なぜ自分はスポーツをして、なぜ勝ちたいのか?
何が自分をそうさせるのか。
これについて考えて、ある程度の仮説を立てて結論づけることは、自分を知り、そしてメンタルやモチベーションをコントロールする上で必要なことではないかと考えます。
自分の生い立ちを思い返して思いつく関連ワードとして挙げられるのは、「挫折」かなと思う。
中途半端な田舎で育ったわけではあるけれども、自分は恵まれていて、小学生時代は運動会でリレーをすればアンカーだったし、マラソン大会は毎回一位だったし、体力テストも毎回楽しみだった。
中でもマラソン大会は1番目立てた気がする。
毎年一位を取ると、物心がつくにつれて初めてのプレッシャーを感じることになった。
5年生の時、ついにそのプレッシャーに負けた。
途中リタイヤした。
自信が無くなって、途中で逃げてしまった。
これが初めての「挫折」。
一番を取ることの気持ち良さと、それを取れる可能性を持ちながらそれを取れない悔しさと気持ち悪さを小学校5年の時点で知った。
で、6年生の時のマラソン大会は1位をとった。
そのことは逆にあんまり覚えていない。笑
小学校6年の時、毎年全国大会に出場していたバレーチームに所属しながら、全国大会に行けなかった。
立ち直れないくらい悔しかった。
これも「挫折」。
中学に入って、運動会でもマラソン大会でも体力テストでもヒーローになることはなかった。
単純に自分は井の中の蛙で、世間にはすごい奴はいくらでもいた。
これもまた「挫折」。
「運動神経がいい清水くん」という自分が失われたら、一体自分は何になればいいんだ、と、ここからかなり迷走していたように思う。笑
中学ではバレーで全国大会に行ったけど、県の選抜に選ばれたりすることはなかった。
単純に実力がなかったのだと思うけど、その時は「結局身長じゃん」と思っていた。
これもまた「挫折」。
高校時代は全国大会には行けず。
ついに最後の砦、バレーでも普通の人に。笑
別に全国大会に行ければすごい、とかでもないけども。
大学も試合出たり出なかったり。
というか出てない時間のが長いか。
大学3年くらいのときかな。
監督に「お前は進路どうする」って言われて、できればバレー続けたいですって言った時にめっちゃ変な顔されたのは今でも覚えてる。
あぁ、ついにバレーでもダメか。
薄々気づいてはいたけどそこで完全に悟った。
「運動神経がいい清水くん」を挫折し、「バレーができる清水くん」も挫折したら、一体僕は何になればいいんだろうか?と思った。
中途半端に恵まれて1番になる気持ち良さを知ってしまった。
そこから成長するにつれて挫折挫折挫折。
でも僕は僕であるために「何か」でありたかった。
そんな時、ビーチバレーに出会った。
自分が自分であれる場所になりえる、と思った。
自分が自分であるために、勝ちたいと思っていた。
挫折を繰り返し、自分を失い続けてきた。
でも、このステージでなら勝てるかも、そして自分が自分でいれる気がした。
お友達を作りたくてビーチバレーをしているわけではなかったので、当時いろんな人と睨み合っていた。笑
あ?やんのかコラァ。的な感じで常にいた。笑
今でも当時を知る人にはその時のことは言われる。
でも、当時は自分が自分であるために必死だった。
当時嫌な気持ちをさせた人にはごめんなさいと思っていますが。笑
結局自分の原動力は、
「自分が自分でありたい」
ということかなと思う。
たくさんの挫折の中で、自分は何なのかと思い続けてきた。
自分はせっかく生まれたのだから、やっぱり「何か」でありたいのだと思う。
だからと言って今自分が何かになれているかとそうではないし、もっともっと向上したいんですけど。
いろいろ思い返してみると、自分が自分でありたいから、勝ちたいのです。
そしてこれからも自分が「何か」になるために向上していきたい。
それはビーチバレーだけではなくて、たくさんのことを知って、学んで、吸収していきたい。
みなさんを動かす「原動力」は何ですか?