先日、「そういえば恋空ってまだネット上に存在しているのかな?」と思い検索をしてみたところ、なんと特設サイトまで出来ていたので、試しに読んでみました。
 ケータイ小説ブームが世の中を席巻していた頃、団長はゴリゴリの高校生。恋空は、同級生たちを「泣ける!」「ヒロ最高!カッコいい!」「純愛!」「切ない!」「エロい!」ということで虜にしていました。当時から川上弘美さんの小説を愛読していた団長は、切ないとか泣けるとか純愛とかは雛型と恋愛してから言えよ!!!エロスは、友達の旦那さんと普通に不倫して「だって男の人と抱き合うのって素敵なんだもの」とか言い切る女の人に使えよ!あと、ノルウェイの森の方がエロかったよ!もしエロさ目当てで読んでるなら春樹読んだ方がいいと思うよ!という理由から、同級生たちを軽蔑していました。特に、恋空に出てくる男性は、皆一様にゴリゴリのヤンキー男だったため、えっ、みんなこんな感じの人がいいの!?カワカミさんの小説に出てくるくたびれた男性や、小川洋子さんの小説に出てくる神経質な学者男の方がよほどセクシーだしかっこいいのに……と衝撃を受けました。 
 あのブームから10年、当時は軽蔑のあまり流し読み程度だったため、初めて熟読してみると、過度に繰り返される改行、発音記号のつもりか!?と疑いたくなるほどつけられる語尾の「↑↑↓」、平然と表記されている誤字、純愛というわりに肉体から始まっていた関係、割ってみる窓ガラス、とりあえずすればどうにかなると信じて疑わないデキ婚、ムシャクシャしていたから吸ってみたシンナー、そのような執拗なヤンキー文化に、改めて衝撃を受けました。しかし、10年歳を取った団長は、あることに気がつきました。高校の同級生たちは、このような執拗なヤンキー文化に、共感できるような人達ではないのです。
 団長が卒業した高校は、カトリックの女子校で、家が厳しくとにかく育ちがいい子が大半でした。休日に遊んでいても5時頃におうちから「早く帰って来なさい」という電話がかかってくる(そして従順に帰宅)女の子、「おかあさんみたいになりたい」とまっすぐな目で発言する女の子、高校側も進学先に女子大を勧め、志望校に一つも女子大を入れなかった団長は先生に呼び出されました。頭がいい高校ではありませんでしたが、少人数で必ず当たるから予習はしていかなくてはならなかったし、当時団長が「なんてギャルなんだ!!」と思っていた女の子も含めて、本格的なヤンキー文化が介入するような生活を送っていたとは思えません。
 つまり、彼女たちは、十代半ばにして異文化交流を率先して行っていたのです。なんと大人だったのでしょうか。高校生にして異文化交流を行った彼女たちは豊かな女性へと成長し、たくさんの値踏みを行ったのち、ケータイ小説に登場するヤンキー男とは百八十度異なるいわゆる「高スペックの男」と結婚していることでしょう。しかし、それは当然です。高校生の時点で全く共感できない男に魅力を感じることができるほど包容力を兼ね備えていた彼女たちです。団長とは、人類としての器の大きさが違うのです。団長は、10年前とは変わらずにカワカミさんの小説に出てくるくたびれ自由人な男性と小川洋子さんの小説に出てくる学者肌の男、それからケータイ小説ブームのほんの少しあとに知った若林さんのことばかり魅力的に感じています。なんて融通のきかない、排他的な生活を送っているのでしょうか。そして、10年前の自分に、「生まれて初めてこの人めちゃくちゃタイプ!好き!と思った若林さんが、ケータイ小説のドラマで主役やってた人と……」と教えたら、どれだけ失望するのでしょうか。