シミルボン・2017年12月31日初投稿

『なかよし』がマイナー? 
 

少女漫画雑誌のイメージって、世代やその人個人によってかなり違ってくるんだなって最近思います。
面白いですね。
私が小学生、中学生時代の1980年代だと、私の周辺では『りぼん』(1955年創刊)『なかよし』(1954年創刊)が人気少女漫画誌の双璧でした。
でも、私よりも20歳若い20代の方にとって、『なかよし』がオタク向けの印象になっていることには驚きでした。
『なかよし』って、そんなにマニアックな雑誌だったけかなって思ったりします。
意外と等身大の中学生、高校生が特に魔法とか異次元世界とかに関係なく、普通の学園恋愛物が多かったり、外国を舞台にした恋愛物があったりして、舞台が現代だったり、少し昔だったりしても、いつか自分も漫画のヒロインの年齢中学2年生や高校生になれば、恋愛で悩んだりするのかなって思って、少し年上のお姉さん達の恋愛にハラハラドキドキしてたので、『なかよし』は『りぼん』と並んで掲載していた作品の殆どが王道少女漫画で1955年発行の『りぼん』よりも創刊が1年弱早い『なかよし』がマニアックでオタクな雑誌というポジションになっていた、という現実に42歳のおばさんはびっくりしてしまいましたよ。
何があったんですか?『なかよし』さん。

ここは、私の個人的な感想になるので、全く的外れなことを書いているなあ、このおばさんはって思う人が出てくると思うのですが、ずっと8歳から『りぼん』愛読者のりぼんっ子で、友達の影響で『なかよし』を読み出した私には、『なかよし』は、『りぼん』よりは親に漫画を読ませやすい作品が多かったなっていう印象があります。
これは、『なかよし』が1954年に発行され当初は漫画作品よりも、読み物が多かった名残がまだ私が小学生時代にあったからかなって、『なかよし』の歴史を『大人の少女マンガ手帖』で知って思いました。

少女向けアニメは『りぼん』に連載されていた横山光輝先生の『魔法使いサリーちゃん』(1966年)が1966年にアニメ化されたのは先ですが、『なかよし』の方でも、手塚治虫先生の『リボンの騎士』(『少女クラブ』版1953年、『なかよし』版1963年)が連載されていて1967年にアニメになっていて負けていません。

『リボンの騎士』は『なかよし』版の前に『少女クラブ』版があり(『少女クラブ』(1923年~1962年)は講談社が発行していた雑誌)、この『少女クラブ』版の『リボンの騎士』の続編、サファイアの子ども達が主役の話の『双子の騎士』を1958年に『なかよし』に描き、その後サファイアの話をリメイクして『なかよし』に連載していて、この『なかよし』版を基準にして1967年にアニメ化されました。
手塚治虫先生が宝塚歌劇団を好きで、『リボンの騎士』はその影響がダイレクトに出ている作品として有名ですが、最初のテレビアニメ化された時に、主人公サファイアを演じた太田淑子(おおた よしこ)さんが宝塚のOGであることは、あまり知られていないかなって思います。

今の『なかよし』は発行部数が著しく落ち込んでいて、コンビニやスーパーの本のコーナーでは見かけなくなり、本屋さんでないと見かけないようになってきましたが、今も発行を続けている『りぼん』の先輩雑誌にして、最大のライバル雑誌、かつて一時期だけの愛読者の一人として、『なかよし』にも頑張って欲しいところです。

私が『なかよし』が親に見せても安心できる作品が多いなって思ったのは、それまで『りぼん』を読んでいたからなんですよね。
小学5年生当時の私が『なかよし』と比較できる少女漫画雑誌って『りぼん』しかなかったから。

 

 


『りぼん』も『りぼんの付録全部カタログ少女漫画誌60年の歴史』によると、本誌に「おかあさまのぺージ」があり、偉人伝の読み物付録があって、創刊から10年は、『なかよし』と同じ傾向があったと思うのですが、私が読者の頃の『りぼん』って、過激な人間関係のドロドロの作品が結構多くて、各世代ごとで小学生、中学生が読む『りぼん』に掲載されていたにしては、過激な内容でしょって作品を語る人を見かけるのですが、いやいや、それって今に始まったことじゃないし、寧ろ『りぼん』ではどっちかっていうと、それが王道ですから!っていうのがあるんですよ。

