同い年の親戚の四十九日。


普通に生活をしていて、USJで遊んでいたら急に立てなくなって、その日の夜緊急搬送されて「明日死ぬかもしれない」と言われて、もちこたえたけど一年たたずに亡くなった…


お経が長くて子どもたちは暴れ出してしまってたけど、うちの子たちは爆睡でほーーーっ。笑




仕事が終わった親戚も続々きて、5年以上ぶりの集合でした。(みんなではないけど)



にぎやかで笑いのたえない時間。


亡くなった親戚も一緒に楽しんでくれたかなおねがい


どうでもいい話をして笑って笑って帰りたくないくらい楽しかった。


みんな心の奥の寂しさは同じだけど、

ひと時でも楽しい時間をすごせて子どもたちとも笑い合えて、来て良かった。


頑張ろう。


またみんなで笑おう(^o^)




昔の上司と久しぶりに連絡とったら、敬語になってる寂しさー笑ううさぎ


期待値0でいつ逃げ出すか分からないどうしようもない私を歓迎してくれてた昔があるから居続けられてるので、いつまでもあの時の関係性でいたい!!


私は騙されたおかげでプロレス界に入れて、騙してくれた人たちには感謝しかないのです笑い泣き


騙されたスタートでも、最終的に自分が決めた決断は意地でも最良のものにする



雑誌に載ってたオーディションの日付をはるかに過ぎてから応募したから(あつかましいな💦)、私はいきなり最終選考の面接でした。


面接で受けた説明

「芸能人がやるプロレスごっこみたいな感じ」

「2年間、アクション女優の修行の一貫でプロレスの練習をするだけ」

「SPEEDになりたい?そこらへん歩いてるよりははるかに可能性あるんちゃう?」


嘘つけーーー笑い泣き


あの場でテキトーなことを連発してくれた会長、社長、それから苦笑いはしてたけど否定しなかった大会本部長には感謝しかないー!笑


あの時のまま、田舎のアホな子のイメージでいつまでも接してほしい🎵



ちなみに、プロレス始める前は、太田プロダクションの「第二の高島礼子オーディション」に1000人近くから男女各3人に選ばれて仮所属させてもらってました。


最終選考が1ヶ月ワークショップだったんだけど、私はほぼ演技しないで逃げ続けて休憩中だけ元気だったらしいアセアセ(合格の連絡が来た時に「俳優オーディションなのに演技をしてるのを見てない。休憩中にイキイキしてるのが印象的」って言われた。笑)


で、合格して数週間で演技やりたくない(できない)、辞めたいって泣いてた。笑


全く期待されてなかったから辞めるのは簡単だったんだけど(1年間はお互いの様子見で仮所属だったので)、今でもそんな一瞬だけ所属していた私を覚えてくださっていて、プロレスラーとしてテレビ局で会った時にはむこうから声かけてくださったり、大人って本当に優しいなって、関わってくれた人みんな好きです照れ


後先考えずに突っ走った二十歳前後。


どんなやばい大人になるかと思ってたけど、その後出会った方たちも素晴らしくて、なんとか普通の大人になれてることに感謝です。



さぁ、蛇道衆まであと3日!!


その後のカードも早急に決めなきゃだー!!!