「F機関」のもう一つのマレー人工作は、サルタンならびに宗教指導者工作である。大本営陸軍部はマレー作戦に先立って「これだけ読めば戦争に勝てる」というパンフレットを作成した。これは第25軍辻政信参謀の監修によるものだが、上陸作戦へ向かう兵士のほとんどが、これを読んだ。パンフレットは南方作選地方とはどんなところかー、に始まり18章にわたって微にいり細に入り作戦上での注意点、生活して行く上での配慮点を説明している。なかでも土民(現地人)の風俗、習慣については一項をさき、その中で土民の宗教、回教を将兵たちに解りやすく説いている。

大本営では作戦遂行上、回教の特異性が重要であることを事前にしっており、留意していた。そして、回教の教主ともいえるサルタン(土侯)についても軍政上、重要視していた。「F機関」は戦争開始と同時に諜報員を各サルタンの所へ派遣し、協力を求める一方、信仰の自由を約束した。

昭和18年4月には昭南で宗教会議を開き、戦争遂行のためのイスラム側の協力を取り付けた。「この結果、上層部において占領終了に至るまでの、かなり良好な関係が保たれた。しかし、日本はマレー人社会に対する一貫した政策を欠き,宮城遥拝を強いたり、宗教行事で日本軍の宣伝をしたり、、モスクでの祈りの対称に天皇や英霊を加え、富くじや賭け事を奨励したりしてムスリムの怒りを買った」(「日本占領下のマラヤ 1941-45)ようであった。

このマレー人社会にも、日本の軍政当局は華人、インド人社会と同様な組織化を試み18年5月,スランゴール州に「マレー人奉公会」を設立した。翌19年には同様な組織が全マレーに出来、すべてのマレー人が自動的に会員となった。前記KMAの指導者だったイブラ匕ム・ヤコブがが同奉公会の顧問、オナン・シラジが事務局長に赴任した。一方、日本側は、この奉公会を地盤に、戦線の拡大にともなうマライでの日本軍の兵力不足を補うための手段の検討を始めた。