私は主に1980年代の『りぼん』をリアルタイムで読んでいて詳しいのですが、1980年代初期だと、まだ1970年代の『りぼん』の代表作を追いかけることが可能だったり、年上の親戚のお姉ちゃん達から話を聞いたり、コミックスの立ち読みやら、1980年代でも読み切りや連載を陸奥A子先生や太刀掛秀子先生、小椋冬美先生は描いていてくれたので、リアルタイムで体験はしてなくても、1970年代の『りぼん』の持つ大人っぽさというのは分かったつもりになっていたんです。
でも、1970年代の『りぼん』を知っている人から見たら、私が1990年代以降の『りぼん』に感じた子ども向けを既に1980年代で感じ取っている訳であって、これは、もう『りぼん』という雑誌の低年齢化プラス読む人間の年齢が大きくなったことで、各世代が自分がターゲット読者層から離れたら感じてしまうという、毎年恒例の儀式なんだなって思うようになってきました。

『ちゃお』『少女コミック』『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』
 

今は『ちゃお』が『りぼん』『なかよし』を抑えて、小中学生が読む少女漫画雑誌の売り上げ1位になっていて、これには、本当に驚いてしまいました。
小学生時代の私にとって『ちゃお』は、『りぼん』『なかよし』よりも2周周回遅れていると感じていた雑誌でした。

小学館の『ちゃお』って、『なかよし』や『りぼん』に比べると、ずっと後発でして、創刊が1977年。
小学館だと『少女コミック』『別冊少女コミック』があって、そちらの方が人気にしても、話題作にしても、今も残る名作も多く出している印象があるから。
小学館の少女漫画雑誌は、『少女コミック』(1968年創刊)が、創刊から2年後に『少女コミック』は『月刊少女コミック』と『少女コミック』に分かれ、『月刊少女コミック』は『別冊少女コミック』に、『少女コミック』は『週刊少女コミック』になります。
『週刊少女コミック』では、1974年に萩尾望都先生の『トーマの心臓』が、1976年に竹宮恵子先生の『風と木の詩』が始まります。

『別冊少女コミック』では、1972年に萩尾望都先生の『ポーの一族』、1978年に吉田秋生先生の『カリフォルニア物語』があり、同じく吉田秋生先生の『BANANA FISH』が1985年に連載。

『ちゃお』は『別冊少女コミック』の増刊で出されたのが始まりだったということで、最初は独自の色がなかったらしいのですが、私が小学生の頃には、周回遅れだなって感じていたにしても、『なかよし』や『りぼん』とは違う雑誌の色というか、雰囲気を持っていたので、『ちゃお』は数年で独自色を生み出していて、これはすごいことだなって、今になって分かりました。
小学館系の少女漫画雑誌の印象として、私の中では小学生時代から少しエッチだなっていう印象があります。
講談社系や集英社系よりも、裸やベッドシーンが多かったせいかもしれません。

『少女コミック』を立ち読みして、裸の場面でカーッと赤くなって閉じてしまうという思い出があるから。
篠原千絵先生を『闇のパープル・アイ』(1984年)を父が買ってきたコミックで知り、『闇のパープル・アイ』で裸やベットシーンになれたと思っても、篠原千絵先生『海の闇月の影』(1987年)でやっぱりラブシーンではドキッとしたし、北川みゆき先生の『レタスと剣』(1988年)の可愛さとエロさにドキドキしていました。

それと、今ならちゃんと話の内容が理解できて、人間の心の中に真正面から向かって、難しい感性を描いていると分かるのですが、それが分からない時や、絵から受ける最初のインパクトの強さだったり、概念的な詩情のような台詞回しがあったりする作品が多かったというのがあって、小学館の少女漫画作品はかなりマニアックな作品や、これを好きというには、相手の理解が必要だなって感じる作品が多かったという個人的な印象があります。
 

