
ブログネタ:涙の数だけ強くなっていると思う?
参加中
涙の数だけ強くなれるか・・・?いいえ、それは強さではありません。
それだけでは強さになりません。
まずは、この部分からお話しましょう。
涙を流す場面というのは、たくさんの状況があります。
悲しい涙・嬉し涙・悔し涙etc。。。色々あります。その状況下において、価値ある涙を
流せたか?という所に大事なものが詰まってると思います。
上記の様な価値ある涙を流さなければいけない状況にいるということは、
それはそれは、自身の中で大変心が揺れ動く場面に遭遇した場合であると思います。
ではわかりやすく、悔し涙について特筆して考察していこうと思います。
最近の若者、、、まぁ自分も比較的若者の部類からはみ出つつありますが、若者は、
物事の勝ち負け、白黒、そしてそれらの結果を急ぐ傾向があるように思えます。
僕はね、思うんです。
【価値のある負け】というものを人生においてどれだけ経験するか、そしてその悔しさに
どれだけ真剣に涙できるか、という所に「涙の数だけ強く」のポイントが詰まってると思うのです。
そして、その【価値ある負け】を経験した時に自分の弱さというものをどれだけ、実感し、肯定
できるかというところなんだと思います。
自分が弱いと再確認する事ほど、人間にとって苦痛なことはないのです。
人間ってのはエゴの塊ですからね。どうしたって認めたくないものがあるんです。
でもそこをあえて自分の弱さに向き合い、真摯に対応できるかが勝負なんだと思います。
僕も、学生の頃もそうでしたが、社会に出てからは本当にゴミ同然に扱われる場面も
多々あり何度となく悔し涙を流しました。
そして、最初は認めたくなかったんです。自分の若さや、弱さを。
泣くことは弱い奴がすることなんだ!俺がもっとちゃんとできれば!こうしておけば!
俺がもっと強かったら!考えが甘かった!逃げ道を作ってた!逆上せ上がってた!
俺自身のスキルを上げればもう泣くことはないんだ!
そう言い聞かせて、がむしゃらに倒れても倒れても立ち向かい、その度に惨敗し、時には
失ってはいけないものも失ってしまったり・・・でもそれは自分の至らなさ、弱さが原因!
弱い自分はいらない!そんな風に思ってた時もありました。心も散々病みました。
もうダメだ・・・とも思ったし、自分が自分でなくなるような感覚も覚えた時もありました。
でもね、そんな時にと恩師に言ってもらった言葉があるんです。
「ただ腕っ節が強い、なんでも出来る、能力が高い。それってのは強さとは違うからな」
「己の弱さを知り認め、人に優しく、何度裏切られようとも信じぬく心、それが強さなんじゃないか?」
「その為に流す涙は決して恥ずかしいものじゃないし、流した分だけ優しくなれてると思え」
「そしてその優しさはいつか強さに変わるから」
だもんで、思うの 『「涙の数だけ強くなれる』 ではなくて 『涙の数だけ優しくなれる』 だと思うのです。
そしていつかその優しさはちょっとしたくらいじゃ動じない、柔らかく暖かい包み込むような強さになる
んじゃないでしょうか?
それと、実際それが関連してるかはわからないですが、その優しさ=強さってのは【父性】や【母性】という
ものに通じてるのではないでしょうか?
昨今、幼児虐待、児童虐待などが、頻繁に起こっております、虐待というのは、弱いものがさらに弱いもの
へと向う、動物としては自然現象的なものなのですが、昨今の虐待する親達はその己の弱さと向かい合う
ことができず、さらに弱い我が子へと責任転嫁し虐待に及んでいるのではないのかと考察します。
話が脱線してしまいましたね・・・
うん。でも、何事も焦っちゃダメなんだと思います。
何かを始めるのに遅すぎるって事は、そんなにないんです。
時には立ち止まって、しっかり自分自身を見つめ、認め、愛してやってください。
弱い自分だって、同じ自分なんです。
自分を大事にできない人が、他人を大事になんて出来るわけないんです。
【優しい涙・・・流してますか?】