突然ですが、今日は親友のポレ美さんのお話です。先日、こんなことを尋ねられました。

 

「私もエッセイ漫画を描いてみたいんですが、どんなものを

描いたらいいですか?」

 

こんな質問を頂くようになったのは面映くもあり、私の漫画を読まれている方の(お前は何様だよ!)とスマホを壁に投げて怒りに震えている様子が目に浮かぶようです。ごめんなさい。

 

でも、とても複雑だし、その場で直ぐに回答できることではなかったので、僭越ながらこのブログの記事を借りて回答させて頂くことにしました。

 

私の答えはこうです。

 

人と人が絡む危ういテーマに関しては

 

「やめておきましょう」

(あらゆるものを失う覚悟がない限り)

 

しかし、それが、ペット、旅行、グルメ、趣味一般。自分一人で完結する物語であるとか、人と人がそれほど密に絡まないテーマ、登場人物が漫画にされることを熱望したとか、ネームを登場人物が確認した上で展開するとか、そういったエッセイ漫画に関しては全く回答は違います。

 

「筆の赴くままに描いたらいいと思います」

 

前者の答えから説明しますと、このジャンルは諸刃の剣ともいえます。

どんな出来事にも必ず、さまざまな人の想いや感情が存在する以上、描くことで得るものよりも失うものの方が多いです。

 

例えば今世間で賑わっているZ世代の回転寿司をはじめとした迷惑行為。(どう考えても、あんなことは最低最悪な愚行ですし、回転寿司好きの私からするともはや恐怖でしかないのですが。。。不安

私は絶対に彼らの肩を持っているわけではないことを強調した上でですが、しかし思うところはあります。

そもそも何故キッズたちはその行為をするに至ったのでしょう。

 

ひょっとしたら、イキってる姿を好きな女子に見せたかっただけ?

ひょっとしたら、小松菜の栽培が失敗して気分が腐りきっていた?

ひょっとしたら、醤油のボトルを舐めて動画にするしかないくらい、人生に対して投げやりになってむしゃくしゃせざる得ない理由があった?

 

キリがないのでこのへんにしますが、キッズ側にもやらかした理由がある筈です。

 

それから、キッズの高校にまで「けしからん!」と鬼電をかける人たち。実名と顔写真を公開して裁こうとする人たち。

 

貴重な時間を使ってまで彼らを熱くさせるものは何でしょうか。

今まで何事も悪事をしでかしたことのない全知全能の神なのでしょうか。

 

このように出来事を俯瞰してみると、さまざまな立場のさまざまな言い分と想いが交錯しあい、もはや「醤油ペロペロ」を通り越し、人が人を裁き合うという、イソップ童話もびっくりの愚かな状況になっています。

 

冒頭のエッセイ漫画の回答に話を戻します。

「醤油ペロペロ」を見てもわかるように、出来事にはさまざまな視点と立場からみた想いがあり、それを一方的な目線で語り「私の想いをわかってください!」といったところでなかなか伝わるものではありません。むしろその逆です。「同情を誘ってバッカじゃない」「お前は悪くないのかよ」と怒りを向けられる方が圧倒的です。

もしそれでもどうしても描きたいというのであれば、批判に負けない強靭なメンタルを作らなければなりません。

その批判もエスカレートすると、過去の些細なこと全てが揚げ足取りの材料となり、誹謗中傷に変わります。相当にメンタルを鍛えていないと病みます。確実に。

 

私は数年前に一度だけエゴサをしてしまい、懲りに懲りましたので、以降エゴサを一切しない生活をして精神衛生を保っております。これは、エゴサで知り得た誹謗中傷を言っているのではありません。それをすり抜けてまで自身の元にやってくる誹謗中傷というものがあるのです。

 

世の中には苦情を本人に直接言わないと気が済まないハードロックな人や、エゴサで知り得た情報を本人に伝え、反応を楽しむという大変に悪趣味な親切な方がいるのです。

 

「おしらせ」でも書いているし、何度も書いていますが、具体例を挙げますと。。。

今はSNSというプラットフォームができ、どんな人でもスマホさえあれば世の中に自分を発信できるいい時代になりましたが、私が活動を始めた2004、5年〜というのは、ミクシイが誕生し、ようやくブログが出来始めた時代でした。