『なかよし』から『少女コミック』へ移籍された萩尾望都先生
 

萩尾望都先生は『なかよし』で1969年に『ルミとミミ』デビューをされたのですが、『なかよし』編集部が求める作品を描くことが難しくて、『少女コミック』へと移籍されています。
『なかよし』から『少女コミック』、講談社から小学館に移籍された経緯を『文藝別冊KAWADE夢ムック総特集少女マンガ界の偉大なる母萩尾望都』のインタビューで萩尾望都先生が語っています。

 

 

萩尾 もっと子どもらしい会話にしてくださいとか、編集部としては当然ですけど。そういう注文がつく時に、私が描きたい世界と編集が望んでいる世界、まあ『なかよし』の読者の望む世界とですね、どう折り合いをつければいいんだろうと。
(中略)
――講談社の『なかよし』でしばらく描いていらして、小学館の『少女コミック』に移られましたが、移ったという意識はあったのでしょうか。
萩尾 ありました。
――それは契約で移られたのですか?
萩尾 いやいや。当時は新人ですから契約などありません。
(中略)
萩尾 講談社で継続的な仕事が全然なかったんですね。『ビアンカ』(1970年)という16ページの作品を採用してもらったんですけど、他の原稿は全部ボツになっちゃって。どうしようこれ、って感じで。
――さっきおっしゃっていた、ボツばっかりだった頃ですね。
萩尾 そしたら、当時『少女コミック』に描き始めてた竹宮さんが「小学館の編集者を紹介しようか」って。
(中略)
――それで講談社の方に、小学館で描いていいですかってお聞きになった。
萩尾 はい。講談社のほうでは「いいよ」って。
――講談社は後で悔しがったでしょうね。
萩尾 いえいえ。でも、小学館でまとめて引き取っていただけたというのが大きかったですね。あと、講談社の場合は『なかよし』でどちらかというと小さい女の子向けだから、話が難しすぎるっていうのが一番のネックだったんですね。セリフを少なくしてとか、絵を大きくしてくださいとか。ところが小学館の『少女コミック』は、間口が広いというか、なんでもいいよっていう感じだったので入っていきやすかった。

 

 

だから、講談社の『なかよし』のように親に見せても安心という一般向けな漫画が多い雑誌が、いまやというか私より下の世代の人にはオタク向け、マニア向けという印象であることは驚きでしたし、逆に私がマイナーでマニアック向けだと感じていた小学館系の雑誌がいまや売り上げ1位でメジャー誌になっていたという時代の流れにびっくりです。
そして、我が愛する『りぼん』は昔も今も王道少女漫画雑誌でありながら、かなりタブーな話をずっと誌面で出してきているのに、『りぼん』なんて女、子どもが読む雑誌だから、当たり障りのない恋愛漫画しかない雑誌だと思われているという事実。
それも、自分が購読していた時代の『りぼん』はもっと過激な内容、深刻な内容があったよって、上の世代も下の世代も思っていて、自分の知らない時代の『りぼん』の上と下に連載されていた作品内容を調べてみれば、あ、私の世代だけでなくて、『りぼん』って昔も今も、かなり辛辣な話を連載してたりするんだねっていうのが分かってきて面白いです。
 

週刊少女マンガ雑誌の時代と終わり
 

そういえば、高校時代に漫画研究部の先輩が

「少女漫画って、月刊とか月2回だけどさ、少年漫画って週刊ばかりじゃん。男って、1ヶ月くらい漫画の連載の続きを待てないのかね」

って言っていて、その時には先輩の言葉に頷いていたんですけど、実は少女漫画雑誌も昔は週刊漫画雑誌があったんですよ。
私よりも先輩の方々には常識かもしれませんが、『週刊少女コミック』『週刊少女フレンド』『週刊セブンティーン』『週刊マーガレット』とか。

