こんにちは。
かっきーです。
今日は
「ルール」
について自分なりの
見解を話していこうと思う。
てゆうか
何故ルール??
って話だが
私が今まで所属してきた
団体にはいつだって
こんな人がいた。
「ルールを守ることは
正しいことである」
そう。
このような考え方を
した人たちである。
ルールを守ることは
駄目なことじゃない。
間違ったことではない。
ただ、ちょっと考えて
みようよ。何か見えて
くるんじゃないか?という
提案がしたいのだ。
まず一つ。
ルールに対して思うことに
「そのルールは誰が幸せになるのか?」
である。
私の知り合いに高校生が
いるのだが、この子の
学校の校則にこのような
ものがある。
「SNS禁止」
その子はこの校則に
とても不満を持っている。
私がもしこの子の
立場なら同様に不満を
覚えるだろう。
このルール
誰のためにあるのだろう。
なんのためにあるのだろう。
おそらく大義としては
SNSを使った犯罪に
巻き込まれないため
だろう。
でも、その起こるか
どうかも分からない
犯罪とやらに恐れるよりも
SNSを利用して
色々享受することも
また学びと言えるの
ではないだろうか。
例えば今日では
YouTuberなどの
「インフルエンサー」
という存在がとても
身近になってきた。
「知名度を上げる」
という行為が
かなり身近になったと
思っている。
ひょっとしたら若くして
「目立つという才能」
を持った子たちが
この「SNS禁止」という
一方的なルールのために
その才能を活用出来ないと
したらどれだけ不毛なことだろう。
では、この
「SNS禁止」
誰のためにあるんだろう?
恐らくはルールを
作った側の保身のための
ルールではなかろうか。
何か問題が起こったとき
その問題に対して
予めルールを設定しておけば
自身の責任からは逃れる
ことが出来るだろう。
自分の立場を
守ることを駄目だとは
言わないけれど
その立場を守ることで
どんな自分でいたいのだろうか?
その立場にいる貴方はどんな貴方?
そんな貴方は
胸を張って「幸せ」
って言えるのだろうか?
そう問いかけたくなる。
ここからは私個人に
よるルールの在り方に
ついて語っていく。
絶対的前提として
あるのは
「ルールは完璧なものではない」
ということ。
これはどういう
ことかというと
人間自体そもそも
完璧な人間なんてものは
いないのだということ。
人間だもの。
間違えたり
忘れたり
ついつい・・・
とか色々あったりする。
そんな人間が作り出す
ルールというものが
完璧なわけがない。
ルールを破る人間だって
破るには破るなりの
理由がある。
何か大事にしたいものが
あるからこそ、破ったのだろう。
別に破ることを推奨
するわけではないが
ルールを破った人間の
気持ちに寄り添ってみても
いいのではないだろうか。
そしてどうすればいいかを
考えてみてもいいのかなと
思う。
ルールを破る=悪者!!
って感じで断罪するのではなく
そのルールをどう思っているのか?
そのルールを破った先に
どんな思いがあったのか?
そういったことに
耳を傾けるのは
とても大事なことだと
思っている。
ルールを作るって
基本的に人を縛る行為だし
ルールを増やすことは
人に負担がかかることなので
私はルール作りには
細心の注意を払った方がいいと
思っている。
私がルール作りに当たり
大事にしたいと思っているのは
「そのルールはみんなの
幸せにどう結びつくのだろうか?」
である。
私個人的に最近
素敵だなって
思ったルールがある。
これはあの「ワークマン」で
採用されているルールなのだが
「一人の思いつきで
物事を決めない」
これはどういうことかと言うと
トップダウンで一人の
人間が物事をバシバシ
決めていくことを防ぐもの。
トップダウンのメリットは
早い & 楽ちん
である。
緊急時や災害時は
トップダウンで決めていかないと
どうしようもなくなる。
ただ、トップダウンにも
デメリットがある。
これをやると
周囲の気持ちが離れていって
受け身な人間が増えてしまう
と言うこと。
「上が決めてくれて楽だし」
と考えて何も考えない。
アイディアも出さない。
組織の熱量がガンガン下がる。
トップと下っ端の
気持ちの熱量に差異が出る。
「決断力」って言葉を
盲信しすぎるとこうなる。
それを防ぐためのルールだろう。
現場で働くみんなが受け身になら
ないように。
自分の思考が尊重されるように。
自分がその組織に参加して
そして貢献していると思える
ように。
組織に参加することが
社会に貢献していると
しっかり思えるようになることが
とても重要なことなのではと
強く思っている。