レムパン島はシンガポールとは目の先(南60㌔)にある総面積250平方キロの蘭領の小島である。現在ではシンガポールからフェリーでバンカ島へ渡り、島伝いに簡単に行ける。しかし、昔は文字通り”南海の孤島”であった。この島へ終戦直後の20年9月から翌21年7月頃まで10万人を越す南方各地からの日本軍兵士が連行され、復員までの数か月,飢餓と病気に悩まされ塗炭の苦しみを味わった。

この島は第一次世界大戦後、ドイツ軍捕虜が収容されて死滅したとの噂があるだけに、地味赤土で、ほとんど食に適さない草木で覆われているジャングルであった。兵士たちのカロリーは1350を割り込み1200やっとであった。この極限下での生活で兵隊たちは山林を伐採し、道路を造り宿舎を建てた。そして栄養補給のためにゴムの木の若芽、青大将、野ネズミ、バッタなども食した。毒キノコを食べて食中毒するものも出た。マラリア、アメーバ赤痢、脚気、大腸炎などの病人が続出した。

レムパン司令部はついに南方軍司令官代理、板垣征四郎大将に窮状を次のように訴えた。

「給養上の欠如はいかに如実に兵員の体力に反映し、移住後概ね2か月にして体重の10%を減じ、新陳代謝の低下は著しく脈拍数は減少(40台から50台の者が多し)全身倦怠、無気力となって現れ、労働い耐えざる者次弟にその数を増加(以下略)」