『少女コミック』は1968年4月に月刊誌として創刊、1969年に月2回になり、1970年に週刊と月刊に分裂し、『週刊少女コミック』と『別冊少女コミック』がそれぞれ創刊します。
『週刊少女コミック』は、1978年に月2回発行戻り『少女コック』に戻り現在は『Sho-Comi』に、『別冊少女コミック』は『ベツコミ』に名称が変わります。
『別冊少女コミック』の作品を『プチフラワー』へ一部移して、『月刊フラワーズ』が2002年に創刊されています。

『セブンティーン』と言えば、10代のファッション誌として私は10代の頃に知っていた雑誌でしたが、元々は『週刊マーガレット』の上の世代をターゲットにした芸能、漫画も扱った雑誌『週刊セブンティーン』として1968年に創刊。
1987年に漫画がなくなり雑誌名が『SEVENTEEN』ファッション誌に。
『週刊セブンティーン』時代の漫画作品では、水野英子先生の『ファイヤー!』(1969年)、ドラマ化された津雲むつみ先生の『おれは男だ!』(1970年)がありました。

『週刊マーガレット』は、1951年に創刊し1963年に廃刊になった『少女ブック』の後を受けて、1963年に創刊、1988年に月2回発行となり、現在は『Margaret』。
週刊時代の作品で特に一般的に広く知られているのは、アニメ化された3作品、浦野千賀子先生の『アタック№1』(1968年)、山本鈴美香先生の『エースをねらえ!』(1973年)があり、池田理代子先生の『ベルサイユのばら』(1972年)がありました。

『週刊少女フレンド』は『少女クラブ』(1923年~1962年)の後継誌として、1962年に講談社から初めて発行されてた日本で初めての女性向け漫画週刊誌。
『週刊少女フレンド』も発行形態が月2回になり、月刊になって1996年に廃刊になりました。
それでも、『週刊少女フレンド』は、里中満智子先生がデビューされたり、庄司陽子先生の『生徒諸君!』(1977年)や大和和紀先生の『はいからさんが通る』(1975年)が生まれたりして、少女漫画を語るのに外すことが出来ない少女漫画雑誌です。
 

成人した後も読める女性の漫画雑誌の存在
 

『りぼん』を卒業した私は、『りぼん』と同じ集英社系の白泉社の『花とゆめ』(1974年創刊)を購読するようになりましたが、(その前に元々集英社は小学館の子会社でしたね)『りぼん』と同じ集英社でいけば、『りぼん』の後には『マーガレット』があり、『ぶ~け』(1978年~2000年)がありました。
『マーガット』は今でもありますが、『ぶ~け』が廃刊になっていたのは寂しかったです。
『ぶ~け』の雑誌名については、『大人の少女マンガ手帖』によると
 

 

 

 

「マーガレットをりぼんで束ねてぶ~けという合言葉のもと、『りぼん』『マーガレット』に続く少女マンガ誌として創刊された。

 

 

なのだそうです。
『ぶ~け』はたまにしか読まなかったですが、分厚くて大きさも少し小さかった(A5判)ので、ちょっと読みにくかったなという印象があります。
『ぶ~け』は、『りぼん』本誌の総集編を載せる『りぼんデラックス』(1975年~1978年)を母体にして生まれました。
誌名に『りぼん』の名をつけた雑誌は、過去に『りぼんコミック』(1969年~1971年)があり、季刊誌『りぼんオリジナル』(1981年~2005年)がありました。
一部で『りぼん』本誌からの連載作品と思われている一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』(1981年)は、1981年『りぼんオリジナル 春の号』から連載が開始しました。
『有閑倶楽部』のコミックスに、初掲載の雑誌の記載があります。

『りぼん』を卒業した読者には、子どものころに『りぼん』で活躍していた先生が社会人になった元りぼんっ子をターゲットにしたのかなっていう『Cookie』が1999年に創刊し、『ぶ~け』廃刊後、月刊化されたのを見ると、『ぶ~け』の後継誌なのかなって思います。

