とことん高いステージで。
とことん強い相手に。
ステージが高ければ高いほど、相手が強ければ強いほどその勝ちからくる幸福度は大きい。
僕の目的は勝つことだ。
勝つことが幸せだ。
だからやる。
なんで勝つことが幸せなの?
って聞かれたことがあるけど、
美味しいもの食べると幸せなことに理由ってありますか?
と返した。
勝つ→幸せ
美味しい→幸せ
これ以上は割り算することはできない。
僕は人の人生の目的すべては「幸せになること」に集合すると思っている。
不幸になることを望む人なんていない。
幸せと不幸せの基準は人それぞれ違えど。
大まかに言うと。
幸せになりたい(究極の目的)←強い相手に、高いステージで勝ちたい(目的)←オリンピックで勝ちたい、ワールドツアーで勝ちたい(目標)………………
この後に細かい目標がズラーーーッと並んで、そしてその後にさらに手段がズラーーーッと並んでいる。
僕の頭の中はこうだ。
アスリートはこの過程のどこかで、「何か」にならなければならない。
誰かの価値にならなければならない。
自分のためだけにやるのは趣味で、趣味の域では僕は僕の目的にたどり着くことができない。
絶対的な才能を持って生まれてきたわけではない。
というかそんな人ほっとんど存在しない。
もしそうであれば、自然にその「何か」になれるのだと思う。
でも違うから。
だから、考えて考えて考えて、「何か」になる必要がある。
ただ、その「何か」になることは、僕の目的ではなく、手段だと思っている。
ここがおかしくなりそうな時がある。
世間や社会からアスリートへ向けられる目や評価基準は、「目標」の部分が重要視されていると思う。
当たり前のことだと思う。
僕たちが強くなるためにお金が必要で、企業や人が何かに投資する時、具体的な数字や順位で示された結果などのクレジットが必要だ。
それはアスリートがどうとかではなく、社会というものは、お金が動くというのはそういうことだ。
お金の価値はそれだけ重い。
数字や順位というのは僕らでいう目標の部分に当たる。
他人や企業は、ましてや投資する人にとっては、僕の目的、すなわち僕の幸せには興味がない。
だから目標を達成することを評価する。
といっても、僕は幸せになりたくて、少しでも強い相手にそして高いステージで勝ちたくて、だからオリンピックにもワールドツアーにも出たいわけだ。
着目するところは違えど、同じ方向は向いているわけだ。
同じ方向を向けていれば問題ないと僕は最近思った。
最初は違和感があったけれど。
って、特に誰かに何かを伝えたいわけではないけれど、頭の中を整理するには文章にすることがとても良いことだと思っているので書きました。
おやすみなさい。