藤原機関「F機関」の功績の一つとして「マライの虎」、ハリマオーがあげられている。大東亜戦争やマレーシアについて関心のない人でも”ハリマオー”を知っている日本人が多い。”ハリマオー”とはマレー後で虎を意味する。戦争勃発当時マライ在住の日本人の中に”ハリマオー”と名乗る盗賊団の頭目あがりという青年がいた。「F機関」は、この青年、谷豊を対英諜報員として利用した。谷豊は「F機関}に協力、山奥のダム破壊工作などに活躍したが、マラリアで早逝している。当時、軍事美談として、この話が新聞に報道され有名になった。しかし、一般の日本人が”ハリマオー”の名を知ったのは戦後、昭和30年年代に「怪傑ハリマオー」という題名の人気漫画とテレビ番組が登場、人気になってからである。

戦争前バンコクで対マラヤ特務工作に当たっていた藤原岩一少佐は、南タイと英領マライ国境にかけて在留日本人青年が、マライ現地人を配下に置き、大掛かりな盗みを働いているとの情報を得た。盗賊団は神出鬼没なため”ハリマオー”と恐れられていた。

「F機関」が調べると、この青年はマライ東海岸トレンガヌの床屋の子供で、福岡県出身の谷豊と判明した。その時、谷は南タイの警察に捕まっていたが、「F機関」は戦争勃発とともに彼をマライ工作要員にしようと考え、警察に頼んで釈放させた。「F機関」はハリマオーを利用して当初はマライ全土で反英闘争を展開しているマレー人の団体「マレー青年同盟(KMA)」と結託したかった。しかし、谷の配下のマレー人は、ほとんどが”無頼の徒”ともいえる青年たちで、政治工作のはむいていなかった。しかし、単純な謀略や地域情報には適しており、とくに北部マレーの地形にはよく精通していた。これは開戦時の上陸作戦や電撃戦には非常に役立った。