『週刊セブンティーン』の姉妹誌として1969年に創刊した『別冊セブンティーン』は1973年に『月刊セブンティーン』になり1986年に廃刊しますが、その特別編集として1980年に大人の女性向けの漫画雑誌『YOU』が創刊、1986年に『ヤングユー』が同じく『月刊セブンティーン』の特別編集として創刊し、『月刊セブンティーン』廃刊後に月刊化されますが、2005年に休刊、『YOU』、『コーラス』(1992年~2011年)に連載作品が引き継がれます。
『コーラス』は、2011年に『Cocohana』に誌名を変更。

講談社は、1975年に『月刊mimi』が『少女フレンド』の読者よりも高い読者を想定して創刊、1979年に大和和紀先生の『あさきゆめみし』が連載されてました。

『月刊mimi』はファッション、芸能も扱っていましたが、1996年に休刊し、新雑誌『Kiss』(1992年創刊)に引き継がれていきます。
1979年に『週刊ヤングレディ増刊 漫画特集BE・LOVE』を前身に『BE・LOVE』が1980年に創刊。


『大人の少女マンガ手帖』によると、レディコミの元祖は虫プロ商事の『ファニー』(1969年~1970年、1973年)。
『ファニー』は、『COM』の妹版として創刊、作家陣は竹宮恵子先生、岡田史子先生、手塚治虫先生。
また、双葉社から『増刊漫画アクション』として誕生した『女性コミック パピヨン』(1972年、1974年)も、レディースコミックの奔りといいます。
2誌ともに『ファニー』は虫プロ商事の倒産で廃刊、『女性コミック パピヨン』は時期尚早で廃刊してしまいます。

1970年代には早すぎた女性漫画雑誌も、1980年になって、集英社の『YOU』、講談社の『BE・LOVE』が創刊して、少女漫画を卒業しても、主婦やOL向けの女性漫画雑誌があって、過激でエロだらけのレディース漫画だけではなくて、少女漫画雑誌を卒業しても、楽しめる漫画雑誌があるということは、女性が読む漫画の世界もかなり成熟してきたのだなって思います。

著名で良質な長期作品が多い秋田書店 
 

秋田書店の少女漫画雑誌というと、『月刊プリンセス』(1974年)を思い出します。
主に『月刊プリンセス』の作品は友達の持っていたコミックスで細川智栄子あんど芙~みん先生の『王家の紋章』(1976年)、原作・池田悦子 漫画・あしべゆうほ先生の『悪魔の花嫁』(1975年)を読んでいたのですが、高校生の頃の私は連載されていた富樫じゅん先生の『好派!蘭丸応援団』(1987年)が好きで、連載時には時々『月刊プリンセス』を買っていました。

『月刊プリンセス』創刊2年後には、『別冊ビバプリンセス』(1976年~1990年)が創刊。
青池保子先生の『エロイカより愛をこめて』が連載されていました。
『エロイカより愛をこめて』は、1979年に『月刊プリンセス』に移籍します。

他に1958年創刊の『ひとみ』があり、秋田書店は、講談社、集英社、小学館に比べると独自のペースで頑張っていて、私でも読んだことがある作品を挙げてみると、長く連載されていて、知名度も高い作品が多くありますね。
 

年代や時代、世代によって印象が変わる少女マンガ雑誌
 

私は『りぼん』『なかよし』を中学生で卒業して、高校生になると『花とゆめ』を定期購読していくのですが、それでも時々は『りぼん』や『なかよし』をチェックしたり、『月刊プリンセス』や『マーガレット』『別冊少女コミック』『LaLa』(1976年創刊)をチェックして、時々、買って読んだり、もっとマニアックな同人誌よりの『ウィングス』(1982年創刊)や『月刊Asuka』(1985年創刊)を読んだりもしていったり、社会人になってからは『BE・LOVE』を購読していたりした訳ですが、自分が辿ってきた少女漫画誌の購読の歴史と共に、時代を生み出した少女漫画雑誌の歴史を調べたり、自分のテリトリーではない年代を別の世代の方たちの話から知ることによって、こんなにも同じ雑誌の中でも、時代や年代によって違う印象があるんだなって分かって面白いです。

各世代、各会社の個性があり、時代の流れを作ったり、時代の流れに流されてしまったりしながらも、今も少女漫画雑誌を生み出している人達がいることがすごいと感じます。