2024年8月14日岸田文雄首相は秋の自民党

総裁選に出馬しない事を決めて近く会見を開く

という。


 





 mRNA毒薬による日本在住地球人大量毒殺・空気
シェディング汚染。

福島第一原発事故放射能汚染水海洋投棄。

保険証廃止・民資産強奪・徴兵制利用へのマイ
ナンバーカード強制。

犯罪者安倍晋三国葬開催。

民への増税。

裏金賄賂自民党議員への甘やかし。

戦争可能化改憲への拘り。

能登被災者への冷酷な態度。

 日本史上最悪の暴政を犯した安倍晋三政権を 
超える極悪政権は、岸田文雄内閣である。

 岸田文雄は速やかに国会議員を辞職し刑務所に
入り毒殺事件の罪を償え。

 極悪政権が終わっても戦争可能化改憲の危機は
広がって行くだろう。


 日本在住地球人の生命を自民党から守ろう。

 令和六年(2024年)八月八日朝日新聞朝刊に

山田朗(やまだ・あきら)明治大学教授のインタ

ビュー「昭和天皇の戦争関与」が掲載された。

 太平洋戦争開戦の昭和十六年(1941年)

十二月前に裕仁後の昭和天皇が開戦の意志

を固めていたことを確かめている。

 

   「10月には宣戦布告の詔書の作り方

    を側近に相談しており、11月には

    軍の説く主戦論に説得されていま

    す。最終的に天皇は開戦を決断した

    のです。」

 

 

   「実態を踏まえれば、昭和天皇に戦争

    責任はあったと考えるべきだと思い

    ます。」

 

 今回のインタビューは太平洋戦争開戦に関

する昭和天皇の戦争責任の研究だが、日中戦争

に関しては明白に戦争責任・侵略責任はある。

 

 

 昭和十二年(1937年)十二月十四日大日本

帝国統治者裕仁は、「中支那方面ノ陸海軍諸

部隊カ上海付近ノ作戦ニ引続キ勇猛果敢ナル

追撃ヲ行ヒ首都南京ヲ陥レタルコトハ深ク満足

ニ思フ此棟将兵ニ申シ伝ヘヨ」と述べた。

 

 

 昭和五十年(1975年)十月三十一日、宮殿石橋の

間において、裕仁と皇后良子後の香淳皇后の記者

会見が開催された。彼自身の戦争責任と広島原爆

投下について記者から質問があった。   

 

 

 

 

   記者「陛下はいわゆる戦争責任について、

      どのようにお考えになっておられますか?」     

 

   裕仁「そういう言葉の綾については、私はそう

       いう文学方面はあまり研究していないの

       で、よく分かりませんから、そういう問題

       についてはお答えができかねます。」   

 

   記者「陛下は、これまでに三度広島へお越し

       になり、 広島市民に親しくお見舞いの

       言葉をかけておられる訳ですが、戦争

       終結に当たって、原子爆弾投下の事実

       を、どうお受け止めになりましたでしょう

       か?」  

 

   裕仁「原子爆弾が投下されたことに対しては

       遺憾に思っていますが、こういう戦争中

       である事ですから、どうも、広島市民に

       対しては気の毒であるが、やむを得な

       いと思っております。」 

 

 日中太平洋戦争を起こし、中華民国の人々を

殺し、沢山の日本人・外国人を戦死させた犯人は

裕仁である。

 敗戦が決定的になれば、「三種の神器はどうな

る?」と怯え、民の命を冒涜した。敗戦後自身

の命の保証が得られるかどうか分からず、降伏

決断を遅らせた。

 

 東京大空襲・沖縄戦・特攻隊兵士自爆死・広島

原爆投下・長崎原爆投下は裕仁の敗戦決定の遅

れによって起こった出来事である。

 

 「テレビについてはよく見ていますが、放送会

社の視聴率競争が激しいのでどういう番組を見て

いるかについては答えられません」という冗談を

語って記者と共に談笑している。

 

 山田朗教授のことばに疑問を感じることもある

が、概ね賛成している。

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問うたことは大きい。

 

 

 

 

 山田朗教授(昭和三十六年生まれ)の勇気ある

言葉に歴史を学ぶ。

 2024年8月8日宮崎県で震度6の地震があった

ことを報道で聞きました。


 被災された方々にお見舞い申し上げます。



 地震対策・防災は大切ですが、「憲法に緊急事態
条項が無いから防災対策ができない」という改憲誘
導に惑わされないように注意しましょう。