緘黙という言葉を知り、検索魔になった私ですが、まず最初のアクションは市でやっている児童発達相談所への問合せでした。


去年の10月に電話で問合せをし、なかなか予約がとれず1〜2ヶ月待ちだと言われました。

市営の施設なので、もちろん平日のみで、日時の指定は難しいと言われました。

曜日によっては仕事を休みにくい日もあるのですが、仕方ないのでとりあえず担当者からの連絡を待つことに。


電話がかかってきたのは、12月中旬でした。

日程はある程度こちらの希望を伝えたものの、やはり担当者の予定が埋まっている等あり、曜日や時間は希望通りにはいきませんでした。


10月に問合せしてから、12月に連絡がくるまでの間、緘黙かもしれないということは夫に話しました。


夫はもともと口数が少ないので、どこまできちんと伝わって、どこまで正しく理解してくれているのか、日頃からイマイチ掴めない所があるのですが、夫なりに気になったようで、その日以降、緘黙について調べていたみたいです。

ある晩ふと、「場面緘黙かもしれないなぁ…」と呟いていました。


一方で、緘黙かもしれないという話を私の父にもしたのですが、そっちの反応は真反対でした。

「緘黙じゃないよ、考えすぎたよ、家では喋れるんだからそのうち良くなるよ」というようなことを言っていました。

父は、長年教育現場での仕事に就いていて、緘黙や支援が必要な子供たちと係わる機会もとても多く、それまでも長男のことを相談したりしていました。

その父がそう言ってくれたことで、やはり自分の思い込みかな…、一時的な杞憂で終わればいいな…と、この時はまだそういう希望を持っていました。


後になって考えると、実際に長男は場面緘黙だったし、それがきっかけになって様々な弊害を起こしてしまっているので、父の意見は身内のひいき目的なものが強かったのかな…と思います。

まさか自分の孫が…とは、父も思っていなかったのだと思います。

長男は、家族以外とは喋らないので、もちろん父と会っている時もほとんど喋りませんが、私や夫、次男とは普通に会話する姿を、父は何度も見ているので喋れない子、緘黙の子とは、想像したこともなかったようです。

実際の教育現場で指揮する立場にある父でも、実情が完全に理解できているわけではなかったのは、正直少しショックでした。