感じてしまうのは、男性の女性の若さと外見の美しさへの過大な評価があるのではないでしょうか?

この間、ドラマも漫画も最終回を迎えた海野つなみ先生の『逃げるは恥だが役に立つ』のドラマで、百合ちゃんが会社の上司に言われた嫌味や最終回で百合ちゃんが五十嵐さんにいう言葉を聞いて、私が『OLヴィジュアル系』を知った20代の頃とそんなに社会は変わってないのだなって感じました。

女性が美しさを手に入れることで、人生が前向きになるのであれば、その手助けになるのならば、お化粧をすることも、最終的には目黒川のように美容整形をすることも、一つの選択肢としてあってもいいのでは?と思うのです。
ただ、美容整形をするには、目黒川が決めただけの覚悟がないと簡単には選べないと思います。
どうせ、女だって男を外見で見ているだろ?ただし、イケメンに限るだろって思う男性方もいるかもしれません。
何も情報がないと最初に入ってくる外見の情報が人の判断の基準になることは確かだと思います。

けれども、私は、女性だろうが、男性だろうが、いつまでも外見だけで人を判断するのは嫌ですし、されるのも嫌です。
それは、私自身がそれで堀切さんや目黒川と同じように散々傷つけられてきたから。
その価値判断があること自体が憎いからです。

自分自身の憎しみと綺麗ごとの狭間で、訳のわからないことを書いてしまいましたが、女性が美しさに拘る裏側にある悲しみとそれを克服するために、お化粧や美容に拘る姿が身につまされる作品でした。