クリエイターはどのようにネット上で自己表現していたかといいますと、まずはお手製のホームページをこさえ、そこにポートフォリオだったり作品を掲載する必要がありました。(このSNS全盛期時代には信じられないけれど、そういう時代だったのです)

アナログのものはスキャンして、イラストを分かりやすくジャンルに分けて説明文もつけて…。今だったらnoteにピクシブにツイッターなんでもあるけど、これ、かなり時間のかかる作業でした。ソフトにスキャナーに周辺機器も揃えなきゃいけないから、お金もかかります。

でもそれだけで仕事がもらえるほど甘くないのはいつの時代も同じ。私は、世のクリエイターと差別化を図るべく、もはやイラスト紹介というより、訪れた人に楽しんでもらえるさまざまなパンチを凝らした工夫をホームページ上にし、ブログにはかなりロックな文章を写真入りで載せていました。

実際これらのおかげで、私はイラストだけでなく、文章の仕事をさせて頂いたり、ルポ漫画というジャンルのお仕事を経験させて頂いたりしました。初めて出した旅のコミックエッセイもホームページとブログを見た編集さんが声をかけてくださったのがきっかけです。定期的に仕事を頂くありがたいこととなったおかげで、妊活に入るまではバイトもせずにずっと好きなことでご飯を食べていけました。

 

その大事なホームページをどうして削除したのかは時代の流れというのもあるし、もうここでも何度も説明していますから割愛します。

 

長々と熱く語りましたが、そのホームページの内容や削除までもが揚げ足取りの材料になっており、私が叩かれる原因となっているらしい(私に直接誹謗中傷をお伝えくださる人や、ご親切な人の話をまとめた結果)。これはなんということでしょう。

 

ホームページの話は一つの例に過ぎませんが、口も聞いたこともなければ、会ったこともない人から誹謗中傷されるというのは、相当に不可解かつしんどいものです。この痛みはされた経験のある人ではないとわからないものです。

 

あーだこーだ描きましたが、でもそれが、自分主体でエッセイ漫画を描いたものへの当然の帰結です。ちなみに私の友人の漫画家さんは筆を置き、今は全く別のお仕事をし、漫画の「ま」の字もない分野で楽しそうにされています。私も気持ちが痛いほどわかります。

 

さて。後者です。

きっとそれは、描き手側は楽しいし、読み手側にも楽しさは伝わると思います。書き手側と読み手側が「楽しい」と思える漫画ほど素敵なものはないでしょう。だからどんどん描いた方がいいと思います。

 

私は趣味でさんたのイラストや漫画をちょくちょく描いていますが、とても楽しいです。それは、自分もさんたも誰も傷つかないから。

 

楽しいエッセイ漫画といえば、先ほど話にあった初めて出したコミックエッセイの話。旅のエッセイ漫画だったのですが、これは自分語りや旅の見聞がメインだったので、時間を忘れるほどに楽しいお仕事でした。

ただ、これを見た編集者(本とは無関係の)と同業からはボロクソにけなされ、今でもこの時に言われた言葉の数々は心の中に澱のように溜まっており、事あるごとに思い出します。あの時の想いを今振り返って描くならば、単行本2冊分ぐらいにはなりそうです。笑

確かに、パースやコマ割りは狂ってるし(そもそも漫画の概念を無視している)今以上に下手くそで歪なイラストに目眩がしそうになるのですが、とても楽しく描かせてもらった漫画であり、大事な宝物です。

 

お手軽に自己発信することができる時代になったからこそ、老婆心ながら思うこと、考えること、伝えたいことが山のようにあり、回答がこのようにだらだらと長いものになってしまいました。果たして質問してくれたYmちゃんは記事を最後まで読んでくれているでしょうか泣き笑い

 

おまけ。

コミックシーモアさんでポレ美さんが連載していた「集まれ!聖人君子」は今作で最終回でした。

今月の24日まで無料で2巻分のお話が読めるみたいなので、この機会に是非。

https://www.cmoa.jp/title/227546/

そうそう、こちらも発売中ですよだれ

 

 

 

是非読んでみてくださいね。