昭和17年11月、境誠一郎は同僚の報道班員、カメラマンの石井幸之助と二人で、北ボルネオの最高峰、キナバル山(4110㍍)の麓を約2週間旅した。ゼッセルトン(アピ、現在のコタキナバル)を起点として当時の西海岸州キナバル山麓を汽車と馬と足で行く旅であった。 まず、ゼッセルトンから鉄道の終点、メララップまで汽車で行き、そこからケニンガウまで徒歩で行った。ケニンがウ県知事は山崎剣ニといって、民間人ながら変わった経歴の持ち主であった。戦前の労農党の代議士で、戦争勃発後”密航”同然の姿でミリに来航、軍参謀のはからいで県知事に採用された人物だった。

境誠一郎は山崎県知事に同行する形で山道を馬に乗りレストハウスに宿泊、時には温泉に入ることもあった。この地域はドウソン族の地域だが、各地でマカン・ブッサール(ご馳走)攻めにあう。かって首狩り族もいたという野で、境たちは旅行前ピストルを持ち、現地人の警官に護られての旅行であったが、その心配は杞憂であった。戦争末期、境たちの歩いたコースは日本軍の逃避行で惨状を呈したが、この旅行の当時は平和そのものであった。