人は誰しも老いる事を恐れます。

成人するまでは、まるで時がゆっくりと進んでいるように「早く大人になりたい」と僕の時代では皆が想っていました。

 

それが20才を過ぎたとたん、今度は時間が早く進みだしたように、気がつけば30・40・50・60。。と年をとるごとに早まって行きます。

僕も先日、18才で大阪に行ったと想ったら、もう63才です。

まるでこの間が「無かった」とさえ思えるのです。

唯一、それを証明するのは息子の存在です。

 

でも、その42年間は0時間に等しいのです。

 

これからさらに早くなり、気がつけば「死」のまぎわです。

大切なのは、この死の僅か前。。「いい人生だった」なのか「怒りと悲しみ」の中なのかの違いだけです。

この瞬間のために我々は生きている。。と言っても過言では無いと想います。

 

そして肉体の中で最後に脳が動きを止めた時を人は「死んだ」。。と認識します。

 

では、どうすれば最後のひとときを倖せにおくれるでしょう?

それが「自分の生きて来た道」です。

どんなに強く恐ろしいヤクザの親分さんも、日本の総理大臣も、みんないなくなるのです。

この瞬間から100年後に生きてる人は僅かです。

だって死亡確率100%ですから。

 

特に日本人においては、哀れです。

政府によって発ガン性物質入りの食べ物でガンで死に、政府によっていじめられ精神的に追い詰められて自殺する。

まるで殺されるのを待っている従順な奴隷のようです。