私がプロレス界に入った時、大暴れしていたのが私の所属していた団体の一丸会長でした。


当時は、プロレスの全てが日常とかけ離れて衝撃だったので、とくに気にも留めていなかったのですが、会長(裏側の人)がリングで大暴れするのはやっぱり普通ではなかったようで、よく雑誌に載っていました。


世間ではスーパー悪役な会長でしたが、私は悪い印象も怖い印象も持ったことはありません。


私たち同期が道場兼寮で試合後のお菓子打ち上げをしていると、輪の中にはいってきて一緒に団欒してくれるけど、ご飯を振る舞おうとするといつも逃げるように帰って行きました。


その時は

「きっと、食糧がないこと知ってるから気を遣ってくれてるんだね」

なんて話してましたが、実際はたぶんそのあとおいしい焼肉でも食べに行っていたのでしょう笑い泣き



たまにご飯に誘っていただいても、幼い私たちは会長の誘いは断ったらダメという概念がなく、いつも「疲れてるので大丈夫です(行きません)」と答えて


秘書?の方に

「会長の誘い断ったらあかんで!そんなんありえへんことやで」

とお叱りを受けていました。


会長は

「ええねん!俺もほんまはこいつらと行きたくない!綺麗な姉ちゃんがええわー笑笑」

と笑ってくれていました。


新木場1stRINGを作ってくれたのはこの会長で、

「俺に感謝しろ!笑」

といつも言われていました。


まだ子供だったので、感謝はしてたけど、イマイチ偉大さが分かってなかったなー。


1stRING完成直前、一番にイベントをしたのは私でした。


とくに料理が得意でもない私がカレーを作って食べていただくという謎の企画、限定50名。


完成後、試合をしたのも私がはじめでした。




会長は莫大なお金をかけて映画も作っていました。


理由は『自分が出たいから』だったそうです。笑


すごい人なんだけど、私たちにとっては

『口が悪い、でしゃばりで、優しいおじいちゃん』

みたいな方でした。


桁違いの情けない話もしてくださって、私たちはいつも笑い転げていました。


沖縄に移住された数年後、秘書だった方に

「私が頑張ってること会長に知ってもらえてないの寂しいですー」

と言ったら

「会長知ってるよ、「頑張っとるんやなー」って喜んでる」

と言ってもらえたのが、会長との最後の接点でした。(接点ではない?)


71歳でお亡くなりになられたと聞いて、

あの時代の温かい方たちのおかげで私は辞めずにいたんだなとしみじみ思い返します。


慎んでお悔やみ申し上げます。


会長ーえーんえーんえーん






3月12日後楽園ホール、今回の最前列特典はトーナメント6人の直筆サイン入りポートレート!!


毎回、旬を打ち出せたらいいな。


お待ちしています炎炎炎