※こちらの記事は「追伸・・国の重要無形民俗文化財「諸鈍シバヤ」に隠された隠語」の続きからになります

初めて読まれる方には、お手数ですが、「追伸・・国の重要無形民俗文化財「諸鈍シバヤ」に隠された隠語」 の記事も併せてお読み下さればと思います。


塩爺が投稿する下記のストーリはあくまでもネットで検索して楽しんでいる範囲のものであるから 各位からのご意見投稿で盛り上げていただければありがたいです。

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ストーリの根拠 


NO1、建礼門院右京大夫 は愛人資盛が壇ノ浦の戦いに敗れたことを知り 資盛に最後告げられた


「必ず私の後世を弔ってください」の約束を守り追善供養 の旅に出ている。

(愛人説・追善供養は研究者が認めている『したがって、諸鈍にも来ている』


2、建礼門院右京大夫は安徳天皇の母徳子の仕い、安徳天皇の出生をも見守っている。


※伝説では源氏の追手からの逃れる為に、カムフラジューとして安徳天皇とわずか兵を鹿児島県の三島村に残して資盛、有盛、行盛が奄美に来たと云われているが、はたして、如何だろう?


少なくとも親の気持から想うには資盛と一緒か、又はもっと南の島と考えるのが普通と想う。   『安徳天皇も資盛と一緒に諸鈍に来ている』 


  《次回につづく》