三日目こーべーこーべー

まずは三宮へいく。
事前にえっちちゃんから教えてもらった情報を頼りにバスがあったから乗り込む。

このバスのおかけで、街の観光はだいたい把握しました(^^)/
港で降りて、モザイクへ(*´∀`)
の、前に神戸タワーの前で顔ハメぱちり。
モザイクいって、お昼だったため神戸ビーフのお店で神戸ビーフを食べる。
うまっいっ(^-^)(^-^)心が満たされました(*´∀`)
そして、適当に土産買って、再び三宮へ。
センター通り商店街をぶらぶらヽ(^o^)丿
そうこうしてたら、元町・中華街にいけた(^^)
喫茶店でケーキ食べて、お店みて、だいぶたらたらすごした(^-^)

そして、新幹線乗るために新神戸へ。
新幹線のなかでは駅弁をおいしくいただきました。

リフレッシュ旅行たのしかたわい(゚ω゚)
二日目
本日はUSJ
予め前売り券かってスムーズに入場したつもり。

一通りのった(^^)/
ワンピース仕様になってたゾーンがあって、感動した(^^)とりあえず、エースと白ひげのお墓はチェックしたし、イチゴかき氷食べたし、満足。
ジェラシックパークではまさかの先頭席でびしょぬれ。ふん!

白いジェットコースターは三回乗って大満足でした(^_-)心臓スースー気持ちいー(゚ω゚)(゚ω゚)(゚ω゚)

そんなこんなで、夕方頃にはあきてしまいパークでる。
たこやきミュージアムにてたこやき二カ所でたべて、
難波へむかう。
有名なチーズケーキやでプリン買った。千日前通りや道頓堀やらを散策。

夜はめがね様が予約してくれた串カツ食べ放題のお店に行った。
味はいいのだけど、周りにはおすすめできない。めがね様と意見一致しました。

次へ続く
旅行のお話(・∀・)
111213と旅行にいってきました。

まずは京都

朝早く出発して、バス1日乗車券購入!もとをとれるくらいバスのったー。
午前中は新撰組ゆかりの寺や家にいった。でも、ほぼ新撰組のことなんてしらないから、ほーーってかんじでした。
雷ゴロゴロくるなか、行こうと思ってた店が閉まってて、結局は東寺近くでうどんを食べた。
行く数日前まで胃痛があってほとんどたべれなかったから、久々の食事は美味でした。
で、世界遺産の五重塔


他にも大仏様とか、四天王とか、あの世に行くときに出会うであろうかたたちがたくさんいた!弘法大師すごいなぁー。もちろん御朱印もらった。
大仏様のところは撮影禁止だから、目に焼き付けておいた。

そして、三十三間堂!
1001体のせんじゅかんのんさまが、ずはーーと圧巻!見に来てよかった。もちろん御朱印もらった。せんじゅかんのんさまは、ありとあらゆる幸福なものをあの手に持っていてほんとにありがたいものなのだと知りました。合掌。合掌。

そして、すぐ近くの血天井で有名ななんとか院にいきました。安土桃山時代のものなのに、しっかりと血液の後や倒れた後がわかり、なんだかかなしくなりました。あれを天井にすることで供養されているのかな。成仏していますように。

で、次は名前忘れてしまったけど、お寺へ。
ここには国宝の桜の絵がありました。
圧巻。壁一面に季節折々の絵が。教科書でみたものが本物であるってのはすごい。
ここには、庭もあるのです。

座ってみるとまあ風情がある。
右側をあえて山のようにして左側をなだらかにしたり岩をおいてまえに池をはることで、座ったときにちょうどよく見えるようにしてあるそうだ。

そんなこんなしてるうちに夜です。

鴨川沿いの風情のある店でご飯を食べる。これは私の夢でした。
めがね様に奮発してもらい、叶いました(^-^)


川床からの風景↑お料理も素敵なものばかりでした。夜は七夕だったようでライトアツプされててまたすてきでした。幸せ(^-^)

日本の古都。京都。至福の時でした。
また来月いくぞー(^^)/



土曜日は、浦安の花火大会でした!

二人で一生けん命浴衣をきて、いざいく。

歩きまくった。

花火始まって5分で満足。

周囲を見渡したり目の前の家族のこどもをみたり、


えっちちゃんとも連絡をとりあい、

あんな人ごみのなか、すぐに見つけてもらった!

視力万歳!

えっっちちゃんの彼氏さんは、まったりな雰囲気が漂っていてイケメンでした!

駅まで一緒に帰ったけれど、二人とも彼氏そっちのけでおしゃべりしまったw


たのしかった¥

正直、ここにかくかすごく迷ったけれど、とりあえず初七日過ぎたし、

ほんのりおちついてきた気がするから書けると思う。



大好きな菊間のおばあちゃんがこの世から去りました。

ちょっとずつ食べられなくなって結局最後は意識戻らなかった。

小さいころ、両親の事情でおばあちゃんとこで暮らしたこと。

毎日お母さんが恋しくて泣きわめいていた。そんななかおばあちゃんは

私にたくさんの愛情を注いでくれた。

離れて暮らすようになっても電話をくれたね。

私から切るのが嫌で、いつまーででも繋いでいた電話。

運動会や、ピアノの発表会行事にはいつもかけつけてくれた。

お正月にはいつもよりも豪華にお寿司の出前をとって年越しを迎えるの。

小豆こしらえてくれて、誰がつくったのよりも美味しかった。

そんななか、専門に行くことになり、おばあちゃんのところから通うようになった。

もう、歳も歳なのに、いきなり住み込んでたくさんの心配と迷惑をかけたのに、

いっつも褒めてくれた。

私は、そんな大きな愛情につつまれていたのに、いっこもおうちのことなんか

手伝わないでバイトに明け暮れていた。

そんな3年間をすごし、社会人になり一人暮らしをした。

家のありがたさ、誰かがいる楽しさを身に染みている。

小見川のおばあちゃんが亡くなった時も、菊間のおばあちゃんを見ると、

なんか安心した。

なのに、菊間にはほとんど遊びにいかず、社会人をすごした。

最後に喋ったのは一週刊前。

ほんとに体力が落ちていた。だけど、おじいちゃんと二人仲良く暮らしていた。

いつも、出かけるときは見えなくなるまで見送ってくれたね。

いつも私の好きなもの揃えて待っていてくれたね。

いつだったか、今までの私たちの写真を大事そうに見せてくれたこと、

大切にされているって改めて気づかされてすごく涙がでたんだ。


なんにもできないままこの世から去ってしまった。

病院にかけつけた時にはもう、あいまいな状況だったけど、懸命に生きようとしていた。

だって、おじいちゃんより先にいってしまうなんて、だめなんだよ。

でも、よっかたのは、ほとんど苦しまずに亡くなれたこと。

おばあちゃんの顔は、とてもいい笑顔だったんだ。


おばあちゃんの遺影の写真は私が成人式の前撮りをしたときに一緒にとった写真を引き伸ばした

ものなんだ。みんながいい笑顔だねっていってくれると、

なんだか嬉しくなるんだ。


残ったおじいちゃんは認知症になりかけてきている。

おばあちゃんに孝行できなかった分、私の仕事を生かして

サポートしていくよ。

おばあちゃんはみんなに優しかったから天国いき確定です。

ほんとうに今までありがとう!